第二十七話 再会
アハマスを発って丸二日後、セシリオは無事にプランシェの中心街へと到着した。道中では件の窃盗団に遭遇しないかと気を張りつめていたのだが、出発から到着まで目立った異変も見られなかった。
プランシェ伯爵領は広大な森林が広がる自然豊かな地域で、主に建築用木材や農産物の生産で有名だ。
中心街も森林を伐採した跡地に広がっているため、周囲を森に囲まれている。そして、街の至る所に大きな木々が立ち、かつてここが森であった面影を残していた。
馬車がプランシェ伯爵邸に到着すると鉄柵でできた大きな黒い扉が門の警備をする衛兵により開かれる。そこからまた木々の中の道を馬車で数分進むと、屋敷の馬車寄せへと辿り着く。
セシリオは馬車から降りると、屋敷を見上げた。白い屋敷は石造りのアハマスの領主館と違って木造なので、独特の温かな趣がある。
いくつも並んだ窓は開け放たれているのか、風でカーテンが揺れているのが見えた。
「ようこそいらっしゃいました」
すぐにプランシェ伯爵家の家令が出迎えに現れ、続いて一番末っ子のラウルが階段を駆け下りてくるのが見えた。
「叔父上!」
頬を紅潮させて駆け寄ってくる甥を見て、セシリオは口元を綻ばせた。
「やあ、ラウル。一年ちょっと見ないだけで随分と大きくなったな」
「うん。この一年で八センチも背が伸びたよ。このくらい」
ラウルは得意げに両手を向かい合わせ、セシリオに『八センチ』を作って見せる。見せられたそれはだいぶ大きく、三十センチくらいはありそうに見えた。
「それは凄いな。ところで、御母上と御父上は?」
「二人とも出かけているよ。もうすぐ帰ってくると思う」
「そうか。サリーシャは?」
「サリーシャ様は兄上といるよ」
「パトリックと?」
「うん」
ラウルに手を引かれて向かった先は一階のホールだった。近づくと、廊下まで軽やかなピアノの音色が聞こえて来る。
そっとドアを開けると、中ではレニーナがピアノを弾いており、それに合わせてサリーシャとパトリックがワルツを踊っているのが見えた。音楽の音色に合わせてサリーシャのスカートの裾が軽やかに揺れる。
ポロンッとピアノの音色が止まり、二人が向かい合わせで動きを止める。サリーシャが笑顔を浮かべて何かをパトリックに言うと、パトリックは嬉しそうにはにかんで何かを答えていた。
「兄上! サリーシャ様! 叔父上がいらしたよ」
ラウルが叫ぶ声にサリーシャとパトリックがこちらを向く。目が合った瞬間、サリーシャは驚いたように目を見開いた。そして、花が綻ぶかのような満面の笑みを浮かべた。
「閣下! お出迎えできずに申し訳ありませんでした」
「いや、大丈夫だ。パトリックとダンスを?」
「はい。パトリック様は次の王宮舞踏会で社交界にデビューでいらっしゃいますから。練習にご一緒させていただきました」
「そうか。パトリックももう成人か。早いものだな」
セシリオは感慨深げにパトリックを見つめた。
ラウルも大きくなったと驚いたが、成長期のパトリックはそれ以上に変化が大きい。身長が伸びただけでなく、子どもらしく細かった体つきは随分と引き締まり男性的になった。丸みを帯びていた頬はシャープになり、顔つきも大人びたように感じる。
そして、前回会ったときにはセシリオ同様に短かった髪は、だいぶ伸びて多くの貴族男性と同様にひとつに結われていた。
パトリックもセシリオと目が合うと、笑顔でこちらに近づいてきた。
「叔父上、ご無沙汰しております」
「ああ、見違えたぞ。パトリックもすっかりと立派になったものだ」
「いえ、わたしはまだまだです。叔父上のように強ければよいのですが、先日も賊を捕らえるどころか落馬して、皆に迷惑をかけてしまいました」
