峡谷で
それから数日後、私達は菅野村に向けて出発する日を迎えた。
本来、菅野村に行く件は、外回りをしている蒼竜様の仕事だそうだ。だが、今、蒼竜様は婚礼の準備でそれどころではないとかで、代りに大月様が行くことになったらしい。
大月様も、私の教育係を押し付けられ、次は外回りの仕事もなのだから、迷惑だろう。
最初、私は菅野村まで距離があるので、大月様が竜化して乗せていってくれるのだと思っていた。だが、私がその事を聞くと大月様は、
「ふむ?
普通に歩きであるぞ?
途中、野宿となるゆえ、準備もするようにな。」
と返されてしまった。
一度くらい、竜の背中の乗ってみたいものである。
さて、今日は南門で蒼竜様や大月様と待ち合わせをしている。
旅支度を整えた私達は、長屋に住んでいる全員で家を出た。
本当はムーちゃんを連れていくつもりはなかった。だが、長屋に誰も残らない。蒼竜様はそれどころではないそうだし、だからと言って、まさか赤竜帝にお願いするわけにも行かない。なので、今回は仕方なく連れて行くことにしたのだ。今もムーちゃんは、更科さんの横を歩いている。
あと、佳央様は、長屋の中にいる時は竜化しているが、今は竜人化している。
蒼竜様から、修行の一環として普段から竜人化するように言われているからだ。普段からということなので、厳密には家の中でも竜化しろということだと思うのだが、そこは気がついていないふりをしているようだ。
暫く門に向かって歩くと、大月様も門に向かって歩いているのが見えた。
私は、
「大月様、おはようございます。」
と挨拶をすると、大月様も、
「和人とその他大勢か。」
と返した。佳央様が、
「その他大勢って、失礼ね。」
と文句を言ったのだが、大月様はあまり気にした様子もなく、
「いや、すまぬすまぬ。」
と笑いながら返し、私の背中を見て、
「結構、荷物が多いな。」
と言った。私は、
「はい。
一応、向こうで何泊かするかも分らないと思いましたので。
それに、今の季節です。
念の為、油紙もかけたので、天気が崩れても雨が降っても安心です。」
と返した。大月様は、
「準備がいいな。
そう言う事なら、大丈夫だろう。」
と言って、感心しているようだった。
それから私達は、行き先は一緒なのでそのまま合流して門に向かった。
私達が門に着くと、既に蒼竜様が来て待っていた。
蒼竜様は、
「この度は、菅野村まですまんな。
本来であれば、拙者が先導するところなのだが、行ったら、これがこれでこうなるので済まぬ。
大月、頼んだぞ。」
と小指を立て、殴る仕草をしてから指で角を作って言った。大月様は、
「普通は、二番目が角なのだが・・・。
ひとまず、二人の面倒はちゃんと見るゆえ、安心せい。
まぁ、小生が言うのもなんだが、・・・いや、何でも無い。」
と言った。大月様が何を言おうとしたかは、何となく察しが着いたのでそっとしておくことにした。
大月様は、
「では、出立するか。
蒼竜も、こうならぬように気を付けてな。」
と言って、左右の手の人差し指をくっつけた状態からゆっくり広げる仕草をした。
それは流石に、洒落にならない。
蒼竜様も、苦笑いしていた。
私達も、
「では、行ってきます。」
と言って、菅野村に出発した。
先ずは、山を下り、湖に出る。
湖では、何艘か舟が出ていて、よく見ると漁をしているようだった。
湖の岸辺に沿って歩いていくと、湖月村に入る。
この村では何度か泊まっていたので、宿屋の店主から、
「おや、山上さんではありませんか。
これから、弥之助さんのところですか?」
と声をかけられた。私は、
「いえ、ちょっと菅野村まで用事がありまして。」
と返した。大月様が眉を顰めたので、言ってはいけなかったことに気がついたが、言ってしまったものは仕方がない。私は大月様に片手で拝んで謝った。
宿屋の店主は、
「・・・あぁ、川を下ったところの。
もし峡谷の脇の道を通るのなら、あそこはほとんど崖で滑りやすい所もあるので、気を付けてくださいよ。」
と、教えてくれた。私は、
「ありがとうございます。
気を付けます。」
と言って笑顔で返した。
暫く歩くと大月様が、
「そう言えば、あそこの道は細かったな。
その荷物、本当に大丈夫か?」
と今更ながらに聞いてきた。私は、
「大丈夫ですよ。
私だって、これでも本職です。」
と胸を張って返した。大月様は、
「本職か。
結構厳しい道だが、なら大丈夫であるな。」
と言って笑って返した。
だが、峡谷に着いた時、私は前言を撤回したくなった。
峡谷の道は大変狭く、僅か3〜4寸程度の幅しかなかったからだ。
この道幅では、横に歩くしか無いだろう。
大月様は、
「ここからは、崖に張り付きながら歩くことになる。
足元が狭いので、くれぐれも落ちぬようにな。」
と説明した。私は、
「これは、思ったよりも厳しそうですね・・・。」
と言うと、大月様は、
「そうだな。
しかし、さすが本職。
この荷物を背負って通れるのだからな。」
と言って、私の背中の荷物を見た。
私は、今更大丈夫ではありませんでしたと言うのも格好が悪いので、
「予想以上ですが、がんばります。」
と苦笑いしながら答えた。
崖の道には、大月様、佳央様、更科さん、私の順に入っていき、ムーちゃんは一番最後だ。
私は、
「ムーちゃん、くれぐれも荷物には乗らないでくださいね!
