第四十九話 真相
体の震えがようやく治まると、代わりにどっと疲労感が押し寄せてきた。
カチャっと応接室のドアが開き、トレーにのせたティーセットを持った侍女が入室する。目の前のローテーブルにティーカップを置くと、慣れた手付きでポットから紅茶を注いでゆく。白い湯気に乗って、芳醇な香りがふわりと漂った。
「どうぞ」
「ありがとう」
前に差し出されたティーカップの中では、琥珀色の液体が揺れていた。透き通って見えるカップの底に描かれているのは、バラだろうか。
きっととてもいい茶葉を使っているだろうから迷ったけれど、なんとなくミルクティーが飲みたい。ティースプーンに一杯のお砂糖とミルクを足して一口口に含むと、優しい味わいが口の中に広がった。サリーシャはまだ若干こわばったままの体からふっと力が抜けるのを感じ、まるで生き返ったような感覚を覚えた。
「少しは落ち着いたか?」
「はい。……ご迷惑をおかけしました」
「迷惑などではない。きみが無事で本当によかった。俺が……俺が悪かった。以前の晩餐の際に奴の言動に違和感を持ったのに、十分な警戒をしなかった」
隣に座り、心配そうにサリーシャの顔を覗き込んでいたセシリオが、ぐっと唇を噛んだ。
セシリオのいう『以前の晩餐』とは、まだブラウナー侯爵が到着して間もない頃に開催した夕食会のことだ。ブラウナー侯爵はその時、『ならず者が未来の国母を狙った』と言い切った。しかし、公にされた情報では、『ならず者が王太子殿下とその婚約者を狙った』とされていた。些細なことだが、セシリオはずっとそのことが、まるで喉に刺さった魚の骨のようにすっきりせずに引っ掛かっていたのだという。
その表情から後悔と懺悔の気持ちを感じとり、サリーシャはふるふると首を振った。
「閣下は悪くありません。いつだってわたくしを助けて下さいますわ。今日も、わたくしを助けて下さいました」
まっすぐにヘーゼル色の瞳を見つめる。自分が、心からそう思っていることが伝わるように。セシリオはぐっと眉を寄せるとサリーシャの手を包むように手を重ねた。サリーシャはその大きな手の上に、もう片方の手を重ねる。
セシリオはサリーシャをいつだって助けてくれる。どんな時も優しく包み込み、安心させてくれる。再会したその日から、それは今も変わらない。サリーシャにとって、セシリオはまるで夢物語の騎士様、いや、王子様のように素敵な男性だ。本当に、自分には勿体ない位に。
宝石のように美しいヘーゼル色の瞳に目を奪われているとごほんっと咳払いが聞こえて、見つめ合っていたサリーシャとセシリオは同時に顔をそちらに向けた。テーブルを挟んだ向かい側で、なんとも言えない微妙な表情を浮かべたフィリップ殿下がこちらを眺めている。
「あー、そのだな……。サリーシャが落ち着いたなら、そろそろ話を始めてもよいか?」
「はい。お待たせいたしました」
サリーシャは慌てて頭を下げると姿勢を正した。フィリップ殿下は小さく頷くと、少し身を乗り出すように肘を膝につく。そして、今回の事件の真相について、調査内容を話し始めた。それは、サリーシャの想像だにしていなかった内容だった。しかし、セシリオは薄々感づいていたのか、落ち着いた様子で話を聞き入っていた。
「まず、サリーシャをあの日刺した男だが、ブラウナー領にあるクロール村に住んでいた、アドルフという若い男で間違いない。猟師として生計を立てながら、腰を悪くした母親と病弱な妹を養っていた。父親は既に他界しており、家族思いのいい男だったと、周囲では評判だったようだ」
フィリップ殿下はそう言うと、サリーシャとセシリオの顔を見た。サリーシャとセシリオは、無言のままフィリップ殿下の話に聞き入った。
