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第三十七話 逃避

 サリーシャは無我夢中でセシリオの部屋の前から走り去ると、自室に戻った。後ろ手でバタンとドアを閉じると、両手で顔を覆った。


『本当に見るに堪えない醜い傷があるのならば俺の妻には適さないのかもしれない』


 セシリオの言葉が脳裏に蘇る。サリーシャは立ち上がりドレスを乱暴に脱ぎ捨てると、姿見の前に体を斜めにして後ろ向きに立った。恐る恐る鏡を振り返ると、夜の薄暗い部屋でもわかるほど、はっきりと背中には傷跡が残っていた。


「なんで、なんで! なんでよ……。なんでなの……!?」


 口から零れるのは嗚咽混じりの悲鳴。


 なぜ自分にはこんな醜い傷があるのか。もう何ヶ月も経っているのに、どうして一向に消えないのか。そもそも、あの時にあんな男さえ現れなければ、あの男がフィリップ殿下とエレナに刃を向けたりしなければ、自分はこんな醜い傷を負うこともなかったのに。

 フィリップ殿下とエレナを庇ったことは、今も後悔はしていない。けれど、思うのだ。どうして自分だけがこんな目に合わなければならないのだろうと。


 先ほど、セシリオはサリーシャに醜い傷があるならば妻には適さないと言った。そして、サリーシャには事実として醜い傷がある。


「ここにはもう、居られないわ」


 サリーシャは零れ落ちる涙を手で拭い、クローゼットから一番シンプルなドレス──初めてここに来たときにセシリオが用意してくれた水色のワンピースを取り出した。未練がましいが、なにか彼からの想い出を持っていきたかったのだ。それを素早く身に着けると、マオーニ伯爵邸から持参した宝石を袋に詰め込み、手に握った。


 セシリオの妻になれないとしても、彼にこの傷を見られて罵られ、軽蔑されて捨てられるのだけは耐えられないと思った。好きになった人からそんな仕打ちを受けては、もう立ち直れない。それならば、そうなる前に自分から姿を消そう。

 そう決意して手に力を込めると、右手に握った袋からじゃらりと金属がぶつかるような音がした。サリーシャはチラリとそれを見た。

 サリーシャは現金を持っていない。けれど、この宝石を売れば、幾ばくかの資金にはなるはずだ。


 ドアを開けて廊下をうかがい、誰も居ないことを確認したサリーシャはそっと部屋を抜け出した。急がないと、そろそろクラーラとノーラが湯浴みの準備に来てしまう。そうすれば今夜ここを抜け出すことは難しい。


 サリーシャは薄暗い廊下を、背後を気にしながら足早に駆け抜ける。そして、出入り口の玄関ホール付近で足を止めた。


 領主館の入り口から見て右側のエリアはセシリオの居住区なので、人通りはそれほど多くない。けれど、領主館の入り口は左側の領地経営のための役人や軍人達が働くスペースと共有になっているため、この時間も多くの人が出入りしていた。深緑色の制服を着て歓談する軍人たちや、今日の務めを終えて欠伸をかみ殺す役人、家に戻る使用人……。

 物陰で身を隠して人通りが切れるのを待っていたせいで、思わぬ時間をくってしまった。けれど、一瞬人の流れが途切れたのを見逃さなかったサリーシャは、一目散に領主館の入り口から飛び出した。


 そのまま向かったのは、正面入り口の近くにある馬車置き場だ。

 馬車置き場には急な外出が必要になった緊急時に対応できるように、夜間も最低一人は御者が控えている。馬車置き場の横の小屋の外にはランタンが一つぶら下がっており、中では御者がでうたた寝をしていた。サリーシャは小屋の中を窓越し確認すると、激しくドアをノックして御者を起こした。


