タウンハウスでのひととき
心地よいまどろみの中で眩しさを感じたサリーシャは、ゆっくりと意識を浮上させた。
瞼を開けば目に入ったのは見慣れない天井。木目をそのまま活かした梁と真っ白な天井はとてもシンプルな造りで、そこからあまり飾り気のない照明具がぶら下がっている。手を顔の横に添えて鋭い光を遮ると、サリーシャは視線を移動させた。窓のカーテンが少しだけ開いており、そこから朝日が差し込んでいたようだ。
窓際によって外を覗くと、手入れの行き届いた庭園が見えた。花々が咲き乱れるような凝ったものではなく、緑の植栽と広い芝生、その合間を縫うように散歩のための小径が配置されている。
その芝生の中で剣の素振りをしている人物を認め、サリーシャは目を凝らした。短かめの茶色い髪にがっしりとした大きな体つき。いつもの深緑色の軍服を着ていなくともわかる。あれはセシリオだ。王都のタウンハウスに来ても、鍛錬は欠かさずにしているようだ。
「セシリオ様だわ。あぁ、朝からとても素敵ね」
サリーシャは窓枠に手を添えてその姿に見入った。セシリオが剣を振るたびに朝日が反射してキラリと光る。
恋というものは不思議なものだ。なんの変哲もない光景が、これ以上ないほどに素敵に見えるのだから。初めて会った日にはただ大きな人だとしか思わなかったセシリオのことが、今は世界一素敵に見える。そして、それは間違いなく真実であるとサリーシャは確信している。
──そうだわ。せっかくだからお近くで見たいわ。あ、でもセシリオ様はあんなに素敵なのだから、わたくしもきっちりしないと……。幻滅されたら大変だもの。
そう思ったサリーシャはすぐに朝の準備を始めた。まだ早朝なのでノーラも来ていないが、昨日王都に到着したばかりなので疲れているかもしれないと思い、そっとしておいた。部屋のクローゼットを開くと昨日のうちに全て準備しておいてくれたようで、中にはドレスが何着かかかっていた。サリーシャはその中から華美ではないが少しだけ飾りのついた、クリーム色のものを選ぶ。大急ぎでお化粧を施し、もう一度窓の外を覗いた。セシリオはまだ剣を振るっている。
「よかったわ、間に合った」
表情を明るくしたサリーシャはパッとそこを離れると、階段を小走りで降りて庭園へと向かった。
***
無心に剣を振るって汗をかくのはとても気持ちがいい。
急激に近代化の波が押し寄せてきたため、近年の戦いと言えば、銃をいかに使いこなすかが明暗を分けるとされている。国防を担う辺境伯であるセシリオは、もちろんそのことを重々承知している。しかし、従来の火縄銃といい、近年普及し始めたマスケット銃といい、火薬を仕込む時間が必要になるため、一回の攻撃をしてから次の攻撃を開始するためにはどうしてもタイムラグが生じる。銃士隊を何列かに編成するなどの工夫はするが、それにも限界がある。そのため、敵との距離が近くなると一番効果を発揮する武器はやはり今も剣だった。
ヒュン、ヒュンと小気味いい音が鼓膜を揺らす。その音に混じり、遠くからカタンと物音がしたのに気づき、セシリオは動きを止めた。音の方向を見て、予想外の人物に目をみはった。
「サリーシャ? どうした、こんなに朝早くから」
今はまだ、早朝だ。セシリオはいつも朝早く起きるが、貴族令嬢といえば朝はゆっくりとしているのが定石。アハマスにいるときもサリーシャは朝食に合わせてゆっくりと起きるのが常だった。サリーシャはセシリオの近くまで駆け寄ってくると、足を止めて見上げてきた。
「あのっ、目が覚めてしまいました」
「ここのベッドは寝心地が悪かったか?」
「いえ、そのようなことはございません」
サリーシャはぶんぶんと両手を胸の前で振る。
「昨日、カーテンを閉めるときにきちんと閉めていなかったようで。あ、ここの使用人の方はきちんと閉めて下さっていたのです。でも、わたくしが外を覗いた時にきちんと閉めていなかったようで──」
