ヘンリーの悲劇 前
いいか、オメェら。
女の言う『大丈夫』は信用するな。
俺はこれでひどい目にあった。まさに町中の、いや、アハマス中の恥さらしだぜ?
しかしながら、俺は彼女を愛しているわけだ。
だから、この恥も酒と一緒に飲み込んでやらぁ!
グビッ、グビッ、グビッ。ダン!
勢いよく発泡酒を飲み干してジョッキを置くと、テーブルに当たって大きな音を立てやがった。まぁいい。もう一杯注ぐか。
これはだな、話せば長くなるんだ。まあ、一杯片手に話してやろうじゃないか。
まず、俺と嫁さんの出会いから話そう。
きっかけは行きつけの飲み屋だった。俺が客、嫁さんは店員だ。一日の疲れを癒しに訪れた飲み屋で、笑顔で接客する嫁さんの姿にそりゃあ疲れも吹き飛んだぜ。くりくりのおめめに茶色い髪を三つ編みにした子供っぽい見た目によらず、胸はボンッと出てて、尻もきゅっと上がっていいケツしてやがる。実にけしからん。
看板娘だった嫁さんはアハマス軍の野郎共にはそりゃあ大人気でだな、俺もあるときは決闘し、あるときは待ち伏せし、またあるときは嫁さんほどではないがちょっと可愛い女の子を紹介して相手の注意を反らせ……、とにかく、涙ぐましい努力でモノにしたってわけよ。
衆人環視のプロポーズで彼女が笑顔で頷いたとき、そりゃあ嬉しかったな。まさに有頂天だ。その後、悲劇が降りかかってくるとも知らずにな。
いいか、テメェら。もう一度言うぞ。
女の『大丈夫』は信用するな。
最初の些細なすれ違いは彼女の髪に合わせる髪飾りを選んでいるときだった。
「どっちにしようかなー」
まだ恋人だった当時の嫁さんは、二つの髪飾りで迷っているようだった。一つは花を四つ並べたデザイン、もう一つは果実と葉をデザインしたものだ。俺にはどっちもたいして変わらないように見えたんだが、気になったのは色だ。花の方はピンク、果実の方は赤と地金だったんだよ。
嫁さんの髪は艶やかな焦げ茶だ。どちらかと言うと、赤と金の組み合わせの果実のデザインの方が合うような気がしたんだ。だから、俺は果実の髪飾りの方を指差した。
「こっちが似合うと思うよ」
「そうかな?」
嫁さんは小さな声で呟き、じっと二つの髪飾りを見つめる。俺は不味いことをいったのかと思って、不安になった。
「どうした? 気に入らない?」
「ううん。大丈夫!」
笑顔でそう言った嫁さんにすっかり騙された。胸のうちに鬱憤を溜めているとも知らずにな。
後日、些細な口論のときに嫁さんの口から出たのは信じられない言葉だった。
「わたし、本当は花の方がよかった。でも、ヘンリーがこっちがいいって言うからっ!」
髪飾りを乱暴に外した嫁さんは、涙の浮かぶ目でキッと俺を睨み付けたんだ。
ちょっと待ってくれや。
俺はどちらがいいか聞かれたから素直に答えただけだ。それがなぜか、俺のせいで好きなものが買えなかったかのような話になってやがる。
非常に不本意である。なんでそうなる?
しかしだ。俺は度量の広い男なんだ。可愛い恋人の子供っぽい一面くらい、大目に見てやる。なんたって、この可愛い顔に魅惑のボディがそばにおけると思えば、痛くも痒くもないわ。
よって、この件に関しては心の広い男である俺が折れて一件落着だ。
次の些細なすれ違いは、人気のステーキレストランで食事をしているときだった。
嫁さんは小さな体に似合わず、もりもり食べてやがる。いったいこの体のどこにそんなに入るんだ? これはあとでじっくりと身体検査をしてやらねばならん。
「よく食うな。俺より食ってるんじゃないか?」
俺は夢中で食ってる嫁さんの様子が可愛くてつい笑ってしまった。その言葉に反応した回りのテーブルの野郎共も嫁さんの皿に注目する。この店イチオシの特大ステーキはほぼ完食状態だ。すると、嫁さんがピタリとフォークを持つ手を止めた。
「どうした? 食わないのか?」
「うん。もう、大丈夫!」
嫁さんは笑顔でうなずくと、お腹一杯を示すように自分のお腹をポンと叩いた。今日の嫁さんは本当によく食べた。きっと、俺のレストランセレクトがよかったからだな。俺はいい仕事したと満足感に浸りながら頬を綻ばせた。
ところがだ、後日嫁さんの口から漏れたのはこれまた信じられない台詞だ。
「あのときはヘンリーに恥をかかされたわ! 人前で人を大食い女って言うなんて!」
ストーップ! 待て! 待て~い!