「馬車を出して欲しいの」

「それは構いませんが、こんな時間に奥様お一人でお出かけですか?」


 サリーシャが馬車を出すように言うと、眠そうに目を擦っていた御者は訝し気に眉をひそめた。こんな夜更けに侍女もつけずにやってきたサリーシャのことを、流石に不審に思ったようだ。


「どうしても出かけないとなのよ。いいから出してちょうだい。一番小さいものでいいわ」


 ここで狼狽えては不審さに拍車をかけるだけだ。サリーシャは出来るだけ強気にツンと澄ますと、そう言った。御者はどうにも納得いかない様子だったが、しぶしぶと馬車の準備をし始めた。


「それで、どちらにお出かけで?」


 御者に尋ねられてサリーシャは言葉につまる。サリーシャには、行く当てなどどこにもない。こんな夜更けでは宝石も換金出来ないだろう。

 そのとき、サリーシャの脳裏に一つの場所が思い浮かんだ。かつてセシリオと行った、女子供のための支援施設だ。あそこなら、一晩の宿を貸してくれるかもしれない。この御者には宝石を一つ渡し、口止めをしよう。そう思ったサリーシャは、御者に行き先を告げた。



 ***



 その馬車に揺られること十分弱。早くもサリーシャは足止めをくらっていた。

 一つ目の門でも足止めをされたが、サリーシャが出かける用事があると言い張ると門番は首をかしげながらも門を開けた。馬車は進み、今は二つ目の門の前だ。


「どちらに行かれるのですか?」

「ちょっと、外に用事があるの」

「外とは具体的にどちらです?」

「それをあなたに言う必要はありません」


 サリーシャがピシャリと言うと、門番はぐっと押し黙って手元にある書類のようなものを確認し始めた。


「しかし、本日把握している予定表にはその旨の記載がありません。外出許可証はありませんか?」


 サリーシャは内心でしまったと思った。


 マオーニ伯爵邸では、屋敷を出るときにチェックなど何もされなかった。普通の貴族の屋敷であれば、そんなチェックはされない。しかし、ここはアハマスの領主館であり、国境の要塞を兼ねているのだ。強固な外壁と濠に囲まれた領主館を守る門番は、その要塞を守るという職務を果たすため、そう簡単には門を開けそうになかった。


「わたくしは閣下の婚約者なのよ? そのような許可証は必要ないわ」

「しかしですね……」


 そんなやり取りをしていると、サリーシャが来た領主館の方から馬に乗った軍人が一人やってきた。サリーシャの乗る馬車の横で馬を止めるとさっと馬から降り、何かを門番と話込み始めた。チラリチラリとサリーシャの乗る馬車の方を見ている。


 サリーシャは嫌な予感がするのを感じた。既に自分があの部屋を飛び出してからかなりの時間が経っている。クラーラとノーラたちが自分が居ないことに気付いて、探し始めているかもしれない。もしかすると、セシリオにもそのことが報告されている可能性もある。


「ねえ、急いでいるの。早く開けて」

「もう少しお待ちください」


 サリーシャは苛立った様子で開門を促したが、門は開かない。そうこうするうちに、再び馬の蹄のような音が後方から聞こえてきた。先ほどよりずっと大きな、重い音だ。その馬は馬車の後ろで停まったようで、後方から馬の嘶く声が聞こえた。そして、乱暴に馬車のドアが開け放たれる。


「きゃっ!」


 サリーシャは思わず耳を塞いで目を閉じ、小さな悲鳴を上げた。

 乱暴に開けられたドアは勢いよく開いたせいで、百八十度回って馬車の躯体に激しくぶつかり、ガシンと大きな音を立てた。サリーシャの座る椅子まで振動が伝わってきたほどだ。

 もしかするとドアは壊れてしまったかもしれない。少なくとも大きく傷ついたはずだ。


 恐る恐る目を開けたサリーシャは、その開いたドアの方を向いて息をのんだ。


「……閣下」


 そこには鬼のように恐ろしい形相をしたままサリーシャを見下ろす、セシリオがいた。


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