「貧しかった故に猟銃を持たずに古ぼけた短剣一つで狩りをしていて、その見事な腕前は隣町まで評判になるほどだったという。このアドルフは病弱な妹の治療費の工面に苦労していた。そんなアドルフの元に、ある日金持ちが仕事を依頼に来た」
「それが、ブラウナー侯爵だと?」とセシリオは、尋ねた。
「ああ」とフィリップ殿下は頷く。
「正確に言うと、ブラウナー侯爵から依頼された違法な闇商人だ。目的は一つ。万が一俺が自分の娘を婚約者に選ばなかった場合に、その男を使って選ばれた令嬢を亡き者にすることだ」
サリーシャは驚きで目を見開いた。
フィリップ殿下の婚約者候補は沢山いたが、その中でも特に有力視されていたのはサリーシャを筆頭に、マリアンネも含めた四名程度だった。フィリップ殿下は将来のタイタリア国王という立場上、必ず妻をめとる必要がある。もし、選ばれた婚約者がいなくなれば、婚約者選びはまた一からやり直しだ。その場合、選ばれるのは有力視されながら選ばれなかった残りの令嬢の誰か一人になる可能性が高い……
「なんて恐ろしい……」
体の奥底からこみ上げる恐怖心に、サリーシャはぶるりと身震いをした。人は権力欲しさにここまで出来るものなのだろうか?
王室との縁が欲しくて色々と画策する貴族は多い。マオーニ伯爵がサリーシャにしたように、領地内で評判の美しい娘を養女にして淑女としての教育を施すのはその最たる例だ。しかし、人を殺めてまで縁を繋ごうとするのは、明らかに一線を越えていた。
「あれは非常によく考えて策略が練られていた。犯人の男の身元工作は完璧になされていて、俺が指揮する精鋭部隊ですら身元を明らかにするのにここまで時間を要した。それに、成功して上手くいけば自身は未来の国王の外祖父として国政への発言力を増すことが出来る。万が一失敗した場合も、一番に疑われるのはダカール国だ。つまり、両国の関係が悪くなることで、自身の扱う軍事用品が飛ぶように売れる」
「だから、最初から武器を売ることを見込んで仕入れていたのか」
セシリオは忌々し気に吐き捨てた。
この短期間にこれだけの武器や防具を用意できるなど、常識では考えられない。最初からダカール国との関係悪化を見込んで、アハマスに売りつけるつもりで準備していたのだろう。
「アハマス卿がここにブラウナー侯爵を長期で足止めしてくれて助かった。おかげで、王都と領地のブラウナー侯爵邸をくまなく捜査して、証拠も押さえることが出来た。武器の取引の日時が書かれた領収書や偽装に使った経歴の調査書など、色々と出てきた。礼を言う」
「身に余るお言葉です」
セシリオは大きな体を揺らし、頭を垂れる。
サリーシャはそこでようやくフィリップ殿下がわざわざブラウナー侯爵本人に偽物の親書を託してアハマスまで使者として寄越した理由を理解した。ブラウナー侯爵に感づかれずに屋敷を捜査するために、疑われない方法で遠方に行かせる必要があったのだ。
その後も色々と調査結果を話し、一通りの話を終えたフィリップ殿下はふうっと息を吐いた。
「あいつは俺が王都に引き連れて行く。ご苦労だった」
「よろしくお願いします」
「ところでアハマス卿」
フィリップ殿下が頭を下げるセシリオに声を掛けた。
「サリーシャと二人で話をしたい。いいか?」
「殿下とサリーシャがお二人で、ですか?」
セシリオは顔を上げると、少し戸惑ったような顔をした。そして、心配そうにサリーシャを見つめる。
サリーシャは一度フィリップ殿下の方を見てからセシリオの方を向き、大丈夫だというように小さく頷いて見せた。フィリップ殿下はその様子をじっと見つめている。
少し不安げに眉を寄せたセシリオはサリーシャが承諾したのを確認すると、大きな巨体をのっそりと起こし、すごすごとドアの方へと向かった。