俺はそう叫びたい衝動にかられたさ。
俺がいつそんな暴言を吐いた? 俺は『大食い女』だなんて一言もいっていないぞ。『よく食うな』って言っただけだ。それがどこをどうやって脳内変換されたらそんな台詞になる? 被害妄想もいいところだ。
しかし、この俺はひじょーに心の広い男である。
か弱い女相手にムキになって口論したりはしないぜ?
よって、今回も折れてやったんだ。
どうだ? いい男だろう?
オメエらも見習えよ?
その後も些細なすれ違いは続いた。
キーワードは『大丈夫』だ。まさに、『大丈夫』の呪いだな。嫁さんの口からこの台詞が出たら要注意だ。
そして、決定的な事件は人生最良のはずのまさにその日に起こった。
「ヘンリー。メリッサがまだ来てないんだけど、知らないかい? 先に出たはずなのに」
まさに式の直前、俺は緊張の面持ちで自らの出番を待っていた。そんな中、控え室にやって来た嫁さんの母親の言葉に、俺は我が耳を疑った。
結婚式に花嫁が来ない。
新郎である俺はおろか、家族や親戚も行き先を言わずに嫁さんが消えた。
昨日、俺は嫁さんを家まで迎えにいくといった。けれど、嫁さんは『そんな心配しなくても、一人で大丈夫よ!』と言った。だから安心してしちまったんだ。そうだよ、また『大丈夫』だよ。本当に、あの台詞は呪われているな!
当然、周囲は大騒ぎになった。
俺も嫁さんが人身売買の盗賊団にさらわれたんだと思って焦ったよ。同僚、友人、家族、挙げ句の果てにアハマスで一番偉い領主様まで総出の捜索隊が組まれて、すったもんだの大騒ぎだ。
そうして探すこと四時間後、すっかり夕方になったころに嫁さんは家と教会の間にある河川敷で一人で黄昏ているところを発見された。
「メリッサ! 何やってるんだよ!」
これには温厚な(←ここ、強調させてもらうぜ。俺はとっても温厚なんだ!)俺もさすがにキレたぜ。
ウェディングドレスに身を包んだ嫁さんは人さらいにあったわけでも、体調が悪かったわけでもなく、ただぼんやりと川の流れを眺めていたんだからな。
今日は俺たちの結婚式のはずだったんだ。色んな人が俺たちのために時間を空けてお祝いに駆けつけてくれた。それなのに、俺の嫁さんはこんなところで何やっているんだ?
「ねえ、このドレス、どう思う?」
嫁さんは俺と目が合うと、ぼんやりとした表情で着ているウェディングドレスの端を摘まんだ。本来真っ白なはずのそれは、河川敷を歩いて、更に座り込んでしまったせいで薄汚れている。
「ずいぶん汚れちまったな」
「そうじゃなくてっ! 似合ってる?」
俺は困惑した。まっすぐにこちらを見上げるメリッサは、いつになく真剣な様子だ。
「ああ、似合ってるよ。当たり前だろう?」
「嘘! 前は違う柄が似合ってるって言ったわ!」
「は?」
俺は訳がわからず嫁さんを見返した。嫁さんの両目には涙が一杯に浮かんでいる。
「ヘンリーっていっつもそう! 『これはどう?』って聞くと『似合ってるよ』、『こっちはどう?』って聞くと『似合ってるよ』。全然わたしのことなんて見てないくせに!」




