匂いが付いていて
かはたれ時、私は例によって朝食を作るために寝袋から起き出した。
天幕から外を見ると、いつもよりも明るい。
昨日は頑張って狩りをしたせいもあって、普段よりも遅く起きたようだ。
だが、いつもは空が白ける前に起き出すているので、朝食を作る時間は十分にある。
まずは、焚火を起こす。
次に、昨晩のうちに米を研いで水を入れておいた飯盒をそのまま火にかけ、ご飯を炊き始める。勿論、最初は弱火からだ。
暫く、気配を消す練習をして時間を潰す。
頃合いを見て、即席で組んだ石の竈に火を起こし、鍋を火に掛ける。こちらは味噌汁だ。
飯盒の火も強くする。
ここまでは、いつもと変わらないのだが、ここからが少し違う。
昨晩狩った大角うさぎの肉があるのだ。
これを熊笹から取り出し、朝食べる分だけ切り分ける。更に周りを削ぎ、一口大に切ったら串に刺していく。
お肉が好物の更科さんは、きっと喜んでくれるに違いない。
なんとなく、鼻歌交じりになってしまう。
御飯が炊けたので、飯盒をひっくり返して蒸らしに入る。
串を焚火の周りに挿し、焼き始める。
すると、いつもは起こしに行かないと出てこない更科さんが、天幕からこちらにやって来た。
私は、串が隠れる位置に立ちながら、
「佳織、おはようございます。」
と挨拶をした。更科さんも、
「おはよう。」
と挨拶を返したかと思うと、そのまま微笑みながら、
「昨日は、何処に行ってたの?」
と聞いてきた。私はお肉の匂いで気がついたのだろうと思い、
「それはですね。」
と説明しようとしたのだが、更科さんは、
「昨日、和人が帰ってきてから、古川様のお香の匂いがしたんだけど。
寝袋に入ってからも、笑ってたわよね?
説明してくれる?」
と先に聞いてきた。
私は、大角うさぎを狩った時、古川様に案内してもらったので、それを説明しようと思い、
「これですよ!」
と言って焚火の隣の串を指で差した。そして、
「昨晩は、これを狩っていました。」
と説明したのだが、更科さんは、
「で、どうして古川様のお香の匂いがつくの?」
と聞いてきた。私は、
「森で古川様と偶然お会いしまして。」
と答えたのだが、更科さんは、
「会ったくらいで、匂いは付かないと思わない?」
と聞いてきた。昨晩のことを思い出しても、匂いが着くような事に心当たりはない。
私は、
「匂いがしたのは、気のせいではありませんか?」
と聞いたのだが、更科さんは、
「でも、さっき古川様とお会いしたってはっきり認めたわよね?」
とジト目だ。
私は戸惑って何と返せばいいか考えていると、佳央様も起きたようで、こちらにやって来た。
「おはよう。
二人で朝から珍しいわね。」
と声をかけてきた。珍しいと言っているのは、更科さんが私に突っかかっている事についてだろう。
私は、
「佳央様、おはようございます。
すみませんが、お肉が焼けてしまうので大月様を起こしてもらってもいいですか?」
とお願いすると、大月様も呼ばれるまでもなく起きて来た。
私は、
「大月様、おはようございます。」
と挨拶すると、大月様まで、
「うむ。
が、古川様の匂いが付いているな。」
と言ってきた。私は、
「昨晩、少しお話はしましたが、それだけで匂いが着くものなのでしょうか?
古川様には指一本、触れていませんが。」
と質問をした。すると大月様は、
「?
