第三十話 すれ違い
サリーシャがラウルと庭で遊んでいたそのとき、セシリオはジョエルと話をしていた。ジョエルの執務室に続く応接間でジョエルと向かい合ったセシリオは、太ももに肘をつくようなやや前傾姿勢になった。
「義兄上、あの協定書のおかげでここ一ヶ月で二回ほど賊を捕らえることができました。ありがとうございます」
「そうか、それはよかった」
ジョエルは穏やかな笑みを浮かべて頷く。
「捕らえたということは、黒幕の確保も間もなくかな?」
「いえ、それが……」
いい淀むセシリオを見てジョエルは首を傾げたが、セシリオから事情を聞くと今度はうーんと首を捻った。
「首謀者を崇拝ねぇ。よっぽどの徳がある人間なのか、或いは、いえないような事情があるのか……」
「いえないような事情?」
セシリオはまじまじとジョエルの顔を見つめる。ジョエルは両手を天に向け、口をへの字にして肩をすくめてみせた。
セシリオには、徳のある人間が義賊とはいえ犯罪紛いのことをするとは思えなかった。となると、今までは気が付かなかったが、ジョエルのいうように“言えない事情”があると考えるのが自然だ。
“言えない事情”とはいったいどんな事情だろうか。
家族や大切な人が人質になっている?
弱味を握られている?
もっとひどい犯罪に手を染めていて、それが周知になることを怖れている?
少し考えたが、はっきりとこれだという理由は思いつかない。
もしかしたら、複数の理由が当てはまる可能性もある。
黙って考え込むセシリオを静かに見守っていたジョエルは、気を取り直すように紅茶を一口飲む。
「ところでセシリオ、改めて結婚おめでとう。可愛らしいお嬢さんだな」
思考に耽っていたセシリオははたと動きを止める。ジョエルは穏やかな笑みを浮かべてこちらを見つめていた。
「ええ、ありがとうございます」
「本当によかったよ。セシリオがいつまでも結婚しないから、メラニーはとても心配していた。昨年はレニーナを嫁がせてはどうかと真剣に相談してきたほどだ」
「レニーナを? ああ、そういえばそんなことを昔言っていたな」
あれはいつだっただろう。二年くらい前に、一度だけそんなようなことをメラニーから言われた気がする。けれど、冗談だと思ったセシリオはその話を笑って流した。まさか義兄に相談するほど本気だったとは驚きだ。
「レニーナには俺よりいい男がいるでしょうに。俺はいわゆる好まれるタイプの貴族の男からは外れています」
「セシリオは十分にいい男だぞ。なんといっても、メラニーの自慢の弟だからな」
ジョエルは相好を崩すと、セシリオを見つめる。
「それに、あの子もいい子だな。ローラとラウルがえらくなついている。目を引く美人だし、パトリックがあと少し早く生まれていたら、素晴らしい良縁だっただろうに。惜しかった」
からかうようにジョエルがそう言うと、セシリオはムッとしたように口を尖らせた。
「──それは聞き捨てなりませんね」
「冗談で言っているだけだから、そう怖い顔をするな」
憮然とした表情を浮かべるセシリオを見つめ、ジョエルは楽しげに笑う。そして、ふと窓の外を眺めると呟いた。
「レニーナにも、良縁があればよいのだがな」
釣られて見た窓からは、青い空に白い雲が流れていくのが見えた。
***
しばらく世間話を楽しんでから部屋に戻ったセシリオは、部屋の中がやけに静かなことに気付き、辺りを見回した。
「サリーシャ?」
伯爵邸の来賓用客室とはいえ、そこまで広くはない。部屋の中はすぐに確認出来る。一通り室内を見たが、サリーシャはいなかった。
「いないのか……」
サリーシャに部屋にいろと伝えていたわけでもない。レニーナかローラとお茶でもしているのだろうかと思いながらふと窓の外を眺めたセシリオは、そこでおかしな光景を目にした。
そこにいたのは探していたサリーシャだった。だが、なぜか庭の池の前で靴を脱いでおり、さらにスカートをたくしあげようとしている。
「なにをしているんだ?」
セシリオは目を凝らした。一見すると、池に入ろうとしているように見える。
──まさかな……。
まさかそんなことはしないだろう。そんなふうに思って見守っていると、今度はパトリックが現れてなにかを話し始めたのが見えた。
すると、今度はまさかでなく、パトリックが池にじゃぶじゃぶと入り始めたではないか。
パトリックの予想だにしない行動に驚いたセシリオは、すぐに階下に向かった。いったいあの二人はなにをしているのか、皆目見当がつかない。
そうして玄関から庭園へ出ると、サリーシャとパトリックがこちらに向かって並んで歩いてくるところだった。パトリックは池に入ったせいでびしょびしょに濡れているが、二人とも楽しそうに笑っている。
「あ、叔父上だ」
セシリオの姿に気付いたパトリックが笑顔を見せたのに対し、サリーシャはサッと顔を強張らせた。その様子にセシリオはなぜか焦燥感のようなものを覚えた。二人が並んでいると、先ほどのジョエルの『またとない良縁だったのに』という言葉が脳裏を過る。
「二人の姿が見えたから来てみたのだが……。サリーシャ、パトリック、いったいどうしたんだ?」
努めて穏やかに声をかけると、パトリックが説明しようと口を開きかける。しかし、それを遮ったのはサリーシャだった。
「なんでもございません。閣下には関係ありませんわ」
はっきりと大きな声でそう言ったサリーシャからは、明確に拒絶の意思が感じられた。セシリオは驚きで目を見開く。
「──サリーシャ?」
無意識に零れた呼びかけからも逃げるように目を逸らしたサリーシャの横顔が、妙に鮮やかに脳裏に焼きついた。