「賊を捕らえるどころか? 賊を追いかけていて落馬したのか?」
セシリオはパトリックが頭を掻きながら口にしたその単語に、ピクリと反応した。
パトリックが落馬して大怪我をしたことは以前に聞いていたが、なぜ落馬したかまでは聞いていなかったのだ。
「はい。父上と叔父上が最近になって協定を結んだ、あの賊です。あと少しで追いつきそうだったので無理をして、結果的にわたしが取り逃す原因を作ってしまいました」
そういうと、パトリックは悔しそうに唇を噛む。
「あの賊はアハマスで捕らえられましたか? かなり長距離を追ったので、だいぶ馬が疲れていたように見えたのですが」
「いや、捕らえていないな」
「──そうですか」
パトリックはあからさまに落胆した表情をみせた。
セシリオは顎に手をあてて考え込んだ。パトリックが大怪我したのはセシリオがフィリップ殿下の結婚式に参加するために王都に向かっていたくらいの頃──治安維持隊を派遣する前だ。記憶を辿っても、その頃に賊を捕らえたという話は聞いたことがなかった。
「怪我をした足は、もう大丈夫なのか?」
セシリオが訊くと、パトリックはにこりと笑う。
「はい、見ての通りです。もう三ヶ月近く経ってますから。特にここ二週間は毎日サリーシャ様が散歩やダンスに付き合ってくれるので、凄い早さで回復しています」
「毎日、サリーシャが?」
「お兄様とサリーシャ様は仲良しなんですのよ」
近くにいたローラがにこにこしながらセシリオを見上げる。
それを聞いたセシリオはなんとなくもやもやしたものを感じたが、パトリックもサリーシャも笑顔なのでなにも疚しいことはないのだろう。
そのとき、「セシリオ!」と背後から声をかけられてセシリオは振り返った。開いたままのドアの向こうからジョエルとメラニーが近づいてくるのが見えた。今ちょうど帰ってきたばかりなのだろう。ジョエルの腕には外出用の上着がかかっている。
「お邪魔しております、義兄上」
「邪魔などと、とんでもない。いつでも大歓迎だ。よく来てくれた」
笑顔で両手を広げたジョエルはセシリオに歩み寄ると、肩をポンポンと叩く。
「今日はセシリオも来たことだし歓迎の晩餐にしよう」
ジョエルは機嫌よく妻のメラニーに声をかける。斜め後ろにいたメラニーも、「ええ、そうね」と笑顔で頷いた。
***
部屋に着いたセシリオは、着ていた上着を脱ぐとそれを無造作にソファーに脱ぎ捨てた。部屋のドアの方を振り返ると、サリーシャがドアの前で立ち尽くしたまま、所在なさげにこちらを見つめている。
「サリーシャ、どうした?」
優しく微笑みかけると、サリーシャはキュッと口元を引き締めた。まるでなにかに耐えるような顔をして、セシリオを見返してきた。
「サリーシャ?」
セシリオは戸惑った。
てっきり、二人きりになればサリーシャは自分に駆け寄って抱きつき、甘えてくると思っていた。それなのに、サリーシャは距離を置いたまま立ち尽くしている。なぜかその表情が泣きそうにも見えたのだ。
さっき再会したときにはあんなに嬉しそうに笑っていたのにと、妙な焦燥感のようなものにかられる。
「どうした? ここにいる間に困ったことでもあったか? 姉上になにかきつく言われた?」
「──いいえ、皆さまとても親切です。メラニー様も、色々と教えて下さって感謝しています」
「そう? ならいいのだが……」
なおも距離を保ったままのサリーシャの様子を怪訝に思い、セシリオはサリーシャに近づいた。いつものようにその滑らかな頬に手を伸ばすと、瑠璃色の瞳が動揺したように揺れる。
サリーシャが一歩後ずさり、伸ばした手は虚しく空を切った。




