第一話 結婚準備
そのドレスを目にしたとき、サリーシャは想像以上の出来栄えに思わず感嘆のため息を漏らした。
首の付け根までしっかりと隠しながら、その素材をレースにすることで軽やかに見える首元。艶やかな白のシルク地に同じく白い糸で繊細な刺繍が施された胸元。少し大きめリボンを後ろに付けて可愛らしく見せながらもほっそりとさせた腰回り。そして、緩やかに広がるスカート部分には薄い布を重ねたドレープが加わり、つまみ上げた随所に布を首元と同じレース素材で作られた花が飾られている。その中心部分には白い宝石──真珠が輝いていた。
一たび腕を通せば、さらにその素晴らしさが際立った。サリーシャが動くたびにレースの花が揺れて真珠が鈍い輝きを放つ。緩やかに広がるスカートはサリーシャのほっそりとしながら付くべきところには付いた女性らしい体形を存分に引き立てていた。
そして、胸元から首もとにかけてのレースはドレスの色より少しピンク味を帯びた肌を透かしており、布の多さによるもったりとした印象を完全に打ち消している。
「……素晴らしいわ。本当に素敵! どうもありがとう!!」
これがあの、よく言えばシンプル、悪く言えばとてつもなく地味なドレスと同じものだとは到底思えない。そこには豪華できらびやかなウェディングドレスがあった。
サリーシャは自らを見下ろした。胸元に精緻に施された刺しゅうも、スカートのドレープも、以前見た際には無かった。針子達が大急ぎで作業してくれたのだろう。きっと、寝る間も惜しむ忙しさだったはずだ。たった一ヶ月半でここまで仕上げてくれた仕立て屋の面々には感謝の言葉しか出てこない。
「お気に召していただけましたか?」
仕立て屋の店主が柔らかく目を細めてドレスに身を包むサリーシャを見つめる。
「お気に召したも何も、本当に素晴らしいわ! あぁ、こんな素敵なドレスでセシリオ様の隣に立てるなんて夢みたいだわ」
サリーシャは顔の前で両手を合わせて指を組む。そして、もう一度鏡の前でくるりと一回りすると満面に笑みを浮かべた。
「本当にお綺麗です。領主様も見惚れること間違いありません」
「ありがとう。もしセシリオ様が綺麗だと思ってくれるなら、そんなに嬉しいことはないわ」
以前、ドレスに強いこだわりを見せていたセシリオだが、きっとこのドレスなら気に入ってくれるだろう。あのヘーゼル色の瞳を細めて微笑んでくれるだろうか。
歓喜の色に染まるサリーシャを、その場にいる誰もが穏やかな気持ちで見守った。
その日屋敷に戻ったサリーシャは、夕食の席でセシリオの顔を見つけると開口一番にドレスの話をした。嬉しすぎて、早く話したくてたまらなかったのだ。
「閣下、ウェディングドレスが出来上がりましたのよ」
サリーシャは目を輝かせて身を乗り出した。夕食の配膳を待ちながら大喜びではしゃぐサリーシャを見つめ、セシリオは柔らかく目尻を下げた。
「それはよかった。──その……、きみの満足出来る一品に仕上がったか?」
「はい! とても素晴らしいんですの。閣下にお見せするのが本当に楽しみですわ」
そう言ったとき、明らかにセシリオがホッとした表情をしたのをサリーシャは見逃さなかった。思ったとおり、セシリオはドレスの出来栄えに、並々ならぬこだわりがあるようだ。あのシンプルなドレスのままにしておかなくて本当によかった。
「きっと、閣下も気に入って下さると思います」
「ああ、そうだろうな。きみが俺のために着るんだ。気に入らないわけがない」
朗らかに微笑まれ、サリーシャはほんのりと頬を染めた。さらりとそんなことを言ってくるなんて。しかも、セシリオの場合は女性がキュンとくる台詞を意図的に選んでいるわけではなく、素で言っているのだから質が悪い。
