第二十六話 晩餐②
晩餐室に入ったサリーシャは、部屋の中を見渡した。幅五メートル、奥行き十メートルほどの部屋の中には、中央に長細い形をした木製の重厚なダイニングテーブルが置かれ、その周りには椅子が十脚置かれていた。マオーニ伯爵邸にもあった接客用ダイニングルームとよく似た造りだ。
部屋の両隅にはプレートアーマーの飾り鎧が一領ずつ置かれており、壁には馬に乗って剣を掲げる軍人達のタペストリーが飾られていた。そして、テーブルの中央には大きな装花が飾られており、室内を華やかに彩っている。
サリーシャ達が部屋に入りしばらくすると、廊下をカツカツと鳴らす足音が聞こえた。徐々にその足音が近付き、間もなく開いたドアの向こうからマリアンネが現れる。
「ごきげんよう、セシリオ様、モーリス」
マリアンネは部屋に入るなり、眩いばかりの笑みを浮かべて完全なる淑女の礼をした。
サリーシャはその姿を見て少なからず驚いた。サリーシャも今夜は少しお洒落をしてきたが、マリアンネの衣装はその比ではなかった。王都で流行していたオフショルダーのシルク製の黄色いドレスは、たっぷりとレース飾りが施され、随所にクリスタルが縫い付けられていた。マリアンネの動きに合わせてそれらがキラキラと幻想的に輝きを放つのだ。
胸元と耳に飾られているのはダイヤモンドだろうか。透き通った石は、上から吊るされた小さなシャンデリアの光を受けて圧倒的な存在感を放っている。
そして、しっかりと施された化粧は一切の隙がなく、髪もまるで王宮の舞踏会に行くが如く美しく結われていた。
「マリアンネ。こちらは俺の婚約者のサリーシャだ」
セシリオがサリーシャの肩を抱き、マリアンネに紹介した。
「よろしくお願いします、マリアンネ様。王都ではお姿を拝見していたのですが、ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
サリーシャはスカートの端を摘まみ、ペコリと挨拶をした。
「ごきげんよう。……婚約者……ね」
マリアンネは小さく呟くと、値踏みをするように上から下までジロジロとサリーシャに視線を這わせた。サリーシャは幾分かの居心地の悪さを感じて、困惑した。この視線は、王都でフィリップ殿下の隣に居たときによく感じたものだ。
「立っているのもなんだし、座ってくれ」
セシリオの掛け声で居心地の悪い時間が終わる。
サリーシャはホッと胸を撫で下ろして椅子に腰をおろした。しばらくすると食事が運ばれて来たが、それはいつもの食事とは違い、きちんとしたコース料理だった。前菜は根菜のムース仕立てと、野菜とレバーの二種類のテリーヌだった。その食事を口に運びながら、会話は和やかに進んでいく。
「ここは昔と変わらないわね。とても懐かしいわ」
「ああ、そうだな。物の流通も増えてきて、町の人口もすっかり戦争前と同じレベルまで回復した」
マリアンネが懐かしそうに目を細めると、セシリオが頷いて相槌をうつ。サリーシャが見る限り、マリアンネとセシリオ、モーリスは旧知の仲のようだった。サリーシャの知らない話題も多く、サリーシャは殆ど会話に参加することができなかった。
「サリーシャ様、素敵なドレスですわね」
ふと会話が途切れた時にマリアンネに微笑みかけられ、サリーシャはパッと表情を明るくした。
「ありがとうございます。父が新調して持たせてくれたのです」
「そう。本当に素敵だわ」
そう言ってマリアンネは一旦言葉を切った。そして、少し小首をかしげる。
「でも、最近はVネックよりオフショルダーの方が人気が出てきてますのよ。サリーシャ様は肌が白くてお綺麗だから、似合うと思いますの」
「え……」
聞き間違えかと思い、サリーシャは絶句したままマリアンネをまじまじと見つめた。マリアンネはにこにこと笑顔を浮かべている。
サリーシャはその時、にっこりと微笑むマリアンネから明確な悪意を感じとった。サリーシャがフィリップ殿下とエレナを庇って背中に重傷を負った時、マリアンネはサリーシャ同様に王太子妃候補としてその場にいた。サリーシャが背中に醜い傷を負っていることを知らぬはずがないのだ。
「俺はサリーシャにはこのような控えめなデザインの方が似合うと思うが」
青ざめて何も答えられないサリーシャの横から、セシリオが口を挟んだ。そして、サリーシャの方を向いて目が合うと優しく微笑んだ。
「それに、美しい肌を晒してはあらぬ虫が寄ってこないとも限らない。きみの肌を直接見るのは俺だけでいい」
「そうだな。舞踏会会場で怪我人を出さないためにも、俺もそれがいい思うぜ。お嬢様はできるだけ肌を隠した方がいい」
正面に座るモーリスも納得したように頷くと、ニヤリと笑った。マリアンネは一瞬だけ顔を顰めたが、すぐに何事もなかったかのようににっこりと微笑んだ。
「まあ。これはセシリオ様のお好みでしたのね。わたくしったら何も知らずに、失礼を申し上げました」
「いえ、お気になさらずに……」
サリーシャは引き攣りながらもなんとか笑みを返す。一体目の前のこの女性が何を考えているのかがわからず、空恐ろしいと思った。
「ところで、久しぶりにここに来たのですから、城下を見てまわりたいわ。セシリオ様、明日にでも案内してくださいませ」
マリアンネは斜め前に座るセシリオに話しかける。サリーシャはそれを聞いてセシリオに視線を向けた。確か、明日は用事があるようなことを言っていた。
「明日? 明日はちょっと、都合が悪いな……。誰か別の者に案内させよう」
「別の者? せっかくなのですから、セシリオ様に案内して頂きたいわ。明日が駄目なら、明後日は?」
「明後日ももう予定が入っている」
「まあ! せっかくはるばる遠くから来ましたのに、案内もして下さらないなんて。昔は馬に相乗りでよく色んな所を見せて下さったじゃないですか」
「……それは、ずっと昔の話だ」
セシリオが低い声で小さく呟く。
サリーシャは、よくわからないがこの場の空気が悪い方向に向かっていることは感じ取った。それに、マリアンネがセシリオが案内すると言うまでひく気がないことも感じとり、なんとかしなければと思った。
「あのっ! 明後日であれば、わたくし達のお出かけにご一緒していただいてはいかがでしょう?」
自分でも、なぜこんなことを言ってしまったのかわからない。ただ、この場のピリピリした雰囲気をなんとか収めなければと思った。
「あら、明後日はお二人でお出かけの予定が? なら、ちょうどいいわ。わたくしもご一緒させて下さいませ」
マリアンネがさも名案とばかりに、にっこりと微笑む。対して、セシリオは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
「……本当にいいのか?」
「もちろんです」
探るような口調でセシリオに問いかけられ、サリーシャは笑顔で頷く。
本当は、二人で出掛けたかった。けれど、この場で「やっぱり、嫌です」と言い出せるほどの無神経さをサリーシャは持ち合わせていなかった。
「……わかった。きみがそれでいいなら、そうしよう」
ため息をつくようにそう言われ、サリーシャは自分は何か間違ったのだろうかと不安になり、顔を俯かせた。




