第五十四話 ウェディングドレス
今話は挿話的要素が強めです。セシリオとサリーシャのある日の一コマ。
アハマスの城下では一番の仕立屋の一室で、サリーシャは鏡を見ながら思い悩んでいた。鏡に映るのは純白のウェディングドレスを身に付けた自分自身の姿だ。
鎖骨部分まではしっかりとしたシルク地、そこから上の首もとはレース生地で覆われたウェディングドレスは、サリーシャの希望を的確に反映した素晴らしい出来映えだ。でも……、とサリーシャは鏡をじっと見入る。
「とってもお似合いです。ですが……大変申し上げにくいのですが、やはり少しシンプル過ぎないかと……」
後ろでサリーシャの姿を眺めていた仕立屋がおずおずとそう切り出した。すると、部屋の壁際で控えていたノーラとクラーラまで、待ってましたとばかりに身を乗り出す。
「わたくしもそう思いますわ! お美しいサリーシャ様には、もっと華やかなドレスが!」
「そうですとも。これはこれで素敵なのですが、もう少し年を召した落ち着いた方に合う気がします。若いお嬢様にはもっと華やかなものがいいですわ」
二人からもダメ出しをくらい、サリーシャはぐっと眉根を寄せてますますじっと鏡を見入った。
このウェディングドレスはセシリオとの結婚式に向けて、サリーシャのためにオーダーメイドで製作されたものだ。デザインや生地選びの段階から、サリーシャの希望を事細かに聞いて仕立屋が一から仕立てた、世界に一着しかないドレスでもある。
そして、このドレスは非常にシンプルなデザインだった。装飾といえる装飾は、首もとのレース以外には何も付いていない。スカートの膨らみも少なく、控えめに言うと華やかさがない。はっきり言ってしまうと、地味なのだ。
ことの発端は、ドレスをオーダーしたときに、まだサリーシャがセシリオと一生を添い遂げられることに確信を持てていなかったことだった。一時の仮初め花嫁が一度しか着ないウェディングドレスに大金をかけるわけにはいかない。そう思ったサリーシャは、セシリオが恥をかかない程度にきちんとした、しかしながら極力装飾を排除した安価なドレスをオーダーした。
何度も本当にこれでいいのかと口酸っぱく確認した仕立屋は、大丈夫だと言い張るサリーシャのその希望をしっかりと実現させた。そして、仮縫いまで仕上がったドレスが今着ているこれである。
「今から装飾を増やすことは可能かしら?」
サリーシャはスカートの裾を持ち上げて、少し膝を曲げる挨拶のポーズをとった。素敵なことは素敵なのだが、いかんせん華がない。おずおずとそう切り出すと、鏡越しに目が合った仕立屋は片手を頬にあて、うーんと唸った。
「裾にレースを足すことや、腰にリボンを足すことは可能です。ただ、全体に刺繍を施すなどの大規模な変更は、時間的に難しいかもしれません」
「そう……」
結婚式までは二ヶ月を切っている。身から出た錆とはいえ、こんなにもシンプルなデザインにしてしまった自分が恨めしい。一生に一度の、世界で一番好きな人の花嫁となる、特別な日の衣装なのに。シュンとするサリーシャに、仕立て屋はおずおずと話しかけた。
「全体への刺繍は無理ですが、スカートの裾にレースをあしらったうえでスカートに花飾りを飾るのはいかがでしょう? 裾や首元のレースと同じ素材で作れば統一感も出て華やかになると思います。お勧めは、花の中心に真珠をあしらうことですね。格段に華やかになります」
「真珠?」
サリーシャは聞き返した。伯爵令嬢として生きてきたので、真珠のことはもちろん知っている。遠い異国の海で取れる、まん丸の白く美しい宝石だ。そして、それがどんなに高価であるかも知っていた。
「はい。いくつか付けるだけで、ウェディングドレスが途端に華やかになります。現王妃殿下が結婚式で着られた衣装にも、真珠があしらわれていたことは有名です」
「そうなの……」
サリーシャは鏡を見つめながら、じっと観察するように目を細めた。見れば見るほどシンプルだ。デザイン段階で何度も仕立て屋がもっとこうしてはとアドバイスしてくれたのに、なぜ頑なに断ってこんなにもシンプルなデザインにしてしまったのか! その真珠と花飾りを付けて華やかになるのであれば、是が非でもお願いしたい。しかし、気になるのはその値段だ。
「セシリオ様にも相談してから決めてもいいかしら?」
