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第六話 新婚生活の幕開け

 カチャ、カチャっとカトラリーがぶつかる様な僅かな音が聞こえた気がした。サリーシャは心地よい微睡みの中、ゆっくりと意識を浮上させてゆく。


「う……ん……」


 小さく身じろぎすると、それに合わせるかのようにカーテンが引かれる音がして、目を閉じていてもまぶた越しに明るさが増したのを感じた。しばらくするとカシャとドアを開くような小さな音がして、囁くような会話の声と、ふんわりとよい香りが鼻腔をくすぐった。


 ──いい匂い……


 これは、朝ごはんの匂いだろうか。鼻をスンと鳴らすと、小さく笑う気配がして頬に柔らかいものが触れた。


 ──ああ、朝ごはんの時間なのね。


 サリーシャは、微睡みながらそんなことを思った。とてもいい匂いがする。食べ物の匂いに混じって、僅かに薫るのはモーニングティーだろうか。


 ──起きないと。朝ごはん……、朝ごはん……、朝ごはん!


 サリーシャはガバッっとベッドから起き上がった。

 すぐ近くのテーブルのわきには、白いガウン姿のセシリオがいた。起き上がったサリーシャに気付くと、こちらに近づいてくる。


「サリーシャ、おはよう」


 蕩けるような眼差しでこちらを見下ろすセシリオが、サリーシャの頬をすっと撫でる。顔が近づいてきておでこにチュッとキスをされた。


 サリーシャは呆然としたまま、部屋を見渡した。カーテンは引かれ、朝の日差しが壁を白く浮き上がらせている。飾り棚を備えた窓際やテーブルには、咲き頃を迎えた切り花が美しく飾られている。その装花が施されたテーブルには朝食が二人分、綺麗にセッティングされていた。そう、朝食がセッティングされていたのだ! まだ用意したてなのだろう。料理や飲み物からは、ほんわかと湯気が上がっているのがみえる。


「うそ……」


 サリーシャは小さく独り言ちた。目の前の光景が信じられなかったのだ。いや、信じたく無かったと言った方が正解か。早起きして朝食を作る予定が、完璧な朝食が既に用意されていたのだから。

 セシリオはベッドの端に腰掛けると、座ったまま呆然自失状態のサリーシャの肩を抱き寄せ、こめかみに唇を押し当てた。


「サリーシャ、気分はどう?」

「最悪だわ。あぁ、なんてこと……」

「……最悪??」


 困惑気味のセシリオがサリーシャの顔を覗き込む。


「気分が悪いのか? 体調が悪い?」

「……」


 サリーシャは真っ青になったまま、目を見開いてテーブルを凝視していた。セシリオはサリーシャの視線の先を追い、テーブルを確認するともう一度サリーシャを見つめる。


「もしかして、あの朝食に問題でも?」

「大問題ですわっ! あぁ、何てこと!!」

「大問題!?」


 ここにきて、セシリオはサリーシャの只ならぬ様子に狼狽えた。顔が真っ青なのだ。よく見ると、小刻みにわなわなと震え、目には涙が浮かんでいる。視線はテーブルに釘付けのままだ。これは、自分の準備したあのテーブルが原因なのではないかと、さすがのセシリオも気が付いた。もしかしたら、大嫌いな料理でも混じっているのかもしれない。


「クラーラ! 朝食に不手際だ!」


 慌てた様子でセシリオが叫ぶと、寝室のドアのすぐそばに控えていた、本日朝の準備を手伝ったクラーラを始めとする侍女がドバっと部屋に入ってきた。


「どうなさいました?」

「どうやら不手際があったらしい」

「本当に不手際だわ。あぁ、閣下、ごめんなさい」


 サリーシャが顔を覆って泣き出したのを見て、クラーラは呆気に取られた。しかし、現当主の乳母を務めたほどのベテラン侍女。すぐに状況把握に努め始めた。


 まず、テーブルには出来立ての朝食がセッティングされている。これは今朝料理長が腕に寄りをかけて作った物で、なにも問題ない。至る所に飾られた花も、花瓶ごと今朝セシリオに手渡したので、咲き具合も生け具合も完璧だ。つまり、朝の準備に抜かりはない。

 一方、ベッドでは今起きたばかりであろうサリーシャが顔を覆ってさめざめと泣いている。その横でセシリオは呆然としていた。


 ここから導き出される答えは一つしかない。


「旦那様。昨夜、奥様にどんなご無体を?」


 地を這うような低い声に、セシリオが肩をびくんと揺らす。


「俺はなにもしていない!」

「……何も?」


 訝し気にセシリオを見上げるクラーラを見て、セシリオはぐっと言葉に詰まった。何もしていないというのは語弊があった。しかし、壊れ物を扱うように優しくした記憶はあっても、泣かせるようなことをした記憶はない。


