第二十五話 動揺
「よくない噂?」
動揺からサリーシャが掠れた声で聞き返すと、メラニーは肯定するように頷く。
「あなたがとてもしたたかな、悪女だと」
その瞬間、サリーシャはハッと息を呑んだ。
なぜラウルが怒られているのを聞いたときに既視感を覚えたのか、ようやく思い出した。
あのときにサリーシャの陰口を叩いていたご令嬢達を叱りつけたのは、メラニーの声だった。
サリーシャは乱れる心を落ち着かせるために、両手をぎゅっと握りしめた。手のひらに嫌な汗をかいているのを感じた。
「わたくしはね、高位貴族の妻たるもの、多少したたかでも構わないと思っているの。なぜなら、多少のしたたかさがあった方が周りとの駆け引きを上手くできるからよ。それに、セシリオが断れなくてサリーシャ様を受け入れたという憶測もそのときに耳にしたのだけど、あの日のセシリオの様子を見て多分それは違うと思ったわ。あの子はとても愛おしげな瞳であなたを見つめていたもの」
メラニーは落ち着いた口調でサリーシャに語り掛ける。
「でもね、貴族の結婚というのは『愛おしい』と思う気持ちだけでもダメだとも思っているの。だって、わたくし達にはしっかりと領地を治める義務があるのだから、それ相応の妻を娶るべきだわ。だから、わたくしは今回サリーシャ様をここにお呼びしたとき、二つの目的を持っていました」
「二つの目的?」
「そうよ。一つはサリーシャ様に一日も早く辺境伯夫人として必要な知識を得ていただく手助けをすること」
メラニーは一旦言葉を切ると、サリーシャのことをまっすぐに見つめてきた。
「もう一つは、サリーシャ様がアハマス辺境伯夫人として相応しいかを見極めるためよ。本当に噂通りの悪女なのかどうかをね」
サリーシャは信じられないものを見るかのように、メラニーを見つめた。
もしかして、最初から自分はこの人達に値踏みをされていたのだろうか。
メラニーはサリーシャの視線からにげるように、ふいっと視線を下に逸らす。
「気を悪くなさらないで欲しいのだけれど、最初からレニーナ様にはサリーシャ様のことをよく見ておいて欲しいとお願いしてありました。──それで……、先ほどサリーシャ様のことを聞いたのよ。そうしたら、レニーナ様は『彼女なりにとても頑張っているように見える』と言ったわ。けれど、きちんと頑張ってくれてこんなにミスを多発するようでは、先が思いやられるの──。女主人はその家の顔よ。毎回毎回間違えました、では済まされないわ。アハマス家に対して悪い印象がついてしまうの。悪女とかそういう以前の問題だわ」
落ち着いた、けれど、はっきりとした口調で語られるメラニーの言葉がぐさりと胸に突き刺さる。初めて会ったときのレニーナのあの値踏みするかのような眼差しにようやく合点がいった。
メラニーがいうことは、全て領地を守る立場の者として間違っていない。なにも言い返すこともできなかった。
黙り込むサリーシャをちらりと見つめ、メラニーはもう一度息を吐いた。
「とにかく、もう少し気を引き締めて。このままでは、わたくしはセシリオにサリーシャ様は辺境伯夫人としての資質に欠けるから、子どもができる前に離縁すべきだと進言しなければならないわ」
「そんなっ!」
「この話は以上よ。後で当日の装花と手土産について最終打ち合わせをするから、それには同席して。──……お願いだから、これ以上失望させないで」
メラニーは突き放すような口調でそういうと、サリーシャから顔を背けてすくっと立ち上がった。
サリーシャはショックのあまり、メラニーの部屋を出たあとにしばらくドアの前で立ち尽くした。
“これ以上、失望させないで”
その一言が全てを物語っている。
きっと、自分はメラニーからセシリオの妻として未熟であると思われているのだろう。サリーシャが女主人だと、アハマス家に泥を塗られると考えたのかもしれない。
「……ふっ……ひっく……」
会いたい。
会って、いつものように『なにも心配はいらない』といって、優しく抱き締めて欲しい。
全く反論できなかった。
セシリオの隣に立って恥ずかしくない女性になりたいはずなのに、それとは程遠い自分。それどころか、今サリーシャが求めているのはセシリオの優しい抱擁だ。
──本当に、わたくしはセシリオ様に甘えてばかりだわ。
“アハマス卿もお気の毒に……”
再びフィリップ殿下の結婚式で言われていた言葉が脳裏によみがえる。サリーシャは涙を堪えるように天を仰いだ。天井の四角い木目模様が霞んで見えた。
──わたくしは、セシリオ様に相応しくないのかしら。
かつて、セシリオはサリーシャ自身を愛しているからサリーシャを妻にしたいと言ってくれた。こちらを見つめていた真摯なヘーゼル色の瞳はどこまでも透き通って純粋だった。
サリーシャはその言葉に偽りはないと今も信じている。そして、事実としてセシリオはサリーシャを妻にしてくれた。
けれど、気弱になった今、思ってもみなかったことが脳裏を過る。
──セシリオ様のことを思うなら、わたくしはこの結婚を断るべきだったのではないかしら?
ここ最近の自分の体たらくを見て、そんなふうにすら思えてきた。
サリーシャはセシリオを心から愛している。自分のせいで彼を不幸にしたくないのだ。
呆然としたまま部屋に戻ると、ノーラが心配そうに待っていた。
「サリーシャ様、どうなされました?」
「いいえ、なんでもないのよ」
サリーシャはふるふると首を横に振る。ノーラにまで心配をかけさせるなんて、本当になんてダメなのだろう。もっとしっかりしなければと、ぐっと唇を噛みしめた。
ノーラはぎゅっと眉を寄せてサリーシャを見つめていたが、無理に聞き出すことを諦めたのか、なにも言わずに温かい紅茶を淹れてくれた。
そっと差し出されたティーカップから立ち上る優しい香りが、心に染みる。
「先ほどローラ様がいらっしゃいまして、刺繍を教えて欲しいと仰っておりましたが、いかがなさいますか? 後は、ラウル様も遊んで欲しいと」
「ローラ様とラウル様が? では、これを飲んだらお二人のところへ行くわ」
サリーシャはノーラに心配させないようににこりと微笑むと、紅茶をゆっくりと飲み干した。あの二人と過ごせば、この陰鬱な気持ちも少しは晴れるかもしれない。




