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第二話 夢の終わり①

 夢の終わりは儚いものだ。

 川面に浮かぶ水紋のように、あるいは砂に描いた手紙のように、まるで最初からなかったかのように跡形もなく消え去る。

 ここにいた多くの人々には、確かにサリーシャがフィリップ殿下の隣に立つ未来が見えたはずだ。けれど、全員が示し合わせたかのように、そんなことは知らないふりをする。


 サリーシャは口元に笑みを浮かべてにっこりと微笑んだ。

 誰よりも美しくあるように、気高くあるように、そして何事にも動じていないかのように。


「殿下におかれましては、このようなよき伴侶に巡り会われましたことを、心よりお喜び申し上げます」

「ああ、ありがとう」


 フィリップ殿下はサリーシャの祝言に少しだけ口元を緩めた。皆を魅了する、その微笑みを浮かべて。


「ところで」


 フィリップ殿下の整った眉が僅かに寄る。


「サリーシャはこれからどうするのだ?」


 いまだにサリーシャを気にかけるとは、相変わらず優しい。その優しさはフィリップ殿下の美点だが、今のサリーシャには少しだけつらかった。


「まあ、殿下。わたくし、これでも『瑠璃色のバラ』と呼ばれておりますのよ? 素敵な殿方を射止めて幸せに暮らすに決まっているではありませんか。殿下に負けないくらい」


 サリーシャが自身の一番のお妃候補であったことは、彼自身も知っていたのだろう。それはそうだ。もう何年もの間、フィリップ殿下の隣にいる異性といえば、サリーシャだったのだから。


 サリーシャは口元を扇で隠すとウフフと笑う。

「嘘だわ」という心の声を、ぐっと押しとどめて。


 元々貧しい農家の娘だったサリーシャは、フィリップ殿下の妻の座を射止めるだけのために、領主であったマオーニ伯爵家に養女として迎え入れられた。サリーシャの珍しい瑠璃色の瞳と美しい容姿は、まだ十歳だったにも関わらず村の外まで評判だったという。


 サリーシャには、このミッションを達成できなかった今、帰る場所もない。あの厳しい養父にはなんと言われるだろう。よぼよぼの、けれど権力だけはある老人貴族にでも売られるのが関の山だろう。


 これから先、自分に幸せなどあるのだろうか。ちっとも想像がつかないけれど、それでもそう言うしかなかった。なぜなら、サリーシャは自分に与えられたミッションを抜きにして、フィリップ殿下という人間のことがそれなりに好きなのだ。彼を困らせたくはなかった。


「それもそうだな。サリーシャに微笑まれて虜にならぬ男などいないだろう」


 タイタリアの若き王太子──フィリップ殿下は納得したように頷き、朗らかに微笑んだ。


 なんて残酷なことを言うのだろうと、サリーシャは目を伏せた。

 騙そうとしていたのは、とても優しくて、そして酷く残酷な人だ。自身は決してサリーシャの虜にならなかったくせに、悪気なくそんなことを言う。

 そのこんこんと涌き出る泉のように澄んだ瞳に映るのは、自分ではない。それに気付いたのはいつからだっただろう。


 フィリップ殿下は隣にいる少女──エレナ=マグリット子爵令嬢と視線を絡ませるとそっと肩を抱き寄せ、その頭頂部に愛しげにキスをした。エレナ様の頬がバラ色に染まり、フィリップ殿下はそれを見て頬を緩める。

 エレナは王都から遠く離れた田舎の子爵家のご令嬢だ。なんのとりえもない地域の、たいして身分もない子爵の長女である彼女は、この国のだれもが憧れる座を手に入れた。この結末は、多くの貴族達にとっては予想外だった。けれど、サリーシャには予想出来ていた。


 初めてフィリップ殿下がエレナと出会ったそのとき、サリーシャはその場に居合わせた。

 それは、今から一年ほど前、サリーシャとフィリップ殿下が王宮内を、世間話をしながら散歩しているときのことだった。サリーシャがふと言葉を止めたフィリップ殿下の視線の先を追うと、きょろきょろと辺りを見回す可愛らしい少女がいた。


「レディ。どうかしましたか?」

「あ。あの、今日はデビュー前に国王陛下にご挨拶に行くはずが父とはぐれてしまいまして。どちらに行けばよいのか、広すぎてさっぱり……」


 社交界デビューを前に国王陛下にご挨拶に来ていたエレナは、迷子になり捨てられた子猫のような表情を浮かべていた。眉尻が下がり、不安そうにあたりを見回す姿は女のサリーシャから見ても庇護欲をそそった。


「それなら謁見控室だな。よし、散歩ついでに案内しよう」


 元々優しいフィリップ殿下はすぐにそう言うと、片手をエレナに差し出した。

 サリーシャは静かにその横に同行する。エレナはそのとき、ちょうど十六歳の誕生日を迎えて社交界デビューのために初めて王都に出てきたと言った。

 純朴そうな彼女の話す内容は領地の畑のことだとか、屋敷の馬の出産を手伝っただとか、おおよそ化粧と香水の匂いをぷんぷんとさせた典型的な貴族令嬢──もちろん、サリーシャもその一人だ──しか周りにいなかったフィリップ殿下にとって、とても新鮮だったのだろう。


「この部屋で待っていれば大丈夫だろう」


 控室の前まで案内したフィリップ殿下はドアの前に立つ衛兵に二、三言なにかを告げると、彼女に向き直った。


「ありがとうございます。あの……、お優しいお方。お名前は?」

「君がデビューすればすぐにまた会えるだろう。そのときまで、秘密にしておこう」


 そう言ってエレナの手をとり、甲にキスをした。そのとき、エレナの頬が染まり、フィリップ殿下の瞳には熱がこもるのを、サリーシャは確かに見たのだ。

 ああ、こうやって人は恋に落ちるのね、と妙に冷静に二人を見つめる自分がいた。


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