第三十五話 商談
セシリオは怒鳴り出したい衝動を必死に押さえつけながら、その男と向き合っていた。フィリップ殿下から託されたと渡された親書の赤黒い封蝋には、確かに王室の紋章が押されていた。内容は予想どおり、ダカール国との開戦に備えよ、という内容だ。
ブラウナー侯爵は到着以降、熱心に武器の売り込みをしている。それは彼の仕事なので別に構わない。セシリオが我慢ならないと感じていたのは、娘であるマリアンネを自分の妻にとしきりに薦めてくるだけでなく、ブラウナー侯爵がサリーシャを貶めるような発言や態度を繰り返していたことだった。
その日も夕食後にセシリオの私室を訪ねてきたブラウナー侯爵は、武器の売り込みを始めた。昼間は領地経営と軍隊の指揮で忙しいセシリオはブラウナー侯爵に十分に時間を割けていない。そのため、セシリオが高確率でつかまるこの時間帯を狙ってきたのだろう。
以前の剣と弓矢のみを使った戦いの時代は終わりを告げ、近年台頭しているのは火薬を使った新型兵器だ。しかし、この新型兵器はまだ出始めて間もないため、なかなか手に入らない。それらを短期間に大量に用意できると言い切ったブラウナー侯爵は、なかなか油断ならない男だ。
「必要な弾薬はあと三日で指定の倉庫に到着する予定です」
銃や大砲を戦争で使用するためには大量の弾薬を必要とする。ブラウナー侯爵は、これについても驚くほど短期間で考えられないほどの量を用意できると言い切った。しかも、こちらが指定した武器庫まで運送してくるという。
「助かります。代金は後でまとめてでも?」
「構いません」
セシリオは請求額が書かれた書類から顔をあげると、こめかみを指で押さえた。今まで売り込みをされたこれらを全てまとめて支払うと、アハマスの年間の領地収入に匹敵する額になる。なんとか支払えない額ではないが、領地経営に支障が出るほどの額だ。逆に言うと、領地は広いものの、そこにこれといった大きな収入源のないブラウナー侯爵家からすると、何年分もの収入に相当するはずだ。
話し合いが終わると、ブラウナー侯爵は自慢の髭を右手で軽く触り、大袈裟に口をへの字にして見せた。
「サリーシャ嬢のことですが、わたしは賛成しかねますね。彼女は長らくフィリップ殿下と親しくしていた。実は愛人だったのではと疑っています」
セシリオは内心で深い溜め息をついた。また始まった、としか言いようがない。ここ数日、セシリオは再三にわたってブラウナー侯爵にサリーシャとの婚約を解消するつもりが無いことを伝えている。にも関わらず、馬耳東風の状態だ。
しかし、今回は聞き捨てならなかった。サリーシャとフィリップ殿下が愛人関係など、言いがかりもいいところだ。セシリオはサリーシャに求婚するに当たり、一通りのことを部下に調査させた。調査報告を読んだ限りでは、そんなことはどこにも記載されていなかった。
「憶測でものを言われては困ります。彼女とフィリップ殿下はそのような関係ではないはずだ」
努めて冷静に話さないと、手を出してしまいそうだ。セシリオは肘を膝につき、両手を組んで手の甲に顎をのせると、静かにそう言った。
「しかしですね、先日も『争いは止めればいい』などと頓珍漢なことを言い出すし、アハマス辺境伯夫人としての素質に欠けるとしか思えない」
「アハマス辺境伯夫人が好戦的な性格では、争いが絶えなくなりむしろ素質に欠ける。彼女はあれでいいのです」
好戦的な性格の妻など、真っ平ごめんだ。年がら年中戦争しててはアハマスが潰れてしまう。セシリオが妻に望むことは、仕事で疲れて帰ってきたときに笑顔で迎えてくれるような愛らしさだった。
しかし、ブラウナー侯爵はなおも納得いかない様子で話を続けた。
「それはそうかもしれませんがね、うちのマリアンネは小さなころからアハマス卿と付き合いがあっただけあり、その辺のところがよく分かっているのですよ。サリーシャ嬢より、よっぽどアハマス辺境伯夫人としての適性があり、相応しい。それに、我がブラウナー侯爵家はアハマスにとって、なくてはならない存在でしょう?」
「……」
どの口が言うのかと、呆れてものも言えないとはこのことだ。
アハマスが戦後疲弊していた時期に婚約者として自分を支えてくれるどころか、我儘ばかりだった娘がアハマス辺境伯夫人にふさわしい? 挙げ句の果てに実家にとんぼ返りした娘を叱るどころか、一緒になって婚約破棄をしたのはどこのどいつだと、セシリオは強い嫌悪感を覚えた。
少なくとも、セシリオはあの時、ブラウナー侯爵家から『アハマス辺境伯家には婚姻を結ぶほどの利用価値なし』と見切りを付けられたと感じた。
「それにですよ、彼女は背中に醜い傷跡があるはずです。いくら美しいとは言え、アハマス卿の妻には相応しくない。辺境伯夫人ともあろう者が傷物など──」
「ブラウナー侯爵」
セシリオは必死に理性で怒りを抑えながら、低い声で言った。もう限界だと思った。どれだけサリーシャを貶める発言をすれば気が済むのか。この男にサリーシャの背中の傷を『醜い』などと言われるのは、我慢ならない。
「あなたの言うとおり、本当に見るに堪えない醜い傷があるのならば俺の妻には適さないのかもしれない。だが、彼女に醜い傷などない。だから、なにも問題はない」
セシリオはそう言うと、不愉快げに眉をひそめた。
「それに、あなたはサリーシャのことよりもご自分の娘を心配された方がいい。夜遅くに婚約者でもない男の元に何度も下着と見紛うような薄着で訪ねてくるなど、淫乱な女だと噂が立っても文句は言えない行動だ。はっきり言わせて頂くと、非常に迷惑している」
「なっ、なんですとっ!」
ブラウナー侯爵はさっと顔を怒りで赤く染めた。太っているせいで丸い顔が、まるで茹でダコのようだ。
「アハマス卿は若い故によく分かっていないようだ。我がブラウナー侯爵家と良好な関係を築けないと、困るのはそちらだ」
『その言葉はそのままお返しする』といいかけて、セシリオはぐっと黙り込んだ。アハマスが兵器を買わなければ、ブラウナー侯爵家にとっては一番の収入源が途絶えて大打撃となるはずだ。しかし、今のこの大事なときにブラウナー侯爵と険悪になるわけにはいかない。少なくとも、フィリップ殿下からの黄色い親書に書かれた期日までは。
黙り込んだセシリオを見つめながら、不機嫌顔のブラウナー侯爵が腰を上げた。
「今夜はこれくらいで失礼する。アハマス卿、あなたは少し頭を冷やされた方がいい」
捨て台詞を吐くと、ブラウナー侯爵はステッキをついて執務室から出ていった。そのブラウナー侯爵の後ろ姿を眺めていたセシリオは、ドアを開けたすぐ向こうに何かが落ちていることに気が付いた。
「なんだ?」
ソファーから立ち上がったセシリオがそれを拾いあげて眺めると、ハンカチだった。縁に深緑の線が入ったそのデザインは見覚えがある。そして、ハンカチには剣と盾、それに『S』が刺繍されていた。
「サリーシャ?」
セシリオはパッと顔を上げると暗い廊下の向こうに呼び掛ける。どこまでも続く暗闇の通路は、しんと静まり返っていた。
2018/11/27から誤字報告機能という機能が出来たみたいなので、発見されたかたはご報告頂けると助かります。




