第七話 待ち人
セシリオはいつになく落ちつかない様子で、部屋の中を行ったり来たりしていた。机に向かって執務に集中しようと思うのだが、十分もすると窓の外が気になってならない。我慢出来ずに結局は立ち上がって窓辺にゆき、外を眺めては何かを確認するように注意深く視線を動かす。
仕事の速さには定評があるのだが、今日はさっきからちっとも仕事が進んでいない。
「おい、セシリオ。そんなに右往左往してもお前の待ち人が到着する時間は変わらないぞ。さっさと仕事しろ」
同じ執務室で書類を確認していたアハマスの軍隊ナンバー2であるモーリスは、呆れたようにセシリオを窘めた。
「っつ! わかっている」
痛いところを突かれたセシリオはぐっと眉を寄せ、おずおずと椅子に座って書類に目を通し始める。しかし、十分もすれば元の木阿弥。また窓の外が気になってたまらなくなる。まるで、誕生日を前にプレゼントを待つ子供のようだと、セシリオは自分自身に苦笑した。
窓の外は青い空が広がり、遥か遠くまで見渡せるほどに爽やかに晴れていた。豪華な馬車とはいえ、雨が降って足下が悪くなると揺れて乗り心地が悪い。サリーシャのようなか弱い女性ではさぞかし辛かろう。セシリオは天に向かってこの快晴を感謝した。
「なに、大丈夫さ。俺のアドバイスどおり、手紙もつけたんだろ?」
じっと外を眺めていると、ポンと肩を叩かれた。目を向ければ、椅子に座って書類を確認していたはずのモーリスもセシリオの隣に立ち、窓の外を眺めていた。モーリスは、セシリオが花嫁がここに来ないことを心配していると思ったのだろう。
「ああ。つけた」
セシリオは小さく返事する。モーリスは「じゃあ、大丈夫だ」と言って片側だけ器用に口の端を持ち上げると、今度は背中を力一杯バシンと叩いた。
アハマス辺境伯であるセシリオは、とても有能な男だ。自分に厳しく、仕事はまじめ。そして勇猛果敢で部下たちの信頼も厚い。しかし、色恋沙汰には少々不器用だ。
辺境の地で男ばかりの軍人たちに囲まれて生きていたので仕方ないといえば仕方ないのだが、これだけ有能な男、しかも高位の爵位持ちがこの歳まで独身で残っているのも珍しい。
今回も仕事の都合で未来の花嫁を迎えに行けないというのに、断りの手紙一つ付けずに馬車を送り出そうとして、慌てて周囲に止められていた。そして、最終的に懇切丁寧に手紙の指導をしたのはモーリスだった。
もともと、セシリオには幼いころに家格の釣り合いを考えて家同士で決められた婚約者がいた。相手は国防軍を兼ねた辺境伯であるアハマス家とは切っても切れない、剣や鎧、火薬など武器を扱う国内最大の商社を擁するブラウナー侯爵家の娘だ。
六つ年下のその侯爵令嬢がやっとこの国の結婚適齢期とされる十七歳に差し掛かったのは五年程前のこと。セシリオは親の遺言に従い、彼女をここアハマスに呼び寄せた。
しかし、その少し前にアハマスの国境付近で一年間にも亘る戦争が終わったばかりだったこともあり、当時のアハマスは全体的にくたびれていた。さらに、当時のセシリオは亡くなった父に代わり務め始めた辺境伯としての仕事も相まって、心身ともにほとんど余裕がなかった。
王都のタウンハウスに住む箱入り娘だったその侯爵令嬢はそんなこともあり、アハマスには親に仕事ついでに連れられて何回か来たことがあるにも関わらず、「こんな辺境の地、かつ危険な地域には住めない」とわがままを言い出した。
そこですぐに手紙や花、宝石でも贈るなりして、相手の機嫌をとればよかったのだが、当時のセシリオにそんな気の利いたことはできなかった。モーリスもそこまで気を回すこともなかった。
セシリオなりに誠意は見せたようなのだが、説得の甲斐なく彼女は実家に帰ってしまった。そして、最終的にそのままアハマスに戻ることなく婚約解消となり、今に至る。
そうこうするうちに、セシリオはもう二十八歳だ。さすがに三十前には結婚しないとまずいと、周りが色々とお膳立てしようと画策したが、本人は一度目の婚約で懲りたのか、どこ吹く風で全く興味がない様子だった。
そのセシリオに変化が見られたのはつい三ヶ月ほど前のこと。
王都で起きた、王太子殿下の婚約披露パーティーでの襲撃事件の報告が王都から届いたころだった。その事件に対してやけに興味を示したセシリオに対し、モーリスを始めとする周囲の人間は特に不審にも思わなかった。セシリオはフィリップ殿下と遠い親戚にあたるし、フィリップ殿下が幼いころから顔を合わせれば剣を教えたりする仲だったからだ。
セシリオはなぜかフィリップ殿下とその婚約者を庇って大けがをしたサリーシャ=マオーニに対し、興味を示し、追加で情報を集めるように指示を出した。
このころから何かがおかしいと周りも薄々気づき始めた。そして、サリーシャが酷い大怪我のせいで貰い手がなく、下位貴族へ嫁ぐことを快く思わないマオーニ伯爵の意向もあり、六十歳過ぎのスカチーニ伯爵の後妻に収まることになったらしいと報告したあたりで、それは確信へと変わった。セシリオが、スカチーニ伯爵との婚姻話を潰して自分がサリーシャを迎えたいと言い出したのだから、周囲はもうびっくり仰天だ。
サリーシャは社交界で『瑠璃色のバラ』と二つ名を持つほどの美女だという。しかし同時に、報告書では背中に大きな傷を負い、恐らくその傷痕は酷いものだろうと記されていた。
貴族令嬢の身体に消えない大きな傷があっては、着ることができるドレスも限られる。美女である優位点を打ち消すどころか、大幅なマイナスだ。さらには、彼女がもともとは貧しい農家の娘であることも明記されていた。
「なぜ、サリーシャ=マオーニなんだ?」
モーリスは窓の外を見つめるセシリオを見やった。
わざわざ体に傷を負った庶民出の娘など迎えなくとも、アハマス辺境伯の妻の座を是非娘に務めさせたいと思う貴族連中はごまんといる。セシリオの人となりをよく知るモーリスからすれば、彼が『瑠璃色のバラ』という言葉に踊らされたとも思えなかった。
セシリオはチラリとモーリスを一瞥すると、すぐにまた窓の外を見つめた。
「どうしようもなくやるせない気分だった時に、彼女の言葉に救われたんだ。彼女が窮地なら、今度は俺が助ける番だろう?」
「救われた? 向かうところ敵なしのおまえが?」
「ああ」
セシリオは小さくそれだけ言うと、それ以上は話すつもりはないようで口をつぐんだ。そして、眼下にまっすぐと伸びる王都への街道を、ただ静かに見つめた。