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第四話 結婚式当日の夜 ~サリーシャの事情~

 披露宴は三時間ほど続いて終了した。サリーシャはそのまま下がったが、セシリオは久しぶりに地方を治める長官達が集まったので各地区の情報を直接聞きたいと、その場に留まった。書簡で定期的な報告は受けていても、直接膝を突き合わせて話したいことは色々とあるようだ。


「お疲れ様でした、奥様」


 ドレスを脱いでふぅっと大きく息つくと、そのドレスを抱えて皺にならないように片付けていたクラーラがそれに気付き、(ねぎら)いの言葉をかけてくれた。


「アハマスの領地内からしか招待していないとは言え、お客様が沢山で大変だったのではございませんか?」

「ええ、そうね。でも、セシリオ様が皆様に慕われていることがよくわかったわ。わたくしも、セシリオ様を支えられるように頑張らないと」

「わたくし達も、奥様のことを全力でお支えいたしますわ」


 クラーラは笑顔で頷く。そして、殆ど食事が取れなかったサリーシャのために、簡単なプレートを用意してくれた。


「その、『奥様』ってクラーラから呼ばれるのは、少しくすぐったいわ」


 サリーシャは結婚式を終えた今、正真正銘のアハマスの辺境伯夫人だ。『奥様』の呼び方になにも間違いはないのだが、今まで『お嬢様』と呼ばれていたので、なんとなくむず痒く感じた。


「すぐに慣れますわ」

「そうね。ふふっ」


 料理人があの豪華な食事の数々の合間に作ってくれた軽食は、サンドイッチだった。しかし、具材の肉が分厚く、いつもより随分と豪華だ。きっと、あの場に出された料理の一部を取り分けて使用しているのだろう。


「美味しいわ。今日は、ご飯があまり食べられなくて残念だったの」


 サリーシャはもぐもぐとサンドイッチを頬張る。厚みのある牛肉はその見た目に反して柔らかく、口の中でとろりと溶けた。冷えたものでもこの美味しさ。あの場に並んでいた料理はさぞかし美味だっただろう。


「明日、料理長に直接お伝えするのが宜しいかと。きっと、大喜びでまた作ってくれますわ」

「でも、あんなに豪華な食事をまた作って貰うのは悪いわ」

「では、旦那様か奥様のお誕生日などは如何でしょう?」

「ああ、それはいい考えね」


 サリーシャはその名案にパッと目を輝かせた。マオーニ伯爵邸ではいつもの食事にケーキが用意されていただけだったが、田舎に住んでいる頃は誕生日には毎年ご馳走が並んでいた。ご馳走と言っても今食べている普段の食事よりも粗食なくらいだ。けれど、サリーシャの好きな料理を母や近所に住むお嫁に行った姉が朝から張り切って作ってくれたのを覚えている。久しぶりに思い出す田舎の記憶に、サリーシャは懐かしさから目を細めた。


「そういえば……」


 サリーシャは遥か遠い記憶を辿っていた。あれは確か、まだ田舎の村でサリーシャが暮らしていた頃のことだ。近所の幼なじみに嫁いだ姉は農作業で忙しい母に代わり、妹や弟の世話をするために度々実家に帰ってきた。姉の友達も遊びに来ることが多く、サリーシャは姉夫婦やその友人夫婦の仲睦まじい日常をにこにこしながら聞いていた。そんななか、印象に残った台詞がある。


「彼はね、朝起きてわたしの朝ごはんを食べるときに幸せだなって感じるって」

「あー、わかるわ。うちの人もそう言うの。朝起きたときにいい匂いが香ってくるのがいいって」

「朝ごはん?」


 同じテーブルに向かってお茶を飲んでいたサリーシャは、きょとんとして聞き返す。姉とその友人は屈託なく笑った。


「結婚したら、二人で食べる朝ごはんは特別なのよ。寝ている旦那様を起こして、『あなた、朝ごはんが出来てますよ』って言うの。肝心なのは初日ね」

「そうよ。だって、二人で一夜過ごした最初の朝だもの。サリーシャも、あと何年かしたらそんな日が来るわ」

「ふーん? じゃあわたし、結婚式の翌日は張り切って朝ごはんを作るわ。それで、『あなた、朝ごはんが出来てますよ』って言って旦那様を起こすの」

「そうそう。楽しみね」

「うん!」


 たしか、そんな会話をした気がする。

 結婚式の翌日の朝とは、もしかして明日の朝ではなかろうか? そこでサリーシャははたと気が付いた。それから程なくしてマオーニ伯爵邸に引き取られ、貴族令嬢としての教育を受けてきたサリーシャは、料理をしたことがない。フィリップ殿下の妃になるのに、料理の技術は不要だったからだ。


 ──これって、貴族でも同じなのかしら?

