第四十五話 マスケット銃
領主館の一階の応接室の一つ。サリーシャはブラウナー侯爵と向き合っていた。後ろにはノーラが控えており、二人の間にあるテーブルにはいくつかの本が並べられている。
それらの本には、様々な種類の防具や武器が挿し絵付きで載っていた。その一つ一つをブラウナー侯爵が指差して丁寧に説明していくのを、サリーシャは興味深く聞き入った。
ブラウナー侯爵がサリーシャに紹介したこれらの本は全てアハマスの領主館の図書室にあったもののようだが、サリーシャは全くその存在に気づいていなかった。興味がなかったともいうべきか。
ぺらりっと紙をめくる音が部屋に響く。
サリーシャは本の挿絵に載っている鎧の変遷を見ながら、ふと疑問を覚えた。以前は全身をすっぽりと覆っていた鎧が、最近のものになると逆に面積が小さくなっているのだ。
「なぜ鎧は全身を覆わないのですか? 腕が危なくないかしら?」
「銃が発達してきたからですよ。矢や剣であれば防げた鎧も、銃だと貫通してしまう。ですから、胸を守るために胴囲の鋼を厚くする必要があるのです。しかし、厚くすると重量が増してしまう。サリーシャ嬢はこの全身が覆われるタイプのプレートアーマーで、どれくらいの重量があるか想像がつきますかな?」
「全くわからないわ」
「例えばこれだと、大体三十キログラム程度あります」
ブラウナー侯爵は挿絵の一つを指差した。挿絵では、足先から頭の天辺まですっぽりと包み込むようなプレートアーマーが描かれていた。アハマスの領主館にある、接客用晩餐室に飾られているプレートアーマーもこのタイプだ。
「厚みを増せば当然これよりさらに重くなる。着ているだけで体力を奪われてしまいます。それに、風を通さず中に熱が籠る。ですから、最近の鎧は生命線である胴体を守ることに特化した構造になっているのです」
「三十キログラム!」
サリーシャは驚きの声を上げた。三十キロと言えば、そこそこ大きな子どもを抱えて戦っているようなものだ。想像をはるかに超えている。いくら男性でも、そんなものを着て素早く行動するのは無理だろう。
「それから、こちらは武器ですね。サリーシャ嬢もご存知の通り、以前は剣や弓、クロスボウが主流でした」
ブラウナー侯爵は本のページをめくると、これも順番に挿絵を指さして説明してゆく。
「しかし、近年の主流はさきほど申し上げたとおり、銃です。特に、これまで使ってきた火縄銃に変わって最近出てきたのが、フリントロック式と呼ばれる点火方式を用いたマスケット銃です」
「セシリオ様が先日、ブラウナー侯爵から五千丁購入していたものね?」
「その通り。実戦で勝利するのは、いかに銃を上手く使いこなすかが肝なのです。このフリントロック式マスケット銃は以前の銃と比べて飛躍的に信頼性が上がった。それに、値段も多少安価です」
「そうなのね」
サリーシャはブラウナー侯爵の説明を聞きながら、神妙に頷いた。昨日、本人を目の前にして『辺境伯夫人としての適性がない』と失礼なことを言い切っただけのことはあり、ブラウナー侯爵が説明することはサリーシャの知らないことばかりだ。
「よろしければ、実物があるのでお見せしましょう」
「実物があるのですか?」
サリーシャは驚いて聞き返した。フリントロック式マスケット銃は最近流通し始めたばかりなので、本にも挿絵が載っていない。いったいどんなものなのか、見てみたい気もした。
「アハマス卿にご紹介する見本用に持参していたのです。おい、持ってきてくれ」
ブラウナー侯爵が部屋に控える従者の一人に声をかけると、従者は恭しく布がかけられた長細いものをブラウナー侯爵に差し出した。ブラウナー侯爵がそれを受け取り布を取ると、布の下からは長細い筒状の棒のようなものが二組現れた。棒の片側は三角形のような形をしており、引き金のための金具や、火薬を入れるための火蓋などがついている。パッと見は木製に見えたが、よく見るとまわりを木で覆われているだけで、主要部分は金属でできている。
ブラウナー侯爵の説明によると、フリントロック式とは、引き金を引くことにより弾かれたフリントと呼ばれる火打石が金属部分に勢いよく当たり、そのときに発生した火花が火薬に引火して発砲する手法のことだという。
実物を見ながら、ブラウナー侯爵はサリーシャに一通りの操作の仕方を教えた。
「とても優れた武器だということがわかりました。ありがとうございます」
「これしきのことは構いませんよ」
説明を聞き終えたサリーシャがブラウナー侯爵にお礼を伝えると、ブラウナー侯爵はにこやかに微笑んだ。
──わたくし、もしかしてひどい勘違いをしていたのかしら?
