第三十五話 真相
サリーシャはぎこちなく首を回し、ローラを見つめる。ローラはメラニーに睨まれ、真っ青になったまま体を震わせていた。
「こんなことが続いたから、伝票が書き上がったと聞いたとき、わたくしも念のために確認しました。サリーシャ様の記載は間違っていなかったわ。納品数量も確認するように徹底したから間違っていないはずよ。となると、誰かが書き換えたとしか思えないのよ。あの社交パーティの準備品や注文伝票類がまとめて置かれた部屋に入ることが出来る誰かが──席札と同じようにね」
ローラはその瞬間、泣き崩れた。
事実はサリーシャの予想だにしないものだった。
今までサリーシャがしたとされていたミスについて、サリーシャはレニーナを疑っていた。レニーナが実はセシリオに想いを寄せており、邪魔な自分を排除しようとしているのだと思ったのだ。
しかし実際は、最初の一回を除き、全てローラが仕組んだものだった。
最初にその可能性に気付いたのはメラニーだった。
昨日の夜、セシリオから書き間違えのカードと作り直したカードを手渡されたメラニーは、それを見て違和感を感じたという。母親であるメラニーは、見てすぐにあの字がローラのものではないかと疑いを持ったようだ。
「なんで……、なんでそんなことを……?」
サリーシャは、ローラとよい関係を築けていると思っていた。信じられずに呆然とそう聞き返すと、ローラは泣きながらこう言った。
「だって、サリーシャ様に本当のお姉様になってほしかったのだもの」
正直、意味がわからなかった。
本当のお姉様になってほしい?
嗚咽まじりにローラが打ち明けたのはこんな話だった。
優しいサリーシャのことがすっかり好きになったローラは、同じくサリーシャのことが大好きなラウルと『サリーシャ様が本当のお姉様だったらよかったのに』とよく二人で話していた。
けれど、サリーシャは二人からすれば叔父の妻だ。それは無理なことだと諦めていたある日、サリーシャが注文ミスをした。そのとき、ローラは偶然、メラニーがレニーナと話している会話を耳にしてしまったという。
「書き間違えてしまったようですわ」
「そう。一度の失敗なら仕方がないこともあるわ。何回も続くようならセシリオに結婚の継続を考え直せと進言しなければならないけど、これくらいなら様子を見ましょう」
それを聞いて、彼女は閃いた。
サリーシャが失敗続きになってセシリオと離縁すれば、サリーシャは独身になる。ちょうど兄のパトリックは年の頃が似ているし、サリーシャといるときはいつもまんざらでもなさそうだから、サリーシャはパトリックと再婚すればよいと。
サリーシャはもちろん、大人には到底理解できないような、幼稚な計画だ。
本人達の意志が全くもって無視されているし、なによりアハマス辺境伯夫人失格として離縁されれば、そのサリーシャを息子の妻にすることにメラニーが同意するわけがない。
しかし、大人びていてもローラはまだ十二歳。大真面目にその計画を実行に移した。そして、その結果がこれだ。
「だって、サリーシャお姉様は叔父様と恋に落ちて婚約したわけじゃないって仰ったわ。なら、お兄様と恋すればいいと思ったのよ」
涙ながらに語るローラの言い分には、本当に衝撃を受けた。
サリーシャがセシリオと別れてパトリックと恋をする? あり得ない。サリーシャはセシリオを愛しているし、パトリックは離婚歴のある年上女性などと結婚しなくともいくらでもこれから良縁が望めるからだ。
「それに、叔父様が独身になれば──」
さらにローラが続けようとしたところで、パシン! と乾いた音が響く。
険しい表情のメラニーに頬を引っ叩かれ、ローラは呆然と立ち尽くした。
「やっていいことと悪いことがあるわ。あなたの幼稚な考えでサリーシャ様には大変な心労をおかけしたのよ。それに、周りにも迷惑がかかったわ」
「ご……めん……なさい」
謝られても、いつものようにすぐに『気にしないで』と微笑むことは出来なかった。
この十日ほど、度重なる失敗でサリーシャはセシリオの妻として自分は失格なのではないかと本気で悩んでいたのだ。
花は花屋が万が一萎れてしまった場合を考えて多めに入荷していたようで、事なきを得た。けれど、ローラの行為は、プランシェ家の名に泥が塗られる可能性だってあった、重大な行為なのだ。
「ごめんなさい。わたくしが昨晩、違和感に気付いた時点で寝ているところを起こしてでも問いただすべきだったわ。もう明日だからパーティーが終わってから話を聞こうと思った、わたくしの判断ミスです」
メラニーからは深々と頭を下げられた。
常に凛として女主人をこなしているこの人が、周囲に人がいる状況でこのように頭を下げることは最大限の謝罪の現れなのだろうということは容易に想像がつく。
泣きながらメラニーに部屋へと連れ戻されるローラの後ろ姿を、サリーシャはただ呆然と見つめることしかできなかった。
残されたサリーシャとレニーナの間に、妙な空気が流れる。チラリとレニーナを見ると、レニーナは最終確認用のメモを握りしめたまま強張った表情をしていた。
「……わたくし、実はレニーナ様を疑っておりました」
沈黙を破るサリーシャの告白に、レニーナは片眉をピクリとさせる。そして、ゆっくりとサリーシャを見つめ返した。
「レニーナ様がセシリオ様のことを慕っていて、邪魔なわたくしを排除しようとしているのではないかと思ったのです」
俯くサリーシャをしばらく無言のまま見つめていたレニーナは、クスクスと笑い出す。
「正直な方ね。そのようなことは、言わなければよいのに。──でも、なんとなくそう思われていることには気づいておりましたわ」
そして、神妙な面持ちで目を伏せた。
「この数週間ご一緒に過ごして、サリーシャ様はよくやっていらっしゃったと思いますよ。パーティーの準備は初めてでいらしたのでしょう?」
「ええ」
「お優しいし、お綺麗だし、頑張り屋だし、サリーシャ様のような方がいらしてよかったと思います。セシリオ様はサリーシャ様のことを本当に愛しげに見つめていて……本当に……こういうのを『良縁』というのでしょうね。セシリオ様は果報者ですわ」
レニーナはそう言って、顔を上げるとにこりと微笑む。
「──アハマスで社交パーティを行う際には、是非わたくしも招待してくださいませ」
その表情が一瞬だけ、少し寂し気に翳ったような気がして、サリーシャはレニーナを見つめ返した。けれど、レニーナは何事もなかったかのように穏やかに微笑んでいる。
「はい。是非いらしてくださいませ。お待ちしております」
サリーシャは口角を上げ、笑顔を作るとただ一言だけ、そう返した。
たとえそうだとしても、ここで後ろめたく感じるのはレニーナに失礼だと思ったのだ。アハマスで立派に辺境伯夫人を務めることが、優しい彼女の心遣いへの自分ができる最大限の報いだ。
「さあ、準備を続けないと。時間がないわ」
「はい。そうですわね」
サリーシャは手元の準備リストを見た。まだまだやることはたくさんある。パーティーは今夜に迫っていた。
いつかレニーナがヒロインのお話を書きたいなぁと思ってます。時期未定ですが(^^;




