第十二話 ダンス
煌びやかな大広間の中央に立つと、懐かしい感覚が蘇った。
壁に貼られた金箔が反射する蝋燭の光と、シャンデリアが放つクリスタルの輝き。頭上から優しくこちらを見つめる絵画の中の人々。そして、美しく着飾った人々。視界の端で貴婦人が手に持つ扇がゆっくりと揺れている。
サリーシャはフィリップ殿下の最有力婚約者候補だったので、王宮で行われる舞踏会はほぼ必ず出席していた。もう何回もこの場所に立ち、幾人もとダンスを踊った。それなのに、いざ相手がセシリオだと思うとサリーシャの胸は早鐘を打ち、否が応でも高鳴ってしまう。
強張った表情のままセシリオと向き合うと、セシリオの首が目に入った。
サリーシャは今日、十センチもあるハイヒールを履いてきた。それなのに、やっぱりセシリオは背が高すぎて、サリーシャの目線の高さはやっとセシリオの首なのだ。引き締まった太い首と少し出っ張った喉仏がよく見える。
少し視線を上げると、一文字に引き結ばれた薄い唇と高く通った鼻梁が目に入る。そして、鋭いヘーゼル色の瞳はサリーシャと目が合うと、優しく細まった。
「サリーシャ、もしかして緊張してる?」
「……少しだけ。分かりますか?」
「ああ。いつもより、少し顔が強張っている」
そう言うとセシリオは視線を宙に浮かせ何か考えるような仕草をしてから、またサリーシャを見つめた。
「もし上手く踊れなかったら、全部俺のせいにすればいい」
「え?」
「きみはよく王宮の舞踏会に参加していただろうから、きみが上手にダンスを踊れることは皆よく知っているだろう? 俺が人前でダンスを披露するのは……──そうだな、よく覚えていないが、本当に久しぶりだ。だから、俺が壊滅的にダンスが下手なことにしておけば大丈夫」
サリーシャはきょとんとしてセシリオを見上げた。セシリオは器用に片眉を上げる。『いい考えだろう?』とでも言いたげな表情に、サリーシャは笑いがこみ上げてきた。
どうやら、セシリオはサリーシャが上手く踊れないことを心配して緊張していると思ったようだ。フォローの仕方が何ともこの人らしいと、胸がこそばゆくなる。
「閣下のダンスはちっとも下手ではありませんわ。わたくしが緊張していたのは、小さい頃からの夢が一つ叶うからです。ドキドキを抑えられませんでした」
「小さい頃からの夢?」
「仕掛け時計の人形のように、皆の前で大好きな人と踊るのです」
セシリオの目が驚きで見開かれ、照れたようにほんのりと耳が赤くなる。「そうか」と、ぼそりと呟く声が聞こえた。
──この人は……、本当に愛しい人だわ。
緊張していた気持ちがふわりと軽くなり、ほんわかとした気分になる。すると、固かった動きも滑らかになり、足もスムーズに動き出した。クルリと回りながら、サリーシャは満面に笑みを浮かべる。目が合うと、セシリオはサリーシャを見つめて優しく微笑んだ。
──楽しいわ。
部屋に灯された明かりがいつもよりもずっと輝いて見えるのは、なぜだろう。まるで、昨日見た大聖堂のステンドグラスのように、幻想的に煌めくのだ。手を伸ばせば、その宝石に指が触れる気がした。
こんなに楽しいダンスは、初めてかもしれない。曲が終わってセシリオが端に寄ろうとしたとき、サリーシャはとても寂しい気持ちになってとっさに腕を強く握った。
「サリーシャ、もう一曲か?」
「だめですか?」
「もちろん、構わない」
セシリオはフッと笑う。
結局、セシリオはサリーシャが満足するまでずっとダンスに付き合ってくれた。
「今日は満足できた?」
「とても素敵な時間でしたわ。殿下とエレナ様はお幸せそうでしたし、閣下と沢山踊れました。ありがとうございます」
「それはよかった。こんなことでよければ、お安いご用だ。明日もあるし、さっき帰り際にフィリップ殿下と話した時には『今日、明日だけでなく、ちゃんと二年に一度以上王宮舞踏会に参加しろ』と釘を刺された。最低でも二年に一度は踊れる」
渋い顔をして肩を竦めて見せたセシリオを見上げ、サリーシャは表情を綻ばせた。明日も楽しい日になりそうだ。
フィリップ殿下の結婚式は三日三晩続く。
三日目の晩、サリーシャは前日までと同じような気分で舞踏会に参加した。しかし、実際には少し違っていた。
最初はセシリオにエスコートされながら、昨日のように次々と話しかけてくる人を彼がかわしているのを苦笑気味に見ていた。その空気が変わったのは、主役であるフィリップ殿下とエレナが入場した時だった。
ざわっとざわめきが起きて周りの空気が変わる。
サリーシャの周りのご夫人やご令嬢がひそひそと何かを囁き合うのが分かった。
主役であるエレナが着ていたのはクリーム色のシフォンの上に水色のシルクのドレープが重ねられた、可愛らしくも豪華なドレス。首の部分がスタンドカラーになっており、上半身にはボタンが並んだ珍しいデザインで、レース素材で出来ていた。
対して、サリーシャのドレスはヘーゼル色のシルクで出来た、やや膨らみの少ない大人っぽいシルエットのドレスだった。ただ、エレナと同様に首の部分がスタンドカラーになっており、上半身の前面にボタンが並んでいる。そして、素材はレースだ。
つまり、完全に一緒ではないが、かなり似たデザインだった。見ればお揃いであることがすぐに分かる。
そして、フィリップ殿下とエレナに挨拶をしたサリーシャ達がなにもお咎めなしだったことにより、それはまわりの人々にとって決定的となった。
「サリーシャ様、ごきげんよう」
「アハマス夫人、ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
「サリーシャ様──」
次々と声を掛けられて、サリーシャは困惑した。顔見知りから全く知らない人まで、にこやかな表情を浮かべて挨拶してくるのだ。
「そのドレス、凄い効果だな」
昨日との周りの人々の反応の違いに、セシリオも半ば呆れ顔だ。
新しい王太子妃であり、未来の王妃であるエレナが贔屓にしていると知らしめることは、サリーシャの想像以上に絶大な意味を持つようだ。
「セシリオ!」
そんな中、セシリオの名を呼ぶ声がしてサリーシャはそちらを振り返った。目を向ければ、一人の男性が穏やかな笑みを浮かべて片手をあげている。
サリーシャはその男性を見て怪訝に思った。皆がセシリオのことを『アハマス閣下』と呼ぶ中、この男性だけは『セシリオ』と親しげに呼び捨てにしたのだ。
「義兄上! お久しぶりです」
隣にいるセシリオが、明るい表情で応える。
サリーシャはセシリオを見上げてから、もう一度その男性を見た。
中肉中背で少しふっくらとした優しい顔立ちは、セシリオとは似ても似つかない。年齢は三十代後半くらい、四十まではいってないくらいだろうか。
確かにセシリオよりは年上に見えるが、セシリオには兄はいないはずだ。
「サリーシャ、義兄上のプランシェ伯爵だ」
「プランシェ伯爵?」
怪訝な表情を浮かべるサリーシャに、セシリオは目の前の男性を紹介した。サリーシャは口の中でその名前を復唱する。
アハマスの隣地に領地を持つ伯爵で、セシリオの姉の嫁ぎ先だ。すぐにセシリオの姉の夫だと理解した。




