第四十六話 危機
「さあ、サリーシャ嬢もやってみてください」
「わたくしも、やるのですか?」
サリーシャは思いがけないブラウナー侯爵の言葉に、戸惑った。自分は見ているだけだと思っていたのだ。
「当たり前でしょう? 未来のアハマス辺境伯夫人になるのなら、これくらいできて当然です」
ブラウナー侯爵にそう言われ、サリーシャもそんなものなのかもしれないと思った。手渡された弾薬は白い紙に包まれており、見た目は飴のように可愛らしく見えた。
遠くから、ガヤガヤと人々がひしめきあう音が聞こえる。
サリーシャは顔を上げると、もう一度は出入り口の方向を見た。何を言っているのかまでは聞こえないが、人々の騒めく音が風に乗ってここまで聞こえてくる。さきほど到着した一行は、かなりの大人数のようだと、その姿を見ずとも想像がついた。
「随分と沢山の人がいらしたみたいだけど、やっぱり見に行ったほうがよくないかしら?」
サリーシャはその方向を向いたまま呟いた。しかし、ブラウナー侯爵は面倒くさそうに首を横に振った。
「放っておきなさい」
「でも……」
「では、わたくしが見て参りますわ。少し外します」
心配するサリーシャを見かねたノーラがそう言って出入り口の方へ向かったので、ようやく納得したサリーシャはブラウナー侯爵に向き直った。ブラウナー侯爵は話を中断されてやや機嫌を損ねたようで、僅かに眉間に皺が寄っている。
「続きを。先ほど申し上げたとおり、弾丸は銃口から詰め込みます」
ブラウナー侯爵がもう一度説明始める。サリーシャはそれを聞きながら、おずおずと見よう見まねで自分もやってみた。
白い紙に包まれた火薬は黒砂のようにサラサラしており、弾丸は宝珠のように丸く、銀色に鈍く光っている。それを順番に銃口から詰め込んで押し込み、最後にマスケットレストにのせる。マスケットレストはただの一本の棒のような形状をしているが、それにのせただけで銃はとても安定した。取っ手の部分を持てば女のサリーシャでも難なく支えられるほどだ。
「引き金を引けば発射します」
「ええ」
サリーシャは手元の金属を見た。引き金は少し丸っこい形をしており、指がかけられるようになっている。本当に引くのは怖いから触るだけ。そう思って人差し指で軽く触れてみると、少しひんやりとした感触がする。
銃口の先を見つめると、的の円形が何重にもなっており、中央部分は黒く塗りつぶされている。あの黒い部分を狙えということだろう。
「ありがとうございます。勉強になりましたわ」
「? 引き金を引かないのですか?」
「はい。本当に引くのは怖いです」
サリーシャはそのままマスケット銃をマスケットレストから下ろすと、ペロリと舌を出した。サリーシャが銃を触ったのは今日が初めてだし、剣すら握ったことがない。たかが引き金を引くそれだけの行為が、なんとなく恐ろしく感じた。
ブラウナー侯爵はあからさまに眉を寄せ、はぁっとため息を吐いた。
「そんなことでは、立派なアハマス辺境伯夫人にはなれませんよ?」
「でも……、やっぱり怖いです。実際に撃つときは、セシリオ様にご一緒していただきますわ」
「……困りましたね。予定が狂ってしまう」
「予定? 大丈夫ですわ。結婚式まではまだ時間があるもの」
サリーシャはくるりと振り返り、笑顔で答える。しかし、その笑顔は一瞬で凍り付いた。
「サリーシャ嬢。いいからその引き金を引きなさい。それとも、わたしの流れ弾に当たることをお望みかな?」
振り返った先には、サリーシャにまっすぐに銃口を向けたまま佇むブラウナー侯爵がいた。
「ブラウナー侯爵。なにを……」
「あなたは本当に、人の計画の邪魔ばかりする。前回に引き続き、今回までも──。あなたに縁談を紹介すると言ったときに大人しく引き下がってくれれば、こんな事はしなくても済んだのですよ。なぜ予定通りに動かない?」
サリーシャは目の前の状況が理解できず、目を見開いたままブラウナー侯爵を見た。ブラウナー侯爵は細い目を三日月のようにして、こちらを見つめている。銃口はこちらを向いたままだ。陽の光を受けて黒光りするそれを見て、目の前の人が本気だということを悟り、サリーシャはゴクリと唾を飲み込んだ。
「わたくしにこんなことをして、セシリオ様は許さないわ」
「許さない? サリーシャ嬢、先ほど説明したでしょう? フリントロック式マスケット銃はとても信頼性が高い。しかし、その安全性は百パーセントではない。銃の暴発による事故死は、よくあることだ。これは、不幸な事故なんですよ」
何を言っているのか理解が出来ない。
事故? 狙ったときに、タイミングよくたまたまそんなことが、事故でおきるわけがない。
サリーシャはいまさっきマスケットレストから下ろした足元のマスケット銃を見た。ブラウナー侯爵は『不幸な事故』『銃の暴発』と言った。この銃には恐らく、何かしらの細工がされているのだ。サリーシャを事故に見せかけて殺すための何かが。あまりのことに恐怖で震える体を叱咤し、キッと睨み付けて叫んだ。
「あなたがわたくしを撃てば、明らかに事故ではないわ」
「ご心配には及びません。誤発射による事故死も多いのですよ。なんとでもなります」
ぐわんぐわんと頭の中で不愉快な警報音が反響し、足元がぐらぐらと揺れるのを感じた。
体から血の気が引き、声を出すことはおろか、どうして今立っていられるのかすらわからない。
バタバタと土を鳴らす音が近づいてくるのが聞こえたが、それが幻聴なのか、本当の音なのかさえも分からなかった。その直後、射撃演習場の出入り口の門がバシンと開け放たれた。
「サリーシャ!」
その呼び声を聞いた瞬間、サリーシャの体から一気に力が抜け、足元から崩れ落ちた。直後にマスケット銃が発射されるシュバーンという音があたりに響き渡った。