あぁ、そのままの意味で捉えておるのか。
これは只の比喩で、実際は魔法の痕跡が残っているだけだ。」
と言ってきた。私は、
「痕跡ですか?」
と聞くと、大月様は、
「うむ。
さっきから外が騒がしかったゆえ、何かと思って起きてきたのだが、これが原因であったようだな。」
と言った後、更科さんの方を見て、
「竜人でも女性は敏感なのだが、人の女性であっても例外ではないのだ。」
と言った。そして今度は私の方を見て、
「女性が『なんとなく他の女の影がある気がする』と言う事があるであろう?」
と聞いてきた。私は、
「はい。」
と答えたのだが、大月様は、
「あれは、魔法の痕跡に依る所が大きい。」
と説明した。すると佳央様が、
「そう言う事ね。」
と何かに思い当たったようだった。私は、
「何がですか?」
と聞くと、佳央様は、
「普通の人間は、魔法の痕跡を本当の匂いと勘違いするような事はないの。
でも、佳織ちゃんは、匂うと思ったんでしょ?」
と聞いてきた。更科さんが、
「うん。」
と答える。すると佳央様は、
「でも、実際は匂いなんてしてないの。
原因は恐らくなんだけどね・・・。
ほら、佳織、赤竜帝から名付けをしてもらったでしょ?」
と聞いた。更科さんが、
「うん。」
と答えると、佳央様は、
「あれで色々と能力が強化された筈だけど、その中に魔法に対する感受性も上がったというわけね。」
と説明した。
昨日の古川様とのやり取りを思い出してみたが、さっきも言った通り指一本触れた記憶がない。
私は匂いが着く条件を知りたくて、
「ちょっと話をしたくらいで、『匂い』という物は着くのですか?」
と聞いてみた。だが佳央様は、
「どうかしら。
魔法を使ったら、着くことは多いと思うけど。
心当たりはない?」
と聞いてきた。私は昨日古川様が使った魔法について思い出しながら、
「そういえば、この肉の血抜きをする時、古川様に【回復】の魔法を使ってもらいました。
でも、私にかけてもらったわけではありませんよ?」
と不思議に思いながら答えた。だが佳央様は、
「それね。
血抜きは、特定の場所と言うよりも全体に掛けるから、そう言うのが周りに飛び散り易いのよ。」
と説明した。更科さんが、
「でも、それだけじゃ何もなかったっていう根拠にならないわよね?」
と言ってきた。が、私も、
「今ので、私の無実が証明されたのではありませんか?」
と言い返した。しかし佳央様は、
「二人共、みっともないから、もう辞めなさい。
肉が焦げるわよ。
巫女様のお付きの人達まで、こっちを見てるじゃない。
第一、付き人が、巫女様の許可無くそんな事をするわけ、無いでしょ?」
と言ってきた。私は、
「?
巫女様が許可する場合があるのですか?」
と聞くと、佳央様は、
「そりゃ、巫女様のお付きの人だって子孫ぐらい残すわよ。
終と決めた相手なら、許可するに決まっているでしょ?」
と言ってきた。大月様も、
「うむ。
巫女様自身も、確か三人ほど子供がいた筈である。
従者に潔癖を求める事もあるまい。」
と同意した。私は、
「いずれにしても許可が必要なのでしたら、これで解決ですね。」
と胸をなでおろした。
更科さんはまだ納得していなさそうだったが、
「まぁ、そう言うことであれば・・・。」
と矛を収めてくれた。
更科さんが、私が狩ってきたお肉を一噛りする。
そして、
「このお肉、結構美味しいわね。
ありがとう、和人。」
とお礼を言った。
ひとまず、これで機嫌が直ったようだ。
私は一安心して、
「どういたしまして。」
と返した。が、更科さんは巫女様達の食事している様子を見ながら、
「ところで、巫女様達の方にお裾分けしたのだろうというのは分かるわ。
でも、なんか向こうの方が多くない?」
と聞いてきた。私は、
「運悪く、大角うさぎが一度に二羽も出てきまして。
私達では食べ切れないので、沢山お渡ししました。
でも、これで冬場の家賃も大丈夫ですよ。
角だの皮だのは全部、頂きましたから。」
と言った後、簡単に昨日の出来事を説明した。が、佳央様が、
「昨日、追加で佳織に回復かけて貰ってたでしょ?
たぶん素材を売ったお金が、全部あれの代金になるんじゃないかしら。」
と不吉なこ事を言い出した。私と更科さんは、
「「まさか。」」
と口を揃えて返したのだが、大月様が、
「いや、金子の事となると分からぬぞ?」
と脅してきた。私は、
「それにしても、全部持っていくという事は無いのではありませんか?」
と言ったのだが、更科さんから、
「そのために、巫女様が和人に払えるように獲物まで誘導したのだとしたら?
私達の都合は抜きにして。」
と嫌な仮説を言ってきた。私は、
「そんな、まさか。」
と笑ったのだが、この話には現実味がある。
私は、これが杞憂に終わればいいなと切に願ったのだった。
かはたれ時は、黄昏時の朝バージョンです。
語源も似ていて、暗くて顔がよく見えないので「彼は誰」となる所から来ているのだそうです。
ただ、今でこそ「かはたれ時」は朝方で「黄昏時」は夕方となっていますが、昔は区別されていなくて、どちらでも使っていたのだとか。
・彼は誰時
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