川沿いの道を
私達は、同じ広場でと天幕を張っていた三郎さんと彦さんや、挨拶はしなかったが後から来た岡本様達と別れた後、川沿いの道を歩いていた。
この道は若干小高い土手の上にあり、砂利が多めなので、草鞋では少し歩きにくい。
大月様が言うにこの土手は、昔、下流の村から『大水の度、川筋が変わって困る』と訴えがあったそうで、竜人の手でその対策として作られたものなのだそうだ。
河原の方を見ると、比較的大きな岩がゴロゴロしており、川の水は若干緑に濁っている。
こういう川で釣りをすると、魚が隠れる所が多いからだろうか、よく釣れる。
逆の方を見ると、草原が広がっている。
既に秋も終わりなので、草は既に枯れ始めているが、見渡す限りの草原はちょっと感動した。
暫く歩くと、地図にはないような橋がかかっていた。
木の支柱が二本づつ立ち、その柱の間の真ん中辺りには太い杭が刺さっている。それが対岸にもあって、それぞれ向かい合う柱や杭同士を太い縄で繋いである。太い縄同士は、地面に打ち付けた杭同士を結ぶ縄を、木の棒に架けられた縄から出た紐で吊った形になっているので、縄同士が大きく離れることもないのだろう。
だが、普通の橋なら木の板が張ってあるだろうに、橋の床はただの太い縄。あれでは落ちろと言わんばかりだ。
大月様が、
「これは古い仮の橋ゆえ、相当に傷んでおる。
ここは一人づつ渡ることとしよう。」
と言った。すると佳央様が、
「この形のかずら橋は初めて見るわね。」
と眉を顰めながら言った。近づいてみると、縄と思っていたものは、葛を束にしたものだった。それに、二本の柱は6尺ほどだが、柱の間隔が4尺くらいと広かった。更科さんも同じ様に思ったようで、
「これ、どっちの蔦にも手が届かないけど、ほとんど綱渡りじゃない?」
と言った。更科さんの身長は5尺ほどしかないので、そうなるだろう。大月様が、
「元々、土手を作る時、作業をする竜人が渡るために作った橋ゆえな。」
と苦笑いをした。佳央様が指を差しながら、
「あれ、使えばいいんじゃない?」
と言った。指す先を見ると、何本か、棒が置いてある。
私はどう使うのか分からなかったので、
「どう使うのですか?」
と佳央様に効くと聞くと、更科さんが、
「棒を持って、柱に架かってる葛の上に渡して渡るということね。」
と言った。が、更科さんは5尺くらいだ。
私は、
「結構高いけど、大丈夫ですか?」
と聞いたのだが、更科さんは、
「両手を上げたら、なんとか・・・ね。」
と言った。最後、届くか不安になってきたのかも知れない。
大月様は、
「ふむ。
では、渡るとするか。」
と言って渡り始めた。
元々竜人が渡るために作られたものなので、大月様は簡単に渡って行った。
次の佳央様は、何も使わず、綱渡りの要領で真ん中の蔦の上をすいすいと渡ってしまった。
次は更科さんだ。
私が、
「大丈夫ですか?」
と声をかけながら、蔦の上に棒を渡すと、ほとんど伸び切った状態の更科さんがその棒を片手で掴んで、
「ほら、届いたでしょ?
もう大丈夫よ。」
と言って笑った。私は足元が見えているのだろうかと心配をしたのだが、更科さんは私に心配させまいと思ってか、
「大丈夫よ?