 

 貴族の屋敷では、没落していない限り必ず料理人がいる。サリーシャはよくわからず、助けを求めるようクラーラを見つめた。クラーラはサリーシャの表情に怪訝な表情で首をかしげる。


「どうかされましたか?」

「昔、田舎にいた頃に姉に聞いたの。新婚生活において、妻の作る朝ごはんは旦那様にとって、とても重要なものらしいわね」

「ああ、一般的にはそうかもしれませんわね」


 クラーラは笑顔でこくりと頷く。新妻が朝早く起きて愛する夫に朝食を振る舞うのは、一般家庭でよく見られる微笑ましい光景だ。クラーラも新婚のときは張り切って朝ごはんを作ったものだ。


「奥様も明日の朝食で、とても素敵な時間を過ごせると思いますよ」


 クラーラは優しくサリーシャに声を掛けた。

 貴族の夫人は朝食を振舞ったりはしない。朝食は屋敷の料理人が用意するものだ。

 しかし、明日の朝は特別だ。普段なら食事はダイニングルームで頂くが、新妻の体調を考慮して、いつも以上のごちそうが部屋まで運ばれる。そして、新郎は新妻の目覚めに合わせてそれらを完璧に用意し、愛する妻を労るのが慣例だった。


「やっぱり初日は特別なのね?」

「結婚して最初の朝は特別ですから。明日だけです」

「……そう」


 サリーシャは青ざめた。

 やはり、以前姉達に聞いた通りだった。結婚式の翌日の朝ごはんはラブラブな新婚生活の幕開けにおいて、重要なアイテムのようだ。貴族でも初日だけは妻が朝食を用意しなければならないらしい。

 準備期間が半年もあったのに、なんたる不覚。自分が作った朝ごはんが不味すぎてセシリオから幻滅され、嫌われてしまうかもしれない。それだけは回避しなければならないと思った。


「セシリオ様もわたくしとそんな朝ごはんを迎えたいのかしら?」

「もちろんです。ずっと楽しみにしてましたわ」


 それを聞いた瞬間、サリーシャは決意した。こんなところで油を売っている場合ではない。今すぐに料理長に朝ごはんの作り方を教授して貰いに行かねばならない。楽しみにしてくれているセシリオを失望させたくないのだ。


「わたくし、少しはずします」

「サリーシャ様? 本日は結婚式当日でございますが? そろそろ準備しないと、旦那様が戻って参ります」

「まだ地方長官の方たちとお話しているでしょ?」

「間違いなく、早々に切り上げて戻って参りますわ。なんと言っても、今夜からわたくし達の厳しい監視がありませんからね」

「監視?」


 サリーシャは物騒な単語に訝しげに眉をひそめた。クラーラは慌てたようにオホホっと笑う。


「いえっ、なんでもございませんの。とにかく、結婚式当日の夜に花嫁がどこぞをほっつき歩いて寝室にいないというのは、非常によろしくありません。初夜ですから」

「そ、そうよね……」


 『寝室』『初夜』と言われてサリーシャの頬は薔薇色に色付いた。今夜から、サリーシャの寝室は二階の客間から、三階の夫婦の寝室に変わるのだ。以前、あの部屋で起こった出来事を思い出して、否が応でも赤面してしまう。


「さあ、湯あみの準備をいましましょう」

「──ええ、わかったわ」


 サリーシャはおずおずとそれに従う。けれど、頭の中では朝ごはんは大丈夫だろうかということで一杯だった。嫌われてしまったらと思うと、気が気でならない。


 ──そうだわ。明日はセシリオ様に遅くまで寝て頂いて、わたくしが早起きすればいいのね。それで、朝早くからごはんを作ればいいのだわ。


 愛する夫に一夜にして幻滅されるわけにはいかない。夜の準備をされながら、サリーシャは心のうちで固くそう決心したのだった。

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