「わたくし、アハマスが辺境でよかったとつくづく思いますわ」
「なぜ? 王都より田舎だから、つまらないだろう?」
不思議そうな顔で首を傾げるセシリオを見て、サリーシャは言葉に詰まる。相手は無自覚なのだ。無自覚にサリーシャの心を鷲掴みにして、放さない。
セシリオは一見、典型的な軍人然としていて、近寄りがたい雰囲気がある。貴族的な優雅さもあまりない。けれど、よく見れば整った顔をしており、鍛え上げられた肉体はしなやかで美しい。中身はこれ以上ないくらい、とても素敵な人だ。きっと、社交界に出ていればセシリオの人となりに惹かれて恋に落ちるご令嬢が沢山現れたに違いない。
「秘密です」
わざと不貞腐れたように頬を膨らませると、目の前の人は少しだけ困ったような顔をした。
給仕のメイドがワンプレートに載ったささやかな晩餐をテーブルにセットする。大きなお皿には、温野菜とじっくりと柔らかくなるまで煮込んだ大きな牛肉が盛られている。別添えでジャガイモのスープとサラダ、それに焼き立てのパンも置かれた。
給仕人が下がると、セシリオが少しだけ身を乗り出した。
「では、今度こっそり教えてくれ」
サリーシャに内緒話をするように、テーブル越しにセシリオが囁く。穏やかな口調の低い声は、いつもサリーシャを安心させる。サリーシャは少し考えこう言った。
「結婚式が済んだら、お教えします」
そして、セシリオに微笑みかけた。
「「いただきます」」
二人が声を揃えて大地の恵みと作物を育てる農家、家畜を育てる畜産家、食事を作る料理人、その他に関わる全ての人々に感謝を捧げ、食事を始める。目を瞠るような豪華さはないがとても美味しいし、なによりも大好きな人と一緒にとる食事は格別だ。
「閣下は何を着る予定ですか?」
会話が途切れたタイミングでサリーシャが尋ねると、セシリオはフォークを動かす手を止めた。
「普通に花婿用の礼服のつもりで用意していたのだが、きみが軍服が好きだと言うから軍服にするか迷っている。殿下の結婚式もあるから、新調したんだ。もうすぐ出来上がる」
「式典用の軍服でございますか? はい、閣下のあのお姿は好きです。その……いつも素敵ですけれど、特別素敵に見えますから」
サリーシャはセシリオの式典用の軍服姿を一度しか見たことがないが、とても素敵だった。見慣れた深緑の軍服と似ているのだが、肩章や飾り紐などが普段のものより立派だし、襟や袖に金糸で精緻な刺繍が入っていて、とても豪華な軍服だった。その豪華な軍服の胸元には沢山の勲章が飾られ、これまでのセシリオの活躍ぶりを窺わせた。
「──そうか。では、そうしよう」
それきり黙り込んで黙々と食事をとり始めたセシリオをよく見ると、少しだけ耳があかい。サリーシャに『素敵』と褒められ、照れているのかもしれない。本当になんと愛しい人なのだろうと、サリーシャは表情を綻ばせた。
「閣下」
「なんだ?」
呼び掛けられたセシリオが顔を上げる。
「結婚式、楽しみです」
「俺もだ」
視線が絡まり、二人は微笑み合った。
セシリオとサリーシャの結婚式はアハマスの中心地近くにある大聖堂で行われることになっている。王都の大聖堂に比べればこぢんまりとしているが、アハマスでは一番由緒正しく大きな大聖堂だ。
辺境の地である上に、その一ヶ月後にはフィリップ殿下の結婚式も控えているため親戚関係にある貴族達も王都への移動などで予定が立て込んでいる。そのため、大規模な招待は行わずに内輪だけで行う予定だ。
結婚式まであと少し。この人の正式な妻となる日が、今から楽しみでならない。




