第二十一話 親睦
三人でお喋りをしながら行った招待状への返信の整理は、二時間ほどかけて終わらせた。それを持ってメラニーの部屋へ行くと、メラニーは静かにサリーシャの手渡したノートを確認してゆく。
シーンと静まり返った部屋に、パラパラと紙を捲る音がやけに大きく聞こえる。サリーシャは緊張の面持ちでその様子を見守った。
「ありがとう。よくできているわ。後で席順を決めましょう。夕食後に料理長と当日の食事の打ち合わせをするから、そのときにサリーシャ様とレニーナ様のことはお呼びするわね。それまでは自由にしていらして結構よ」
顔を上げたメラニーが柔らかく微笑むのを見て、サリーシャはホッとした。セシリオからは『女性にしては厳しい』と聞いていたが、今のところはとても穏やかで優しい。
「はい。ありがとうございます」
サリーシャは笑顔でお辞儀すると、部屋を後にした。
──メラニー様は自由にしていいっておっしゃっていたけれど、どうしようかしら……。
サリーシャは頬に手を当てて考え込んだ。
休憩していていいというのだから、部屋でゆっくりしていてもいいのだろう。現に、レニーナとローラは既に自室へと戻ってしまった。
けれど、居候の身でゆっくりしているのも悪い気がしたサリーシャは、屋敷の一階へと向かった。おずおずと使用人達の部屋を覗くと、中では侍女達が忙しなく仕事をしている。
「こんにちは」
意を決して声をかけると、中にいた屋敷の侍女達はハッとした様子でこちらを見つめ、一様に驚いたような顔をした。突然訪ねてきたサリーシャに慌てた様子だ。
「いかがなさいましたか?」
「あの、なにかお手伝いできることはないかと思って」
サリーシャの申し出に、侍女たちはさらに目を丸くして顔を見合わせた。
「大切なお客様に、手伝いなどさせるわけには参りません」
「実はわたくし、メラニー様のお心遣いでここにはお客様ではなくてお勉強のためにきているの。居候なのにのんびりと休憩していていいのかと思ったのだけど、なにもわたくしにできる事はないかしら?」
再び顔を見合わせる侍女たちの合間を縫うように、一人の女性がサリーシャの前へと歩み寄った。頭に付けたヘッドドレスに赤いマークが付いているので、彼女は侍女長だろうと予想が付いた。
「例えそのような理由があっても、辺境伯夫人であらせられるサリーシャ様にわたくし共の雑務をしていただくわけにはまいりません」
「そう……よね。ごめんなさい」
眉尻を下げるサリーシャを侍女長はじっと見つめる。そして、少し考え込むように片手を頬に当てた。
「わたくし共の雑務をお任せすることはできませんが、お坊ちゃまのお相手をお願いできますか?」
「お坊ちゃま?」
「ええ。ラウル様はまだ遊びたい盛りですから、お相手していただけるととても助かりますわ」
「! ええ、わかったわ。わたくし、子どもの相手はよくするの。任せてちょうだい」
「はい、お願いします」
嬉しそうに表情を綻ばせたサリーシャを見つめ、侍女長も目尻を下げた。
そしてその十五分後、サリーシャはラウルの部屋の前に立っていた。
片手にはラウルが好きだという果実水と焼き菓子、それに自分用のティーカップが乗ったトレーを持っている。
サリーシャはすうっと息を吸った。
突然訪ねて大丈夫なのかと心配するサリーシャに、侍女長は大丈夫だと微笑んでくれた。しかし、やはり少し緊張する。
トントンと部屋のドアをノックすると、『どうぞ』とラウルにしては低い声がした。
「失礼します」
そっとドアを開けると、部屋の奥の窓際に置かれたテーブルに向かって、ラウルが座っているのが見えた。その向かいには兄のパトリックがおり、二人の間にはチェスが置かれている。
「あれ? サリーシャ様? どうしたの?」
ラウルとパトリックはサリーシャの顔を見て、二人ともきょとんとした表情を浮かべた。どうやら、兄弟でチェスをしていたところにサリーシャが訪ねてきたので、驚いているようだ。
サリーシャはどうしようかと一瞬迷ったものの、ここでなにも言わずに立ち去るのはさすがにおかしいだろう。
「軽食をお持ちしました」
にこりと笑うと二人の前に歩み寄り、果実水をラウルの前に、自分用に用意したティーカップをパトリックの前に、焼き菓子をゲームボードの横に置いた。
邪魔だからすぐに立ち去ろうとしたが、それを止めたのはラウルだ。
「ねえ。サリーシャ様は、チェスはできる?」
「チェス、でございますか?」
思わぬ質問に、サリーシャは戸惑った。ルールは知っているが、やったことは殆どない。正直にそう伝えると、ラウルは目を輝かせた。
「やり方を知っているなら、一緒にやろうよ。兄上は強すぎるからつまらない」
口を尖らせるラウルを見て、遊び相手をしていたパトリックは苦笑する。テーブルの上に置かれたチェスボードを見ると、確かに勝敗はほぼついている状態だった。
「本当はお外で遊びたいけど、兄上がまだ本調子じゃないから。ルーリィは、僕一人で外に遊びにいっちゃ駄目だっていうんだ」
頬を膨らませたまま、ラウルは壁際に控える年配の侍女を恨めしげに見つめた。目が合った侍女が苦笑いしたので、ルーリィとは彼女のことのようだ。
見た感じでは五十歳近いように見える。確かに、ラウルが走り回ったら、彼女はついていけないだろう。
「では、わたくしがお外にご一緒しましょうか?」
「本当? 行きたい!」
「では、このゲームが終わってから──」
「このゲームはもういいよ。兄上、途中で終わったから、これは引き分けだからね」
ラウルはそういうと、いそいそと駒を片付け始めた。ゲームが途中で中断されて、ラウルにとってはむしろ好都合だったようだ。
「パトリック様はどうされますか?」
「俺も行こうかな。医者に、無理しない程度に歩く距離を増やせといわれているんだ」
「そうですか。では、一緒に参りましょう」
立ったままのサリーシャは、また昨晩のようにパトリックがよろけるのではないかと思い、椅子に座るパトリックの前に手を差し出した。
パトリックはその手を眺めたまま、しばし呆けたような表情をした。しかし、すぐに自分に差し出されたのだと気付いたようだ。
「……ありがとう」
小さな呟きと共に、手が重ねられる。ほんのりと赤くなった耳をみて、時々同じような反応を示す誰かさんの顔が脳裏に浮かんだ。
──セシリオ様の仰っていたとおり、三人とも、とてもいい子達だわ。
サリーシャはパトリックとラウルを見つめて、にっこりと微笑んだ。