「はい、もちろんです。せっかくですから、華やかな方がサリーシャ様にはお似合いになると私共も思います」
仕立て屋はにっこりと微笑むと、深々と頭を下げた。
その日の夕食時、サリーシャは早速ドレスのことをセシリオに切り出した。
「閣下。実は、結婚式で着るウェディングドレスなのですが……」
「ああ。今日仮縫い段階のものを見に行くと言っていたな。どうだった?」
「実は……、その……、少しデザインを変えたいのです」
優しく目を細めるセシリオに、サリーシャはおずおずとそう打ち明けた。その途端、セシリオは動きを止めてピクリと片眉を上げた。
「なに? もしや、ドレスに満足いっていないのか?」
「満足いってないといいますか、少し気になるところがありまして」
元はと言えば、完全に自分のせいだ。希望通りに作ってもらったのに満足いっていないというのは、さすがに憚られた。
カシャンっと高い音が鳴る。サリーシャはハッとして正面を見た。セシリオの皿の上にフォークが転がっている。持っていたフォークが手から抜け落ち、皿に当たって音が出たようだ。さらによく見ると、セシリオの顔は青ざめ、わなわなと震えている。
「閣下? どうされましたか?」
「──それはよくない。すぐに直すんだ!」
「でも……、だいぶお金がかかってしまいそうなのです」
「お金は問題ない」
「真珠を付けようかと迷ってますの」
「真珠? 百個でも千個でも好きなだけ付けろ」
「い、いえ。そんなに沢山は……」
「とにかく、ウェディングドレスを満足いくように直すんだ。ウェディングドレスは大事だ。一切の妥協を許してはならない!」
──そ、そんなに!?
サリーシャは戸惑った。セシリオがまさかこんなにウェディングドレスに妥協を許さない男だとは知らなかった。サリーシャは勝手に、男性は女性のウェディングドレスなど、たいして興味を持たないものだと思い込んでいたのだ。
もしかしたら、最初に用意してくれた数着の普段着用ドレスもセシリオのこだわりが詰まった特別なドレスなのかもしれない。そうとは知らず、今まで能天気に着てしまったことを少し申し訳なく思った。
「いいか、サリーシャ。ウェディングドレスはきみの満足いくようにしっかりと作るんだ。なんなら、二、三着作っても構わない」
眉を寄せて力説するセシリオをサリーシャは半ば唖然として見つめた。何日も祝う王族でもないのに、ウェディングドレスを二、三着作るなど、聞いたことがない。
「それはちょっと……。でも、わかりましたわ。なるべく満足いくように、明日にでももう一度仕立て屋さんに行って参ります」
「ああ、それがいい。いいか、サリーシャ。一切の懸念事項を払拭するような、満足いく一着を作るんだ。金は気にするな。わかったか?」
「はい。わかりましたわ」
──セシリオ様が、実は、こんなにウェディングドレスにこだわりのある方だったなんて!
サリーシャは心底驚いた。人は見かけによらないとは、まさにこのことだ。
『ウェディングドレスは女の一生の夢』とはよく聞くが、セシリオに関しては男でも当てはまるようだ。これは、中途半端なものなど着たら大変なことになりそうだ。
コクコクと頷くサリーシャを見て、セシリオはようやく満足したように朗らかに微笑んだ。
***
「モーリス。実は危ないところだった」
「危ない? 何がだ??」
翌朝、執務室で会うなりそう言ったセシリオの言葉に、モーリスは眉をひそめた。やっと王太子夫妻の婚約披露パーティーの件が片付いたのに、またどこかで紛争の種が沸き起こったのかと思ったのだ。
いつになく深刻なセシリオの様子に、モーリスはゴクリと唾液をのみ込んだ。
「実はな……サリーシャがウェディングドレスに満足いってなかったようだ。危うく第二部隊のヘンリーの二の舞になるところだった」
「えっ! お前……、よかったな。事前に気付いて」
「ああ。本当に危ないところだった」
女心と秋の空。
いくらセシリオを慕っていると言って愛らしい笑顔を向けてくるサリーシャであっても、油断をしていると何が起こるかはわからない。結婚式を済ませるまでは気を抜けないのだ。
花嫁の、ドレスへの想いを侮るなかれ。
二人は顔を見合せると無言で頷き合った。
まさかセシリオとモーリスがこんな会話を交わしていたとは、サリーシャは知るよしもない。




