竜の里での生活
私が竜の里で作法の勉強を初めて、はや1ヶ月ちょっとが過ぎていた。
里に来た当初は、まだ里の周りの山々は緑だったのだが、今は徐々に黄色や赤に変わってきている。
私はと言うと、週の6日うち、3日間は大月様から文字と作法を教わり、2日間は働いて家賃を稼ぐ。そして最後の1日で、その週の疲れを癒すという事を繰り返していた。
本来は、蒼竜様から作法を習う予定だったのだが、蒼竜様は雫様と新居で暮らし始め、これから式の準備をするのだと言ってそれどころではなくなったので、そのあおりを食って、私の教育係は紆余曲折の末、大月様が先生役をする事となった。大月様からすれば、いい迷惑だろう。
そして今日は、働いて家賃を稼ぐ日だった。
今は、長屋に帰って夕飯を食べた後、手紙を書いていた。
手紙は月に一回、湖月村まで行って弥之助さんにあずけておけば、田中先輩が更科家の皆さまや、庄屋様経由で私の両親に渡す手筈になっている。
実は、先日出した初めての手紙を書いた時、送る数日前になってから書き始めたところ、書きたいことが全く上手くまとまらず、脈絡のないものが1枚だけになってしまったという事があった。なので、次はもう少しちゃんと書きたいと思い、今のうちから少しづつ書き溜めているのだ。勿論、手紙は相変わらずの平仮名ばかりだが、たまに漢字も混ぜて、私の成長も感じてもらえるように工夫もしている。
更科さんが、
「和人、また今夜も手紙を書いているの?」
と聞いてきた。私は、
「はい。
今日、もやしというものの育て方を聞きましたので、それを伝えようと思いまして。」
と答えた。先月、大月様から手紙の内容について、官吏のことは書いてはいけないと言われたが、農作業については書いてはいけないと言われていないので大丈夫に違いない。
更科さんが、
「もやし?」
と聞いてきた。私は、
「はい。
白くて、ひょろ長いあれです。」
と言うと、更科さんは、
「しゃきしゃきして美味しいわよね。
誰に聞いたの?」
と聞いてきた。私は、
「ほら、今日、私は口入れ屋の番頭さんの紹介で、外の田んぼの稲刈りに、手伝いに行ったじゃないですか。」
と言うと、更科さんは、
「ああ、あれね。」
と相打ちを打った。私は、
「はい。
それで、お茶の時間にいろいろと話をしている時に、もやしの育て方を教わったのですよ。
冬にも育つそうなので、早速教えようと思いまして。」
と言うと、更科さんは、
「なるほどね。
でも、これから冬だけど、お野菜なんて育つものなの?」
と聞いた。私は、
「なんでも、日に当てなくてもいいそうなので、育つのだそうですよ。
コツは、お湯で発芽を促す所だそうですよ。」
と話した。すると更科さんが、
「そういえば、和人は又聞きだと思うけど、大丈夫なの?」
と聞いた。そう言われて私も不安になって、
「そうですよね。
私も又聞きですし、これだけでは育たないかも知れませんよね。」
と返して、
「『またぎきなので、じっさいにそだてるなら、しんちょうに』と。」
と口に出しながら手紙に付け加えた。
佳央様も、
<<それにしても、家賃のためとはいえ、勉強もしながら週に二日も働くなんて大変よね。>>
と言ってきた。私は、
「長屋も只じゃありませんしね。」
と返した。すると佳央様は、
<<そう言えば、前から思っていたんだけどね。
和人、よく口入れ屋で農業の手伝いをしてるでしょ。
でも、冒険者組合で何か依頼を受けたほうが割もいいんじゃないの?>>
と聞いてきた。私は、
「確かに、冒険者組合で仕事を受けた方が報酬はいいんですがね。
農業のほうが慣れている分、私には簡単なのですよ。」
と答えた。しかし更科さんは、
「そうなの?
でも、沢山稼いだほうが安心じゃない?」
と確認してきた。だが、佳央様が、
<<そこは微妙なのよ。
これから冬になっていくから、土地勘がないと雪で冒険業もあがったりになるでしょ?
でも、冬でも農業は出来るのよね。」
と言った。私は、
「農作業こそ、もう終わりなのではありませんか?」
と聞いたのだが、佳央様は、
<<そんな事ないわよ。
ほら、露地物は終わるけど、室内があるし。>>
と言った。私は室内で農業が出来るというのを初めて聞いたので、
「室内で、作物が育つのですか?」
と身を乗り出して確認した。佳央様は、
<<出来るわよ。
まぁ、室内と言っても人が住むような家じゃないんだけどね。
赤魔法や緑魔法で生育させるのよ。>>
と言った。更科さんが、
「そういうことね。
なら、和人もできそうよね?」
と確認してきた。私も、
「はい。
黄色の魔法と緑の魔法は周りに纏わせるだけで作用しますから。」
と答えた。佳央様は、
<<そうね。
今のうちに、農家の人に使えることを伝えておけば使ってくれるわよ。
そうすれば、冬の家賃も安心だしね。>>
と付け加えた。更科さんが、
「今のうちに、実績を作っておく作戦ね。
冬、追い出されずに済むならありがたいわ。」
と言った。私が、
「まぁ、最悪、蒼竜様にお借りすればいいでしょうから追い出されることはないと思いますが。
ただ、やはり人にお金を借りるのは気分が悪いですからね。」
と言うと、佳央様が、
<<あそこは無理よ。
式で相当使う気みたいだし。>>
と呆れた口調で指摘した。
私は、
「そう言えば、そんな話もありましたね。
せり上がる雛壇でしたっけ?
