第二十九話 嫉妬心
どこまでも抜けるような青い空、頬を撫でるのは爽やかな風。なのに、サリーシャの気分は沈んでいた。
前に目を向ければ、弾けんばかりの笑みを浮かべたマリアンネがセシリオに寄り添っており、その腕は逞しい腕に回されている。はたから三人を見れば、どう考えてもサリーシャが邪魔ものにしか見えないだろう。もしかすると、侍女だと思われているかもしれない。
「セシリオ様。わたくし、あそこのお店が見たいですわ」
甘えたような声でマリアンネが少し離れた小物屋さんを指さした。
セシリオに絡めている腕を引いたようで、セシリオもそちらの方へ足を進める。サリーシャがそちらに目を向けると、そこはちょっとした小物を売っているお店のようで、髪飾りなどのアクセサリーから小さな小物入れなど、様々なものが置かれているのがガラス越しに見えた。
サリーシャがぼんやりとその様子を眺めていると、セシリオがくるりと振り向いた。心配そうな表情でこちらを見ているので、サリーシャは大丈夫だと示すように笑顔で頷いて見せる。それでも少し眉を潜めたままこちらを見つめるセシリオを心配させないように、サリーシャは慌ててその後ろ追いかけた。
「サリーシャ、手を」
セシリオが近づいてきたサリーシャに空いている手を差し出す。けれど、サリーシャは無言でその手を見つめて、小さく首を横に振った。
「三人横に並ぶと道の邪魔になってしまいますわ」
「きみを一人には出来ない。それに、昨日の雨で足元が悪い」
セシリオが顔をしかめる。
「でも、マリアンネ様を一人にするわけにも参りません」
サリーシャは困ったように首をかしげる。
さっきからずっとこの繰り返しだ。
小さな声で今日何度目かのお決まりの台詞を告げると、セシリオはぐっと眉を寄せて最終的には有無を言わせずサリーシャの手を握った。
「閣下。邪魔になってしまいますわ」
「では、邪魔にならないようにもっとくっ付いてくれ」
セシリオは手を離す気はないようで、ぶっきらぼうに言い放った。力が強すぎて、握られた手が少し痛い。けれど、しっかりと握られたその手が「きみのことは忘れていない」と言われている気がして、サリーシャは弱くその手を握り返した。
小物屋さんで、マリアンネは大量の小物をセシリオにおねだりしていた。遠くから久しぶりに来たのだからお土産を、と言われると、セシリオも断りにくいようだ。ましてや相手は仕事で強いパイプのある侯爵令嬢、ないがしろに出来ないのも理解できる。サリーシャはその様子をまたぼんやりと眺めていた。
「サリーシャ。きみは何か欲しいものはないのか?」
セシリオに尋ねられて、サリーシャは小さく首を振った。
「いえ、大丈夫です。必要なものは揃っていますわ」
「本当に? きみは慎ましすぎて困る。きみにも何か買いたいんだ」
「でも、揃ってますから」
サリーシャの言葉に、セシリオは本当に困ったように肩を竦めて見せた。
***
屋敷に戻ってきてからも、サリーシャの気分は晴れないままだった。
本当だったら今日はセシリオと二人で馬に相乗りして出かけるはずだった。それなのに、相乗りはもちろんのこと、碌に話すことすらできなかった。回った行き先だって、全てマリアンネが行きたがった場所だ。
マリアンネは外出中、ずっとセシリオの腕に手を回したまま離そうとしなかった。侯爵令嬢であるマリアンネをサリーシャが押しのけることは出来ないし、セシリオも無下にすることは出来ない。仕方がないとはわかっていても、胸にもやもやしたものが広がっていくのを感じた。
部屋にいるのが何となく嫌で、とぼとぼとサリーシャが向かった先は中庭だった。
八割がたの造園作業が完成した中庭は、見事にかつての美しさを取り戻していた。苔がむしていた階段は真っ白な石に置き換えられ、小径も小さなブロックを組み合わせたものに作り替えられた。元々あった木々はそのままに、低い位置には小さな花が追加で植えられ、小径の両脇を色とりどりに彩っている。その小径の先には木製のガゼボが設置され、その中には小さなテーブルと椅子のセットも置かれた。
そして、サリーシャが一番こだわった場所は庭園の一番端にあった。芝生の広場の一画に、一見すると四角く植栽が施されている。しかし、その植栽はL字を二つ組み合わせたような形をしており、真ん中は外から見えないようになっているのだ。
この中に入ったサリーシャは膝を抱えて座り込んだ。足元の芝生を見つめながら脳裏に甦るのは、昨日、マリアンネから言われた言葉だ。
『婚約など、何度だって覆るのです。より、条件のいい方にね』
それが意味するのは即ち、サリーシャとセシリオの婚約など簡単になかったことに出来るということだ。そして、武器などの兵器を扱うブラウナー侯爵家が国防を担うアハマスにとって、とても重要な存在であることはサリーシャにもよく分かった。
サリーシャには、マリアンネとセシリオの婚約がなぜ解消になったのかはわからない。けれど、それを聞いて色々と納得したことも多かった。
図書室で最近の女性向けの本があったのは、間違いなくマリアンネのためだ。幼いときから何度も会っていたのも、婚約者だったからだろう。それに、セシリオと相乗りして出掛けたというのも……
セシリオは以前、婚約者に優しくするのは当然だと言った。彼はマリアンネにも自分に接するかのように優しく接したのだろうか。柔らかく微笑み、抱きしめたのだろうか。それを思うと、嫉妬で気が狂いそうだった。
「サリーシャ」
一時間はそうしていただろうか。サリーシャは自分を呼び掛ける低い声に体をびくりと震わせた。もう日が沈みかけ、中庭を囲む壁の一面がオレンジ色に染まっている。
「サリーシャ? こんなところで何をしてる? 皆が、外出から戻ったあとにきみの姿が見えないと心配している。そろそろ冷えるから、戻ろう」
「──戻りたくありません」
「サリーシャ?」
サリーシャを探しに来たであろうセシリオは、少し刺のある言い方に困惑したように立ち止まった。そして、サリーシャを無言で見下ろすと、スッとサリーシャの前に膝をついた。
「今日は悪かった。やはり、マリアンネの件は俺がきっぱりと断るべきだった」
「いいえ、わたくしはなにも気にしてませんわ」
口から出るのは心にもない言葉だ。なんと可愛いげのない女なのだろうと、自分でも呆れてしまう。それを聞いたセシリオは、サリーシャを見つめたまま少しだけ眉をひそめた。
「俺が気にしている。きみには悪いことをした。……それに、俺はきみと二人で出掛けたかった」
膝を抱える手を取られ、サリーシャは足元を見つめていた視線をゆっくりとあげた。ヘーゼル色の瞳はまっすぐにサリーシャを見つめている。
「俺はきみと二人で出掛けたかったんだ」
サリーシャに言い聞かせるように、セシリオがもう一度そう言った。