「サリーシャ、一体どうしたんだ!?」


 セシリオの悲痛な叫び声が、のどかな朝のアハマス領主館に響き渡った。



 ***



 普段は静かな執務室に、大きな笑い声が響く。けらけらと笑いながら肩を揺らすモーリスを睨み据え、セシリオは眉を寄せた。


「モーリス。笑いすぎだ」

「はっはっはっ! いや、悪い。けど、笑わずにいられるか?」


 謝罪しながらも未だ笑い転げるモーリスの前で、セシリオは苦虫を噛み潰したような顔をした。

 今朝は歴代アハマス領主の結婚式明けの朝としては、歴史に残る騒動だっただろう。新妻であるサリーシャはさめざめと泣くし、クラーラは怒り心頭といった様子で自分を睨みつけてくるし。

 セシリオが辛抱強くサリーシャをあやしてようやく聞き出した事実は、その場にいた誰もが想像だにしていない内容だった。なんと、サリーシャは自分が朝食を作らなければならないと思っていたのだ。


「閣下、本当に申し訳ありませんでした。わたくし、朝食は自分が作らねばならないと思い込んでおりましたの。昔、そう聞いたから……」

「俺も、昨日の夜に言っておけばよかった。悪かった」


 テーブルの向かいに座り、酷く落ち込んだ表情で謝罪するサリーシャを見て、セシリオは苦笑するしかなかった。

 サリーシャはフィリップ殿下の婚約者候補となるほどに、完璧に貴族令嬢として礼儀作法を身につけている。そのため、途中まで平民として育っていたことをセシリオもクラーラも知っていたのに、すっかりと失念していた。


 食事を始めた頃には、タイミングを見計らって熱々で用意された料理と飲み物はすっかりと冷め切っていた。

 作り直させて持ってくるというクラーラの申し出を、セシリオとサリーシャは断った。料理長がせっかく作ってくれたものを無駄にするわけにはいかない。


「きっと、美味しい頃合いを見計らって下さっていたのに、冷めてしまっているわ。閣下、ごめんなさい……」


 冷たくなったスープを掬いながら、酷く哀しそうな顔をするサリーシャのことは見ていられないほどだった。


「で、明日仕切り直すと?」


 モーリスが未だに肩を揺らしながらにやにやとこちらを見てくる。セシリオは忌々しげにモーリスを睨み据えた。


「仕方がないだろう?」

「ふーん。ま、なんだかんだで幸せそうだからいいんじゃないか」


 モーリスはセシリオの肩をポンと叩くと、ニヤっと口の端を持ち上げる。セシリオはふうっと息を吐いて椅子に座り直した。


「ところで、昨日俺が外した後、どんな話を? デニーリ地区の窃盗団の話はどうなった」

「アルカン殿によると、デニーリ地区の窃盗団は二年ほど前から現れ始めたらしい。たちが悪いことに、義賊を気取っているらしい」

「義賊?」

「ああ、狙うのは明らかな金持ちが手配したと思われる馬車ばかり。その強盗が現れた翌日には、近所の孤児院や修道院に盗まれた物資の一部が寄付されている」

「それは厄介だな」


 セシリオは眉をひそめた。義賊とは、金持ちから金品を盗んで貧しい人々に分け与える盗賊のことだ。強盗はれっきとした犯罪だ。しかし、一般的に義賊は貧困層から正義の味方のように崇められていることが多い。捕らえるこちら側が悪人のように反感を買うのだ。


「たしか、最近は武装した用心棒を連れていてたちが悪いと言っていたが……」

「ああ。ここ最近、急に武装化してるらしい。それも、一人や二人じゃないようだ。組織がでかくなりすぎる前に潰した方がいいな」


 先ほどまでが嘘のように真面目な顔になったモーリスは、茶色い瞳でセシリオを真っ直ぐに見つめる。セシリオはその瞳を無言で見つめ返すと、深く頷いた。





この度、書籍化が決まりました。応援してくれた皆さんのおかげです。本当にありがとうございます!


出版社:主婦と生活社様

レーベル:PASH!ブックス様


出版時期はまた追ってご報告します。


続編はまだ始まったばかりで、これから色々と起こるの予定です。

今後ともぜひよろしくお願いします!

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