まぁ、今のうちに冬も稼げるように売り込んでおきますよ。」
と冬も安心してもらえるように話をした。
更科さんが、
「そういえば和人。
部屋、結構暗いのによく文字なんて書けるわね。」
と聞いてきた。私は、
「これですか?
実はこの墨に秘密がありまして、」
と言いかけると、佳央様が、
<<竜の里で売られている墨には、魔法の成分が含まれているの。
だから、魔法さえ見えれば墨の場所も書いた文字も分かるのよ。>>
と説明を横取りされた。ちなみにムーちゃんも魔法を見ることが出来るらしく、文字を踏んだり墨壺をひっくり返すようなヘマはしない。
更科さんが、
「そうだったんだ。
じゃぁ、いつも字が曲がっているのは見えてないからじゃなくて素だったのね。」
と言った後、慌てて、
「あっ!
・・・えっと、ごめんなさい。」
と謝ってきた。私は、
「字が汚いのも事実ですし・・・。」
と認めると、更科さんは、
「いえ、私も字はあまり綺麗な方じゃありませんし・・・。」
と言った。だが、更科さんの字は真っ直ぐで綺麗に纏まっていて読みやすい。私は、更科さんは謙虚なつもりなのだろうが、私には返って嫌味に聞こえるななどと思いながら、苦笑いをした。
ちなみに佳央様は、竜のまま字を書く時は重さ魔法を利用して書くので、私と大して変わらない、所謂ミミズが這ったような字だ。だが、以前はともかく、最近は竜人化すれば更科さんよりも綺麗な字を書くようになっていた。
つまり、本気で文字を書いた時、私が一番下手くそということになる。
お手本として使える字を書ける人がすぐ傍に二人もいるのに、私は一向に上達する気配がない。私も、もっと綺麗な字が書けるようになりたいものだと思う。
長屋の壁の向こうから、子供が騒ぐ声がする。
長屋暮らしは、隣の音が筒抜けなのが玉に瑕だ。
ふと、隣から、
「隣の佳織ちゃんは今日は薬の試験を受けに行ったり、勉強熱心で偉いのよ。
あんたとは大違いね!」
と聞こえてきた。
更科さんは苦笑いをしていたが、気になったので、
「そう言えば、佳織のほうはどうでしたか?」
と確認した。すると更科さんは、
「勉強していない薬草がいっぱい出てきちゃってね。
半分くらいかしら。」
と答えた。実は今、更科さんは薬印の依頼が受けられるように薬草学の勉強をしているのだが、今日はその試験があって受けに行ってきたのだ。本当は、まだ勉強中なのだそうだが、試験の点数が返ってくという事で、自分がどのくらいか試すために受験したらしい。結果は明日出てきて、合格者は来週から実地試験となるそうだ。
佳央様が、
<<半分かぁ。
あれ、確か8割取らないと合格できないのよね。>>
と言った。まだまだ合格には遠そうだ。更科さんも、
「でも、1ヶ月でこれなら来月か再来月には取れそうよ。」
と言った。しかし佳央様は、
<<再来月は、雪の季節に入っているかも知れないから難しいかもね。
春先かなぁ。>>
と返した。更科さんは、
「あれ?
でも試験はやっているわよ?」
と聞いたのだが、佳央様は、
<<ほら、佳織は空飛べないでしょ?
竜人なら、竜化して雪のない所までひとっ飛びよ。
だから、この辺りで採れない薬草でも試験の問題に出せるのよ。>>
と理由を説明した。更科さんは、
「あぁ・・・。
そう言うことね。」
と苦笑いをした。私が、
「それだと、どの季節でも、人が受かるのは無理じゃありませんか?」
と聞くと、佳央様は、
<<そうでもないわよ。
近くで取れるなら、そういう薬草を出題する場合のほうが多いそうよ。>>
と話した。私はそれでちょっと安心して、
「なら良かったです。
佳織、もう冬は諦めて、春でもいいんじゃないですか?」
と提案すると、更科さんも、
「それもそうね。
でも、折角ここまで勉強したし、雪が降らないなら来月で取りたいわね。」
と言って、やる気を出していた。
佳央様は、
<<二人共、勉強熱心よね。>>
と言ってきたので、私は、
「ほら、佳織は本当に勉強熱心ですが、私の場合はこれが終わらないと葛町に戻れませんから。」
と理由を説明した。
それで思い出したのだが、一番最初に大月様が持ってきた作法の本は、何十冊もあった。あれを全部一年で覚えるのは、難しいように思う。だが、勉強が終わらなければ、更科さんまで竜の里に居残りとなる。
私は、延長にならないように気合を入れて勉強をしないといけないなと思ったのだった。
もやしと言えば、青森に350年以上前からあると言う『大鰐温泉もやし』という伝統野菜があるそうです。
現在では珍しい土耕栽培で作られ、長さが30cm以上にもなるのだとか。秋に小八豆(大豆の品種)が収穫された後から栽培が始まるので、本来の旬は11月から3月頃になるという話だったと思います。(この部分は出典不明ですみません)
食べ方は恐らく江戸時代の頃はおみそ汁やおひたしが多かったと思われますが、現在は炒め物や天ぷら、珍しいところではパスタにも使われるそうで、何にでも使えて重宝なのだとか。
一度くらいは食べてみたいと思う、おっさんでした。(^^;)
・モヤシ
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・大鰐温泉
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・大鰐温泉もやし
http://www.town.owani.lg.jp/index.cfm/8,199,36,html