サリーシャはブラウナー侯爵のその様子を見て、急激に自分が恥ずかしくなった。ブラウナー侯爵はマリアンネとセシリオを結婚させるためにわざと自分に意地悪を言っていると思っていたのだ。実は、本当にアハマスのことを心配していたのかもしれない。
「この後、せっかくだから外に行きましょう。少しなら火薬もあるから、狙撃するところもお見せできますよ」
「実際に使用するところを見られるのですか?」
「もちろん」
ブラウナー侯爵は髭を触ると、口の端を持ち上げた。ふと目に止まった時計の針は、十一時を指していた。
***
サリーシャがブラウナー侯爵と向かったのは、屋敷の裏手にある射撃演習場だ。広い演習場の少し離れた一角にいくつかの的があり、その中心を狙って撃つ練習をするのだ。アハマスの銃士達が練習したのか、的には沢山の穴が開いていた。外すことも多いようで、的の後ろの石積みの塀はボロボロになっている。
サリーシャは射撃演習場を興味深げに見渡した。もうアハマスに来てから四ヶ月ほど経つが、ここに来たのは今日が初めてだ。周囲をぐるりと黄土色の石の塀に囲まれており、出入り口には大きな金属製の扉が付いている。
そのとき、演習場の外から蹄の音と馬の嘶く声が聞こえることに気付いた。それも、一頭ではなく、沢山いるようだ。サリーシャはその音に反応して、音の聞こえる方向を見た。
「お客様かしら?」
射撃演習場は誤発砲や的を外した流れ弾による事故の防止のため、高い塀に囲まれている。そのため、この演習場の中からだと、外の様子が窺えない。見えるのは黄土色の高い石の塀だけだ。
ブラウナー侯爵も一瞬だけ馬の嘶く声がした方向を見たが、興味なさげにすぐに目を逸らした。
「ここの館は領主館と軍事施設としての機能が備わっていますからね。仕事関係の人間でしょう。それより、はじめますよ」
ブラウナー侯爵から銃を手渡され、サリーシャはそれを受け取った。見た目は軽そうなそれは、手に持つとずっしりと重量があった。
「随分と重いわ。それに、こうやって持つと結構大きいのね」
「そうですね。長さもあるので、これを腕の力で支えるのなかなか大変です。先ほど説明したように、このように使います。まずは銃口から火薬を挿入して、次に銃弾を入れる。これをこの棒状のもので奥に押し込みます。そしてこのマスケットレストを軸にして立てて──」
ブラウナー侯爵は一通りを説明しながら実演してゆく。マスケット銃と一緒に布にかけられていた一本の棒──マスケットレストをステッキのように床にたてて見せ、マスケット銃をその棒の上にのせた。横から見ると、その棒を台座にしてT字のような形に見える。
ブラウナー侯爵が引き金を引いた瞬間、マスケット銃のフリントが当たった火蓋がパシンと閉まる。シュバーンという独特の轟音と共に、銃口から銃弾が発射された。




