第八話 クッキー
その日の午後、サリーシャは早速クッキーを持って孤児院へ慰問へ出かけた。
カタカタと馬車に揺られること三十分。目的地に到着して馬車の扉を開けると、楽しそうな歓声が聞こえてきた。きゃあきゃあとはしゃぐような、子供の声だ。足元に気を付けながら地面に降りると、サリーシャは持っていた籠を持ち直した。
雨のぬかるみを踏まないように気を付けながら建物の入り口に近づくと、ドアについた金具でトントンと木を叩く。しばらくするとギギギっと音を立ててドアが開き、中年の女性が顔を出した。
「ご機嫌よう、アン先生」
「ようこそいらっしゃいました、奥様」
扉を開けた中年の女性──この孤児院の施設長をしているアンは、笑顔でサリーシャを迎えた。ドアを抑えるように立つと、サリーシャを中へと招き入れる。
「皆様お変わりはない?」
「はい」
笑顔でそう頷くアンに、サリーシャは籠を差し出した。
「これ、先日子供たちに貰った木の実で作ったの。お口に合うか分からないけれど、よかったらどうぞ」
「まあ、奥様が? ありがとうございます。子供達も喜びますわ」
アンは籠の中を覗きこむと目を丸くした。籠の中には子供達全員に行き渡る量のクッキーが入っている。
「こんなに沢山。作るのが大変だったのではありませんか?」
「大変どころか、楽しかったわ。実は、お屋敷の料理人の方々にも手伝って貰ったの。だから、味は保証するわ」
サリーシャはペロリと舌を出す。アハマスの領主館で腕を振るう料理人達は、皆がアハマスでトップクラスの料理人達だ。だから、そんな彼らの指導のもとで作ったこのクッキーの味の良さは折り紙付きなのだ。
しばらくアンに最近の様子などを聞きながらお喋りをしていると、サリーシャが来たことに気が付いた子供たちが続々と集まってきた。
「奥様、遊ぼう!」
「ねえ、本を読んで」
「駄目だよ。私、縫物を教えてもらいたいんだから」
「お庭にお山を作ったから見に来て!」
次々と子ども達がサリーシャに話しかけては手を引こうとする。全員が全員、違うことを言うから大変だ。
「じゃあ、おじさんが鬼ごっこの鬼して」
子ども達はサリーシャの護衛をしていた男性にまで声を掛ける。『おじさん』と呼ばれたまだ二十代半ばの兵士は苦々しげに口元を引き攣らせた。
「みんな、待ちなさい! 奥様はお一人しかいないのですよ。いい子に出来ないと、奥様特製のクッキーはお預けですよ」
アンが大きな声を上げてクッキーを見せると、わぁっと子ども達から歓声が上がる。その笑顔を見て、サリーシャは料理人さん達に手伝って貰って作ってよかったと、口元を綻ばせた。
***
サリーシャが孤児院を訪問していたその時、セシリオはモーリスと膝を突き合わせていた。先日デニーリ地区に三十騎ほど派遣したばかりの治安維持隊の成果を確認していたのだ。
「まだ日が浅いから、目に見える成果は出ていない。ただ、アルカン殿は気になることを言っていた」
「気になること?」
「ああ。追われて逃げた連中が、プランシェ伯爵領の方角に向かっていたと」
「プランシェ伯爵領? 義兄上の領地か」
セシリオは眉を寄せてドサリと背もたれに寄りかかった。プランシェはセシリオの年の離れた姉の嫁ぎ先で、アハマスとはデニーリ地区で領地を接している。
治安維持や警らの権限というのは、基本的に各領地を治める諸侯が握っている。例えば、アハマスであればセシリオがその権限を持つし、隣領であれば隣領を治める領主に権限があるのだ。すなわち、領地の境界を超えるとアハマスの治安維持隊や警ら隊は逃げた窃盗団に対して手出しが出来ない。この領地の境界を超えて活動できる権限を持つのは、王族直轄の部隊だけだ。
「向こうも捕まるわけにはいかないから必死だな」
モーリスの吐き捨てた台詞を聞きながら、セシリオは腕を組んだ。領地の境界付近で活動する窃盗団とは、なんとも厄介な奴らだ。しかも、相手は義賊を気取っており、あまり乱暴なことをするとこちらが領民から反感を買いかねない。