絶対ですからね?」
と言って念押しをしてから、重さ魔法で荷を軽くして、崖に張り付いて横向きに道に入った。
ムーちゃんは、3寸の道でも十分歩くことが出来るようだ。
それどころか、何を思ったか、私の足元をチョロチョロしはじめた。
今にも、踏みそうで怖い。踏んだら滑って、そのまま谷底に真っ逆さまだろう。
私は、
「ムーちゃん、危ないですよ。」
と注意したのだが、ムーちゃんは、
「キュィ!」
と鳴くばかり。やはり、私の足元をチョロチョロしている。
私は相変わらず、崖に張り付きながら歩いている。
更科さんは、私の状況に気がついているようだが、何も言ってくれなかった。
下手に声を出して、ムーちゃんが自分の足元に来たら大変だからだろう。
佳央様が、
「ここ、崖が崩れかけている所があるから、足元をちゃんと見てね。」
と教えてくれた。ムーちゃんが前の方に走っていく。
私はホッとしたのだが、佳央様が、
<<ムーちゃん、おとなしく和人の所に行っててね。>>
と念話で伝えてきた。
前に行ったムーちゃんは、佳央様の足元でチョロチョロしていたのだろう。
ムーちゃんは、
「キュィ!」
と鳴くと、また私の足元にやってきて、チョロチョロし始めた。
本当に勘弁である。
暫く足元に神経を集中させながら崖を横向きに歩いて行くと、佳央様から、
「ここ、上から水が走ってるから、滑らないように気をつけてね。」
と指示が出た。更科さんが、
「ヒィァ!
冷たい!」
と声を上げた。見ると、崖の上から水が流れてきていた。
と、突然、ムーちゃんが岩を駆け上り、私が背負った荷物の上に着地した。
後ろに引っ張られる感覚がある。
私はできるだけ壁にべったり張り付くと、
「ムーちゃん、無理!無理!無理!無理!無理!」
と言ったのだが、何を思ったか、ムーちゃんは更に谷の側に移動をした。
さらに後ろに引っ張られて、今にも谷底の方に倒れてしまいそうだ。
これでは、1寸も動けない。
私はムーちゃんに、
「降りて!降りて!降りて!降りて!降りて!」
とお願いしたのだが、通じていないようで、
「キュィ!」
と鳴いた。すると佳央様から、
<<水に濡れるのはしょうがないんだから、諦めて。>>
と念話で伝えてきた。ムーちゃんは、
「キュィ!」
と鳴いたが、その場から動こうとしない。
仕方がないので、私は気合を入れて、重さ魔法で荷物とムーちゃんを軽くして、ビショビショになりながら、何とか水が流れているところを超えた。
今までも崖に張り付きながら歩いてきたので、着物はそれなりに汚れていたが、更に水を被るはめになったので、今は泥だらけで気持ち悪い。
ムーちゃんが足元に降りて、
「キュィ!」
と鳴いているのだが、何となく、失礼なことを言っている気がする。
私は、
「佳央様、ムーちゃんは何と言っているのですか?」
と聞いたのだが、佳央様は、
「・・・まぁ、簡単に言えばありがとうってことね。」
と返してきた。
それにしても、この崖はいつまで続くのだろうか。
時折、広くなることはあるものの、3寸が5寸になったところで、気を抜いたら落ちることには変わりはない。
既に、1刻以上が経っているように思う。
せめて、ムーちゃんだけでも何とかならないか。
そんな事を思いつつも、未だ戦々兢々と横ばいで進んでいくと、急に楽に歩ける道になった。道幅は、3尺くらいはあるのではないだろうか。それが、だいたい3間くらい続いている。
さっきまでは崖に張り付いていたので、景色を見る余裕はなかったが、この辺りはまだ、紅葉が始まっていないようだ。
大月様が、
「ここで昼食にするか。」
と提案して、ここで昼ご飯を食べることになった。
私は、これで一息付ける思うと、すこしクラッとよろめいたが、何とか持ち直して、背負子を降ろした。
峡谷に入ってからずっと、重さ魔法を使っていたし、足元をムーちゃんがチョロチョロして気を付けないといけなかったので、自分が思っている以上に疲れているのかも知れない。
とは言え、これから昼食である。
私は、荷物からおべんとうを取り出して佳央様と更科さんに、
「お弁当です。
油紙を掛けておいたおかげで、濡らさずに済んで良かったですよ。」
といいながら渡した。更科さんも、
「うん。
あと、お茶もお願いね。」
と言って要求してきた。だが、こんな所にお茶は持ってきていない。
私は背負子に結わえておいた水筒を外し、更科さんに、
「すみません、水しか無くて。」
と言いながら渡した。更科さんは、
「そうだったわ。
お水ね。」
と言って、バツが悪そうに水筒を受け取り、
「ありがとう。」
と言って受け取った。
ムーちゃんには、体力の実を渡した。すると、
「キュィ!」
と嬉しそうに鳴いて、早速、美味しそうに食べ始めた。
それにしても、崖の道はまだ当分続くのだろう。
ここまでは、何とか落ちずに行けた。だが、この先も落ちずに行ける保証はない。
私は、何事もなく峡谷を抜けられるとよいのだがと思いながら、弁当のおにぎりを食べたのだった。
お話の中で、山上くんが荷物の一番上に油紙を使う描写がありました。
油紙は和傘の傘布や油障子(雨に当たっても大丈夫な障子)等で使われたそうですので、そういう使い方もしただろうと想像して書いています。
時代検証したらアウトな可能性もありますが、お話の中ということでご容赦ください。(^^;)
・油紙
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%B2%B9%E7%B4%99&oldid=77333296
・傘
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%82%98&oldid=80384784




