第ニ十六話 疑惧(ぎぐ)
アハマスの領主館の一室。
領主であるセシリオは明日からの不在に備えてやり残したことがないかを最終確認していた。
「閣下、西部の橋の建設予算の承認を……」
「そこに置いた」
「閣下、新たな学校建設の計画案はご覧いただけましたでしょうか? このまま進めていこうと考えております」
「ああ、頼む」
「閣下、先日お渡しした軍備の配備計画は──」
「今夜までに見ておく」
「閣下、そろそろ雨の季節に備えた防災計画案の認可を──」
「それなんだが、もっと根本的な治水工事に力を入れるべきだ。もちろん洪水が起きた際の対応はあれでいいと思うが、平行して河川整備計画を出せ。洪水は発生させないことが鉄則だ」
「かしこまりました」
恭しく頭を下げた政務官が退室したのを見計らい、セシリオははぁっと息を吐いた。首を横に倒すと、ゴキゴキっと関節が鳴る独特の音がする。
セシリオはとにかく毎日が忙しい。
もちろん、政務官やモーリスを始めとする軍の要人には、要点だけを端的にかいつまんで説明させている。彼らは非常に有能でセシリオの判断が必要なことだけを的確に伝えてくるが、それでも目の回る忙しさだ。
セシリオは執務机の椅子に座ると、水を一口飲んでから端に寄せられた手紙を手にとった。そこには何通もの手紙が重ねられている。
これら全て、このニ週間と少しの間にサリーシャから届いたものだ。二日と置かずに手紙は届き、それは忙しいセシリオにとって癒しとなっていた。
内容はその日にどんな手伝いをしただとか、三人の子ども達となにをして遊んだだとか、そんな他愛のないことだ。
今日届いた手紙を開き、セシリオはおやっと思い、眉を寄せた。
先日、社交パーティーで使用する品物の発注ミスをしてしまったと書かれた手紙がとどいたのだが、また同じようなミスをしてしまったと落ち込んでいる内容だ。
「──珍しいな……」
セシリオから見ると、サリーシャは注意深い性格をしている。なにかに取り組むときは何度も確認して、間違えがないように気を付けるタイプだ。だからこそ、田舎育ちの平民でありながら完璧なまでの貴族令嬢になりきり、フィリップ殿下の婚約者の最有力候補にまでなれたともいえる。
もちろん、どんなに注意深い性格の人物でもミスをすることはある。しかし、こんな短期間に二度も同じ間違いをしたというのに、違和感を感じた。
セシリオはもう一度手紙を最初から目でなぞる。文面からは、その場にいなくとも、とても落ち込んでいるであろうことがわかった。
その場にいれば励ましてやることも出来るが、離れた場所にいてはそれも出来ない。手紙を書くにも、セシリオも明日出発するのだから手紙と本人の到着が同時になってしまう。
──こんなとき、近くにいてやれればよいのだが……。
物理的な距離に歯がゆさを感じずにはいられない。
手紙を眺めているとトン、トン、トンとドアをノックする音がして、セシリオはまた文官が来たのだと思い入室の許可をだそうとした。しかし、声を出す前にドアが開いてモーリスが顔を出した。セシリオと目が合うと口の端を上げる。
「準備は万端か?」
「だいたいな」
後は先ほど今夜までに見ると約束した軍備の配備計画案を確認し、モーリスに留守中の引き継ぎをするだけだ。
「そりゃ、よかった」と言うと、モーリスは執務室のソファーにドサリと腰を下ろす。
「ちょうどデニーリ地区におくった治安維持隊からの報告が届いた。セシリオがプランシェに行くついでにアルカン長官のところに寄るって言ってたから、報告しておこうと思ってな」
「ああ、それは助かる」
セシリオはすくっと立ち上がると、モーリスの向かいに腰をかけた。モーリスはセシリオに今日届いたばかりの報告書を手渡す。セシリオはそれをパラパラと捲り、中を確認した。
「見ての通り、それなりの成果だ。この一ヶ月で五回ほど例の窃盗団が出て、二回は直後に追跡して捕らえることに成功した。二回とも派遣した治安維持隊の成果だ」
「捕らえられたのはどういう連中だ?」
「まだ十代や二十代になったばかりの若いやつらばかりだそうだ。殆どが孤児院出身で、あまりいい職に付けなかった貧困層だな」
「そうか……。首謀者にあたりはついたのか?」
「いや。それが、少々やっかいだ」
「やっかい?」
静かに聞いていたセシリオの視線が鋭いものに変わる。その眼差しをまっすぐに受け止め、モーリスも真剣な様子で見返した。
「前に連中は義賊を気取っていると言っただろう? どうも、窃盗団に加入しているやつらは首謀者を崇拝しているような気がある」
「──首謀者を崇拝……」
「ああ。何人かは捕まったのに、誰ひとりとして口を割らないそうだ」
「なるほどな……」
セシリオはぐっと眉を寄せ、口をへの字にする。首謀者を崇拝しているとなると、そう簡単には口を割らないだろう。
「あと、今回起きた五件のうち一件、気になる証言があったそうだ」
「気になること?」
「ああ。襲われる直前、子どもが飛び出してきたと」
「子ども? その窃盗団の一味か?」
「わからない。ただ、その子どもに驚いて馬車を止めたところで襲われたと。子どもは気づいたときにはもういなかったそうだ」
モーリスの説明を聞きながら、セシリオの表情は益々厳しいものへと変わる。
馬車の前に子どもが飛び出すなど、一歩間違えば死ぬ可能性だってある。偶然だろうか。しかし、偶然にしてはタイミングが絶妙だ。
セシリオは額に手を当てて考え込んだ。
部下たちから崇拝されるような人物が、そんな一歩間違えば死ぬかもしれないような危険な真似をさせるものか? なぜ捕らえられた者たちは誰ひとりとして口を割らないのだろうか。
──なにかがおかしい……。
得体の知れないなにかが蠢いているような、妙な胸騒ぎがした。
活動報告に書影を公開したので、ご興味のある方は見てみて下さいね!