どうしたものかと考え込んでいると、控えめにドアをノックする音が聞こえて二人は顔を上げた。壁の置き時計を確認すると、もうそろそろ午後三時になる。おそらく、侍女が軽食を用意に来たのだろう。そう考えたセシリオは、いつものように入室の許可を出した。
「入れ」
「失礼します」
いつものように黙々と軽食を準備してゆく侍女が、今日は籠に入ったスコーンとは別にリボンで可愛らしく飾られたクッキーを置いていったことに気付き、セシリオはそれをひょいと摘まみ上げた。
「クッキー? わざわざラッピングをしているなんて、珍しいな」
摘まみ上げた拍子に、ラッピングに添えられていた紙きれがはらりと床に落ちる。セシリオはクッキーを元に戻すと、床を滑って足元に落ちたそれを拾い上げた。
『先日孤児院を訪問した時に頂いた木の実を使って厨房の皆さまと作りました。今日の午後はこれを持って孤児院を再訪問する予定です。閣下のお口に合えばよいのですが。お仕事大変だと思いますが、無理をなさらないで下さいね。 サリーシャより』
美しい文字でそう書かれているのを読んで、セシリオは表情を綻ばせた。
「クッキーか。うまそうだな」
そうこうするうちに、モーリスがクッキーのラッピングを開けて食べようとしている。セシリオは慌ててそれを奪い取った。
「待て! これは俺が食べる」
「何だよ、突然」
「これはだな、孤児院に持っていく食品だから、問題はないかを確認するために俺が責任をもって全て食べる」
「今まで、そんなこと確認してたか?」
腑に落ちない表情を浮かべるモーリスを尻目に、クッキーは三枚全部まとめて口の中に放り込んだ。サクサクとした中にカリコリと香ばしい食感と優しい味わいが口いっぱいに広がる。ごく普通のクッキーだが、サリーシャが作ったと思うと絶品に感じる。
セシリオにクッキーを全部奪い取られたモーリスは、気を取り直したようにスコーンに手を伸ばした。
「孤児院の訪問は、もう全部奥様に任せてるのか?」
「ああ、支援施設と学校なんかも任せている。よくやってくれている」
「評判を聞く限り、そうみたいだな。よかったな」
モーリスにそう言われ、セシリオは頷いた。
サリーシャは贔屓目抜きに、よくやってくれていた。まだ任せ始めて一ヶ月ほどだが、護衛で付き添った部下達からの情報によると、周りの評判は上々のようだ。むしろ、子どもなどは強面のセシリオが慰問に行くよりもよっぽど喜んでいるという。セシリオとしても、忙しい合間に慰問に行くのには限界があったので、正直とても助かっていた。
「そう言えば、出発は再来週でいいんだよな?」
スコーンを食べ終えたモーリスから確認されるように念押しされ、セシリオはカレンダーを見た。フィリップ殿下の結婚式はおよそ一ヶ月後に迫っていた。当然セシリオ達も招待を受けているので、再び十一日間もかけて王都に行く必要がある。その出発は再来週の予定だ。
「ああ、再来週からまたしばらく領地を空ける。四週間弱で戻ってくる。何かあったら早馬に書簡を持たせて知らせてくれるか?」
「任せておけ。ところでセシリオ。お前、結婚した後もずっと仕事しっぱなしだろ? そんなに急がないで、少し羽を伸ばしてくるといい。奥様をどこかに連れて行ってやれよ。こっちは俺が仕切っておくから」
セシリオは親友、かつ自身の右腕でもあるモーリスの頼もしい言葉に口の端を持ち上げた。
つい数ヶ月前にも王都に行って長期で領地を空けたせいで、セシリオは結婚式翌日から休みなくずっと働きづめだった。気付けば、サリーシャをどこかに連れて行ってやるどころか、殆ど二人の時間も取れていない。どこかへ連れて行ってやれば、サリーシャはきっととても喜ぶだろう。
「ああ、助かる」
にかっと笑ったモーリスは、思い出したようにセシリオを見つめた。
「ところで、ダンスはどうなった? 王都で踊るから、最近練習しているんだろ?」
「ぼちぼち……」
途端に眉間に皺を寄せて気難しい表情になったセシリオを見て、モーリスは声を上げて笑った。




