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第七話 厨房にて

 貴族の当主の妻には様々な役割がある。それは領地内の福祉活動であったり、社交であったり、視察であったり、当主へ仕える者たちへの労いであったりする。サリーシャも結婚してから、まだほんの少しではあるものの、辺境伯夫人としての役割を担い始めた。


 そんなサリーシャが新婚早々セシリオから任された仕事の一つに、領地内の支援施設や病院、孤児院などの慰問活動がある。アハマスに来たばかりの頃、セシリオに連れられて一度支援施設の慰問には行ったが、これからはサリーシャが自発的に各施設を回って困っていることや問題がないかを聞かなければならない。

 忙しいセシリオの役に立ちたいので沢山お仕事をしたいと気は()くのだが、セシリオは徐々に覚えていけばよいと言ってくれている。だから、サリーシャは与えられたこの仕事に、自分なりに一生懸命取り組んでいた。



 オーブンの中から部屋全体を覆い尽くすようなあまーい香りが漂ってくるのを感じ、待ちきれなくなったサリーシャは黒い鉄製の扉の前に、吸い寄せられるように近付いた。


「上手く出来たかしら?」

「奥様、少しお待ちくださいませ。危ないですよ」

「あら、ごめんなさい」


 厨房の料理人は覗き込むサリーシャが火傷をしないようにと一歩下がらせると、ガダンとオーブンの蓋を開けた。むわっとする熱気と先ほどとは比べ物にならないほどの甘い香りが一気に広がる。


「調度よい具合に焼けていますよ。少し冷ましましょう」


 にっこりと料理人に微笑まれ、サリーシャはこわごわと鉄板の上の物を見た。丸く平べったい生地に刻んだ木の実を混ぜ込んだクッキーは、こんがりときつね色に色付いている。


 このクッキーに入れた木の実は、先日孤児院を訪問した際に子供達からプレゼントされたものだ。皆で近所の林で食べられる木の実を集めたのだと言っていた。

 サリーシャはせっかくなので、次回訪問する際には貰った木の実をクッキーにしてお土産に持っていこうと考えた。木の実のクッキーはお菓子としてよくある商品だが、砂糖が贅沢品なので、平民はそうそう食べられるものでもないからだ。

 とは言ってもサリーシャはクッキーなど作ったこともないので、こうして屋敷の料理人に教えてもらった。そのクッキーが上手く焼けているのを見て、サリーシャは表情を綻ばせた。


「本当だわ。ありがとう! わたくし、これを冷ましている間に紅茶を淹れるわ。みんなで一緒に、少し頂きましょう」

「奥様は休んでいて下さい。わたし達がやりますから」

「いいのよ。クッキー作りを手伝って貰ったお礼よ。それにわたくし、紅茶を淹れるのは得意なのよ?」


 サリーシャは笑って料理人達を座らせると、さっさと紅茶の用意を始める。美味しく紅茶を淹れるレッスンはマオーニ伯爵邸に居たときに定期的に習った。紅茶を美味しく淹れられることはお茶会でフィリップ殿下の心を掴むために重要なスキルだと見なされていたからだ。

 お湯を沸かして熱々のお湯を高い位置から茶葉に注ぎ、蓋をして蒸らすこと砂時計できっかり三分、琥珀色に染まった液体を白い器に順番に注いでゆく。カップからはほんのりと湯気が上り、空気の振動から僅かに揺れていた。


「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」 

「恐縮にございます」


 屋敷の女主人の手ずからの紅茶に、屋敷の料理人達は皆恐縮したようにペコリと頭を下げる。その様子を見て、サリーシャは苦笑した。


「今日はわたくしが皆様に手伝って貰ったのだから、そのお礼です。どうか気を楽に接して欲しいのです」


 それでも顔を見合わせて無言のアイコンタクトをとる料理人達に、サリーシャは眉尻を下げた。


「そんなふうに恐縮されてしまうのは、寂しいわ。皆様はわたくしの先生ですのに」


 悲しそうな表情を見せたサリーシャを見て、料理人の一人は慌てた様子で紅茶に手を伸ばした。そのままティーカップを口許に運び、一口口に含む。


「美味しいです……」

「本当に? わたくし、無理やり言わせてないかしら?」


 おずおずと尋ねたサリーシャに、料理人はブンブンと首を振って見せた。


「いいえ。本当に美味しいです」

 

 思った以上の出来に驚いたような表情を見せた料理人の様子に、サリーシャは頬を綻ばせる。


「よかったわ。焼き立てのクッキーはどうかしら? 皆様に殆ど手伝ってもらったのだから、絶対に美味しいわね」


 サリーシャは今さっき焼き上がったばかりの木の実のクッキーを一つ摘まみ上げた。そのまま口に含むと、サクサクとしたクッキーの食感に混じり、刻んだ木の実のコリコリとした感触が歯に当たる。それが香ばしさを引き出して、絶妙な焼き上がり具合になっていた。


「美味しいわ!」


 サリーシャは片手で口元を抑え、小さな歓声を上げた。サリーシャが想像した以上に、クッキーはとても美味しかったのだ。


「皆さんも是非」


 サリーシャは皆が食べやすいように、皿ごとテーブルの真ん中に差し出した。それを見て、料理人達も次々に手を伸ばす。


「……どうかしら?」


 サリーシャは心配げな顔で料理長の顔を見つめる。料理長は宙に視線を漂わせてもぐもぐと咀嚼した。そして、ごくりと飲み込むとサリーシャを見つめてにこりと微笑んだ。


「とても美味しゅうございます。子ども達も喜ぶと思いますよ」

「本当? よかったわ!」

「──もう少ししたら旦那様に午後の軽食をお届けに上がりますので、その時にこのクッキーも一緒にお届けしてはいかがでしょう」

「セシリオ様に?」


 サリーシャは思わぬ提案にキョトンとして聞き返した。


「はい。旦那様は奥様からのプレゼントと知ったら、お喜びになると思いますよ」


 料理長に微笑まれ、サリーシャはチラリと同席していたクラーラを見た。クラーラも笑顔で頷いたので、きっと問題はないのだろう。


 結婚して夫婦になってもセシリオが忙しいことに変わりはない。そのため、サリーシャが昼間にセシリオに顔を合わせることは殆どない。セシリオはサリーシャにいつでも執務棟を自由に出入りしてもよいと言ってくれていたが、仕事の邪魔をするのではと気が引けたのだ。

 けれど、軽食のついでにクッキーを差し入れてもらうくらいなら、仕事の邪魔にもならないだろう。忙しい夫の仕事中の息抜きになってくれれば、それほど嬉しいことはない。


「では、お願いしてもいいかしら? 皆さん、どうもありがとう!」

「どういたしまして。わたくし共も、奥様のお力になれて嬉しく思います」

「わたくし、皆様のお仕事のお邪魔ではなかった?」

「とんでもない。奥様のようなお優しい方がここに嫁いできて下さり、わたし達一同嬉しく思っております。また、いつでもどうぞ」


 にこにこと微笑む面々に見つめられ、サリーシャも嬉しくなってはにかんだ。


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