じゃ、先に渡るわね。」
と『大丈夫』と繰り返し言ってから渡り始めた。
が、やはり足元が見えていないのだろう。途中、何度も悲鳴を上げて真ん中の蔦から足を滑らせながらも何とか木の棒にぶら下がり、落ちるのを免れていた。真ん中まで渡ると、橋の真ん中の方は蔦がたわんでいるおかげで、更科さんは両手でしっかり棒を掴む事が出来ている。
ここで一旦休憩をしてから、向こう岸に渡り始めたのだが、途中でまた片手になって進み始めた。
疲れたのか、途中、左右の手を交代しては、落ちかかっていて心配になる。
それでも、中央に着くまでは大丈夫だったのだから、向こうにも辿り着けるだろうと思っていたのだが、そう上手くは行かなかった。
木の棒が蔦の出っ張りに引っかかってこれ以上前に進めない状態になったようだ。
更科さんは、何度も後退しては跳ねながらなんとか前進してを繰り返していた。だが、残り1間くらいになった頃、全く進めなくなってた。
向こうで、更科さんが大月様や佳央様さんとなにか話している。
更科さんは、
「やっ!」
と叫びながら木の棒から手を離し、一気に対岸まで渡りきったかと思うと、すぐにしゃがみ込んでしまった。かなり怖かったのだろう。佳央様に慰められているようだった。
ムーちゃんはと言うと、近くの高い木に登ったかと思うと、その上から飛んで渡ってしまった。流石、むささびなだけのことはある。
最後に私も渡ったのだが、なるほど紐の上に立とうとしても、左右に揺れて全く思い通りにならない。私の場合、大きな荷物もあるので、尚の事、危険を感じる。
だが、出っ張った岩の上に登った時の事を思い出し、重さ魔法使って背負子にぶら下がるようにした。すると、橋が揺れさえしなければ体も安定する。おかげで、私も佳央様と同様、棒を使わなくても難なく渡り切ることが出来た。
私は対岸についてすぐ更科さんの所に行き、
「佳織、大丈夫ですか?」
と聞いた。すると更科さんは、
「結構、足に来てね。」
と言った。私は昨日の懸念を思い出し、
「ひょっとして、足の痛みがぶり返しましたか?」
と聞きながら更科さんの足を擦った。更科さんは、
「ごめんなさい。
そうみたい。」
と言って謝った。佳央様が、
「あまり、無理しちゃ駄目よ?
按摩しようか?」
と言うと、大月様も、
「ふむ。
では、少し早いが、ここで休憩とするか。」
と渋い顔で言った。私は、
「菅野村まで、あとどのくらいですか?」
と聞くと、大月様は、
「ふむ。
普通に歩けば、酉の刻頃であろうな。
が、休憩が多くなるのであればその限りではない。
夜道も野犬程度とは思うが、人間には危険であろう。
今夜も、野宿となるやもしれぬな。」
と言った。佳央様が、
「じゃ、今日は食べられるものを探しながら、のんびり行きましょうか。」
と提案した。私も昨日の晩御飯を思い出し、
「そうしましょうか。」
と同意した。
おかげで、今日の昼食は、牛蒡以外に薺や百合根なんかも採れたし、昨日のお肉も残っていたので、十分満足することが出来た。
なお、百合根は採ってから1〜2ヶ月くらい寝かせた方が味が良くなるのだが、時間がない。更科さんにお願いして、百合根に劣化する方の【回復】をかけて貰って、寝かせる代りにした。
【回復】の魔法を掛けると、結果的に寝かせたの同じ状態になという話も、以前に佳央様から聞いた話だ。狩りをして死後硬直した後の獣に【回復】の魔法を使うと、毛皮やお肉が柔らかくなるという話もあるが、これも寝かせるという点では同じなのかも知れない。
休憩後も私達は川沿いの道を歩き、夕方になったので、小さな岩山のような所の下で野宿することになった。実は大月様から、ゆっくり歩いても残り1刻半で村に着くので村まで歩かないかと言われたのだが、話し合いの結果、村の人も夜遅くに来られても逆に迷惑だろうからと言って野宿する事に決まったのだ。
天幕を張り、晩御飯を作る。
晩御飯は、昼の山菜の他、秋茱萸や冬苺といった果物まで見つける事が出来たので、外で食べているにしては豪華な内容だ。
日が暮れた後、この日は川で洗い物をして夜の番を決めた。
決まった順番は、先ずは佳央様と更科さん、次に大月様、最後は朝食の準備がてら私ということになった。
私は、もうこの先もずっと、外に出れば私が朝食当番となるのではないだろうかと思い、苦笑いしたのだった。
お話の中で「さな木」というか橋床のないかずら橋が出てきますが、アスレチックにある縄の橋を思い浮かべて書いていますので、江戸時代にこんな橋があったという話を聞いて出したわけではありません。(^^;)
ちなみに始めは、もっと山の方で籠渡しにしようと考えていました。
籠渡しというのは、何らかの理由で橋がかけられないような峡谷等で、人が乗った籠を対岸の人が縄で引き寄せて渡す乗り物です。籠渡しをするには対岸に縄を引く人が必要なので、交通量の少ない道にも関わらず、そんな物があるのは不自然ということで諦めました。
作中で出せず、残念です。(--;)
・かずら橋
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・籠渡し
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%B1%A0%E6%B8%A1%E3%81%97&oldid=79421959
最後、先週からブックマークがいくつか増えていました。
拙作ですみませんが、今後も宜しくお願いします。(^^)/




