第二十二話 親睦②
プランシェ伯爵邸は自然豊かな庭園に囲まれている。
王都の作り込まれた人工的な庭園とも、アハマスでサリーシャが管理している中庭とも違う、元々ここにあった森の木々をそのまま残したような、自然と融合した美しさのある庭園なのだ。
サリーシャはその広い庭園の一角で、パトリックと共に遊んでいるラウルを見守っていた。小路の脇のベンチに腰をかけると、パトリックはふうっと息を吐き、足をいたわるようにさすった。
「痛みますか?」
「痛くはないんだけど、筋肉が落ちてしまって。すぐに疲れて怠くなる。もっと歩かないと」
パトリックは座ったままサリーシャを見上げると、困ったように笑う。
「ダンスの練習が出来ていないのが一番問題なんだ。ほら、もうすぐ社交会に出るのに、ダンスのリードが下手だと……」
パトリックの声は言葉尻にいくにつれて小さくなる。よく聞き取れなかったが、きっとリードが下手だと格好悪いとかそんなところだろう。
パトリックは十六歳。次の王宮舞踏会で社交会に出て大人として認められ、多くのご令嬢とダンスを踊ることになる。その中には彼の未来の花嫁もいるかもしれない。
「もうダンスの練習をしてもいいのですか?」
「いいと言われたけれど、下手くそだとからかわれたくないから……」
またごにょごにょと濁したような声が聞こえる。
ダンスの先生が足を悪くした教え子に対して下手くそなどとからかうはずもないので、きっとレニーナかローラのどちらか、親しい親族がダンスの相手をしているのだろう。
サリーシャはその横顔を見つめた。三つしか年は変わらないし背もサリーシャより高いが、男性の十六歳はまだ成長期だ。その表情には、子どもっぽさが残っていた。
「では、わたくしがお相手しましょうか?」
「え? ……いいの?」
「もちろんですわ」
驚いたように目をみはるパトリックに、サリーシャは笑顔で頷いた。
「きっとパトリック様は社交会に出たら大変な人気になるでしょうから、わたくしがお相手して頂けるチャンスも最後かもしれません」
サリーシャはおどけたように笑う。まだあどけなさが僅かに残るパトリックだが、数年もすればアハマス家譲りの男らしい体躯とジョエル譲りの柔らかい印象を併せ持つ、素敵な男性になることだろう。今からその想像がついて、サリーシャは口元を綻ばせた。
「そんなこと……」
眉を寄せたパトリックが何かを言いかけたとき、遠くで大きな呼び声がした。
「兄上! サリーシャ様! 見て!」
少し離れた場所で足元を見ていたラウルは、手で土をほじってなにかを拾い上げると得意気な表情で駆け寄ってきた。
「昼間なのに、珍しいものを見つけたよ。見せてあげる」
少し勿体ぶったようなしぐさをしてから、ラウルは握っていた手をゆっくりと手を開く。そこには、焦げ茶色に光る虫がいた。
「まあ。立派なカブト虫ですわね」
「サリーシャ様、知ってるの? 姉上はこれ見せるとキャアキャアいって逃げていくんだ」
「そうかもしれませんね」
サリーシャはふふっと笑う。きっと、それが普通のご令嬢の反応だろう。
「実はわたくし、子どものころ、お友達とたまにカブトムシを闘わせて遊んでいました」
「闘わせて? サリーシャ様は変わった子だったんだね」
ラウルは目を真ん丸にしてサリーシャを見上げる。けれど、セシリオと同じヘーゼル色の瞳は興味津々の様子できらきらと輝いていた。
「サリーシャ様は虫が平気なの? レニーナ様と一緒だね。じゃあ、いい場所があるんだよ。夜になると虫が光るんだ。昔、叔父上に連れて行ってもらったんだけど、すごく綺麗なんだ」
「叔父上? セシリオ様のことかしら?」
「うん、そう。川沿いで、光る虫がたくさん飛んでいるんだよ。一緒に行った姉上はその場では綺麗だって楽しんでたんだけど、連れて帰るって従者に捕まえさせたら黒い虫がいて、本当に大騒ぎだった。でも、サリーシャ様は平気だね」
「光る黒い虫……」
それは、蛍のことだろうか。
サリーシャが昔住んでいた田舎にも、ある時期になると川沿いに無数の光が飛び交う景色が見られた。夜に子どもが出歩くのはいけないことだったけれど、収穫祭とその季節だけは特別にそれが許された。兄弟姉妹達と手を繋ぎ、いつまでもその景色を眺めていたものだ。
「……シャ……」
「サ……シャ様」
「サリーシャ様!」
名前を呼ばれて我にかえると、怪訝な表情のラウルがこちらを見上げていた。昔のことに思いを馳せてぼうっとしてしまった。
「ねえ。僕、あっちに行ってきていい?」
指差す方向は池になっており、その奥にはまた木々が立つ庭園が広がっている。池の上には木々から落ちた葉が浮いており、ゆらりゆらりと川面に揺れている。
ラウルはサリーシャが返事をする前に、トタトタと走り出した。
「お待ちください。一人では危ないわ」
すぐに追いかけようとして、サリーシャはハッとした。あちらは小路が整っていないうえにごろごろと岩が転がっている。足を悪くしているパトリックには、行くのが辛いかもしれない。振り返るとパトリックとすぐに目があった。パトリックはすぐにサリーシャの言いたいことを理解したようで少し首を傾げると、にこりと笑う。
「俺は屋敷のまわりをのんびり散歩してから部屋に戻るから、気にしないで。また後で」
「はい、お気をつけて」
サリーシャは軽く会釈すると、ラウルの後を追って走り出した。
***
夕食後、サリーシャはメラニーと料理長との社交パーティーの食事について打ち合わせに同席した。
何気なく食べている料理の一つをとっても、領地の有力者たちを招待するので出来るだけ領地の特産物を使用しながら、どこかの地域だけの作物に偏らないように細心の注意を払う。合わせる果実酒も招待した近隣の他領から仕入れるなど気を使っていた。
さらにはメニューも、若い人から年配者まで食べやすいようにと工夫されていた。
「色々と気を遣わなければならない点があるのですね。勉強になります」
サリーシャが感心したように呟くと、メラニーは笑顔で頷く。
「ちょっとしたことだけど、皆さんに気持ちよく過ごしていただくために必要な事よ」
きっと、こういう気配りはサリーシャひとりでは気付けなかっただろう。
セシリオがいないのは寂しいけれど、ここに来てよかったと思う。
サリーシャはその日の晩、そんな想いを書き綴ってセシリオへの手紙をしたためた。