どうやら、サリーシャは初めて訪れるアハマス家の王都のタウンハウスに色々と興味が湧き、昨晩は寝る前に窓から篝火に照らされる外の様子を眺めていたようだ。そして、そのときにきちんとカーテンを閉めなかったため、朝日が眩しくて目が覚めてしまったということらしい。
「そうか。ここのタウンハウスもきみは好きなところを見てくれて構わない。朝食まで少し時間があるから、簡単に案内しようか?」
「あ、それもお願いしたいのですが……」
サリーシャは困ったような顔をして言葉尻を濁す。何か問題があるのかとセシリオは首を傾げた。
「どうした?」
「あの……、わたくし、閣下の鍛錬の様子が見たいのです」
「俺の鍛錬の様子?」
予想外の言葉に、セシリオは訝し気に眉をひそめた。セシリオの鍛錬の様子など見ても、サリーシャは退屈なだけだと思ったのだ。
「だって、先ほどお部屋から閣下の剣を振るう様子を見ましたの。本当に、とっても素敵なんですもの」
そこまで言うと、サリーシャは白い肌をバラ色に染めた。それを隠すように両手で自らの頬を包み込み、上目遣いにセシリオを見上げる。
「だからわたくし、もっと近くでじっくりと見たくて急いで参りましたの。閣下のことは沢山見ていたいです。駄目でしょうか?」
セシリオは目をみはり、ぐっと言葉に詰まった。そんな可愛らしいお願いをされて、駄目なわけがない。と言うか、この強烈なまでの可愛らしさは一体何なんだ!
「駄目なわけがないだろう。いくらでも見てくれて構わない」
「本当ですか? まあ、うれしい」
サリーシャは手を顔の前で組んで満面に笑みを浮かべた。
ヒュン、ヒュン、と風を斬る音があたりに響く。
その間、サリーシャはうっとりとした様子でこちらに見いっていた。剣を振るときにセシリオはいつも仮想の相手を思い浮かべる。そのため、もともと鋭い目付きがより鋭くなって、モーリスには『鬼神』などと揶揄される。部下達すら怖がるのだから、普通のご令嬢であればあまりの恐ろしさに震え上がりそうなものだが、サリーシャは全くの例外のようだ。
暫くそのまま鍛練を続け、セシリオは振るっていた剣を鞘にしまった。鞘と柄がぶつかり、カシャンと音がなる。
「とても素敵でした。閣下が敵わない剣の使い手などいないでしょうね」
サリーシャは頬を染めたままこちらを見上げてはにかむ。セシリオはぐっと言葉に詰まって眉尻を下げた。
可愛い……。
これはもう、この世のあらゆる可愛いらしさを詰め込んで神が創りたもうた最高傑作に違いないとセシリオは悶絶した。
「大抵の者は相手にならないのだが……。どうにも敵いそうにない相手が一人いる」
剣も持っていないのに、あまりに可愛らしくてサリーシャだけには敵いそうにない。もしサリーシャが襲ってきたら──それはそれで嬉しいが──間違いなく抵抗できない。
それを聞いたサリーシャは驚いたように目をみはり、ぐっと眉をひそめた。
「そんな強敵が? わたくし、閣下が負けないように応援しますわ」
サリーシャは胸の前でぐっと拳を握ってみせた。セシリオはその様子を見て苦笑する。
「サリーシャ、少し散歩してから戻ろうか」
「散歩? はい、是非!」
嬉しそうに表情を綻ばせて腕に絡み付くサリーシャを見下ろし、セシリオは瞳を優しく細める。応援してくれるのは嬉しいが、今のところ勝ち目はゼロだ。おそらく、これから先もずっと勝ち目はゼロだろう。
「朝食をとったら約束通り、今日は王都の町に出てみようか」
「はい。閣下はどこか見たいところはありますか?」
「そうだな──」
主とその婚約者が仲睦まじく散歩を楽しむ姿を屋敷の人々はそっと見守る。ちょうど散歩を終えた頃、朝食を準備するよい香りが屋敷の外まで漂ってきていた。
次は王都デートを書きたいです




