第二十話 社交パーティの準備
翌日から早速、メラニーによるサリーシャへの指導が始まった。
朝食後、ローラとレニーナと共に呼び出されて向かった先は、メラニーの私室だ。
メラニーの私室は屋敷の二階、廊下の突き当たりのやや手前に位置していた。部屋を開けるとすぐに見えるのは小さな応接セット。その奥にはセシリオが使っているのよりは一回り小さな執務机が置いてある。
そこだけを切り取って見れば、男性的な殺風景な部屋に見えるだろう。
しかし、やさしい色合いの花が刺しゅうされたカーテン、さりげなく出窓に置かれた装花、壁沿いのサイドボードにセンス良く並べられた陶器……。執務机がありながらも部屋全体には女性らしい華やかな雰囲気が漂っていた。
「早速だけど、社交パーティーの準備を手伝ってもらうわ。まずはこれ」
メラニーが指さした先に置かれた木箱の中には、上質な封筒類が乱雑に入れられていた。
「関係者への招待状は先月送付したから、ここにそれに対する返信があります。この返信を確認して、誰が参加するのかを整理してほしいの。氏名と同伴者と書類にまとめて、さらに諸侯なのか、地区長官なのか、領地の有力者なのか肩書きごとに整理して。まとめたら席順を決めるから持ってきてくれる?」
すらすらと為すべきことを説明してゆくメラニーに、サリーシャはじっと耳を傾けた。
部屋から大きな木箱を運び出すと、応接間の一室を使ってサリーシャ達は早速封筒を開封し始めた。伯爵家からの招待とあって、欠席者は殆どいない。
サリーシャは一枚一枚それを丁寧に開いてゆくと、ノートに参加者名と同伴者、肩書きを書き写していった。
全部で百通くらいあり、一番多いのは領地内の有力者達だ。農家だったり、商店だったり、銀行だったり、職種は様々だった。
次のものを、と思って封筒を手に取り、サリーシャははたと動きを止めた。手にした封筒の口には赤い封蝋が施され、見慣れた紋章が刻印されている。表を見ると、それは予想通りセシリオからだった。
──セシリオ様からだわ!
自分宛ではないのだが、セシリオからの手紙だと思うと妙に胸がこそばゆい。わくわくした気分で封を開けると、丁寧に三つ折りにされた便箋を開いた。そこには参加者として『セシリオ=アハマス』、同伴者に『サリーシャ=アハマス』、そして、サリーシャが世話になるがよろしく頼むと書かれていた。
「サリーシャお姉様? どうしたの?」
手紙を見て笑みを浮かべるサリーシャに気付き、ローラが不思議そうにこちらを見つめる。サリーシャは慌てて表情を取り繕った。
「ああ、なんでもありませんわ。たまたま手に取った手紙がアハマスからだったので」
照れを隠すように手紙を胸元へと引き寄せる。その様子を横から見ていたレニーナは、サリーシャの顔と手紙を交互に見比べた。
「そういえば、サリーシャ様はどういうご縁でセシリオ様と?」
心底不思議そうに首を傾げられ、サリーシャは言葉に詰まる。
「ああ、ごめんなさい。マオーニ家とアハマス家は今までそんなに親しくはなかったと思うのに、どうしてなのかしらと不思議に思っただけなの」
黙り込んだサリーシャを見て、レニーナは気を害したと思ったようで、慌てた様子でそう言い加えた。
「──セシリオ様とはわたくしが小さな頃に一度お会いしたことがあるのですが……。昨年、わたくしが大怪我して嫁ぎ先がないと噂になったので、憐れに思って同情して下さったのではないかと。セシリオ様はお優しいから……」
「憐れに思って?」
自分でそう言いながら、胸がチクンと痛むのを感じた。封を開けていたローラは手を止め、不思議そうにサリーシャを見つめる。レニーナはなんともいえない表情を浮かべ、眉根を寄せていた。
「じゃあ、叔父様とサリーシャお姉様は恋愛して婚約したわけではないの?」
きょとんとした様子のローラは確認するようにサリーシャに訊ねる。
「恋愛してからの婚約……ではないかもしれません」
サリーシャはセシリオに間違いなく恋をした。けれど、それは婚約してからだ。婚約してアハマスに赴いてから、一緒の時間を過ごすうちに彼の優しさに触れて、惹かれていった。
「ふぅん」
ローラは気の抜けた相づちを打つと、持っていた開きかけの封筒をテーブルに置く。そして、トンと両手をテーブルについて身を乗り出した。
「わたくしはね、いつか恋愛結婚するの。素敵な誰かと恋に落ちて、幸せな結婚をするのよ。素敵でしょう?」
体を前に乗り出したままそう断言すると、ローラは両手を胸の前で組み、夢見るような表情をみせた。叶わないわけがないと確信するかのようなその様子に、サリーシャは相好を崩す。
ローラはまだ十ニ歳。まだ知らぬ『恋』というものに、一番憧れが強い年頃なのかもしれない。
「ええ、素敵ですわ」
にっこりと微笑んで同意すると、ローラは表情を益々輝かせた。
「嬉しい! サリーシャお姉様も素敵だと思うのね? やはり、結婚は恋した相手としないと」
「はい。そうですわね」
恋した相手であるセシリオと結婚したサリーシャはとても幸せだ。この可愛らしい少女にいつか素敵な男性が現れることを祈った。
「レニーナ様は、ご結婚自体がお嫌なのですか?」
サリーシャは静かに座ったまま話を聞いていたレニーナにもおずおずと話を振った。
レニーナはとても綺麗な女性だ。二十二歳は結婚に適した年齢だが、あと数年もすれば兄のジョエルが心配する通り、貴族令嬢としては行き遅れと言われるようになってしまうだろう。きっと、男性からのお誘いも多いだろうにと不思議に思ったのだ。
「わたくしはね、プランシェが好きだから、あまり遠くには行きたくないのよ」
サリーシャはなんと答えればよいかわからず、静かにレニーナを見返した。貴族の当主であればほとんどの場合は領地があるので、どうしても遠方に嫁ぐことになるのは仕方がないことだ。
「いろいろと思い描いていたことはあったけれど、機会を逸してしまったわ。ままならないものね」
レニーナは少し寂しげに笑うと、目を伏せて残っていた手紙に手を伸ばす。封を開けるカサりという音がシンとした部屋に響いた。
──レニーナ様は、お慕いしていた方でもいたのかしら?
サリーシャはその横顔を見つめたけれど、なにも窺い知ることはできない。ローラはそんなサリーシャとレニーナを交互に見つめると、きゅっと唇を引き結んだ。




