第二十五話 晩餐
サリーシャは鏡の前で自分の姿を確認した。
流れる金糸のようだと例えられる金色の髪は、簡単に結い上げて髪飾りを飾るだけで、途端に上品な夜会スタイルが出来上がる。身に着けたドレスはマオーニ伯爵邸から持参した少しだけ飾りの多いもので、Aラインのスカートは美しく裾に向かって広がっている。Vネックになった襟元から覗く首の白さと紺色のドレスは対照的でよく映えており、背中はしっかりと上まで隠れるデザインになっていた。
「おかしくないかしら?」
「とてもお綺麗です」
鏡越しにノーラに尋ねると、ノーラは口の端をしっかりと上げ、にっこりと微笑んだ。
今日の昼間、来客があったらしいことはサリーシャもその気配で気付いた。先ほどセシリオに聞いた話では、ブラウナー侯爵家のご令嬢が仕事の書類を届けに訪問したと言っていた。今夜はそのブラウナー侯爵家のご令嬢の歓迎のため、いつもよりは豪華な晩餐にすると聞いたので、少しだけ着飾ってみたのだ。
耳元にはドレスと同じくマオーニ伯爵邸から持参したサファイアのイヤリングを飾りながら、サリーシャは記憶を辿っていた。
ブラウナー侯爵家のご令嬢、マリアンネとは何回も王都の舞踏会や夜会で顔を会わせたことがある。サリーシャより少し年上の二十二歳で、艶やかな栗色の髪と大きな茶色の瞳が魅惑的な、美人だった。そして、サリーシャ同様に、今年二十歳を迎えたフィリップ殿下のお妃候補として最も有力視されていた一人だった。
フィリップ殿下と長らくもっとも親しくしていた女性は間違いなくサリーシャだったが、フィリップ殿下のお妃候補はサリーシャの他にも十人以上いた。そして、その中で侯爵令嬢かつあれ程の美しさを持つ女性はマリアンネしかいなかった。
当時、サリーシャは他のお妃候補のご令嬢達はライバルなのだからと、マオーニ伯爵よりあまり接触することを禁じられていた。直接言葉を交わしたことはないが、脳裏に蘇るのはいつも自信に満ちた様子で微笑を浮かべている、華やかな美女だ。
イヤリングを着け終えると、今度は同じデザインのサファイアのネックレスに手を伸ばす。サリーシャは、一体マリアンネはどんな人なのだろうと少しわくわくした気分の高揚を感じながら、首に飾った青い輝きを見つめた。
***
晩餐の会場は、屋敷の一階に位置する接客用の晩餐室だった。サリーシャはまだ入ったことのない部屋だ。時間の少し前に階下に降りると、ちょうどセシリオも仕事を抜けて来たところのようで、軍服姿で前を歩く姿が見えた。
「閣下」
サリーシャは小さく呼び掛ける。
さほど大きな声ではなかったにも関わらず、セシリオはくるりとこちらを振り返った。そして、サリーシャの姿を目に留めると、少しだけ目をみはった。
「マリアンネ様の歓迎晩餐会とお聞きしたので、少しだけお洒落をしてみました。どうでしょう?」
サリーシャは両手でスカートの端を摘まみ、何回も練習した淑女の礼をして見せる。顔を上げると、何故かセシリオは眉間に皺を寄せ、難しい顔をしていた。
「閣下?」
サリーシャはセシリオの様子に、自分がなにかまずいことをしでかしたのかと狼狽えた。セシリオはサリーシャを見つめたまま、コホンと咳払いをする。
「サリーシャ。今日はモーリスも出席する」
「はい。もちろん、知っております」
サリーシャはコクンと頷く。その話は先ほど晩餐会を行うと聞いた時に、聞いている。
「こんなに美しいきみの姿をあいつに見せるのは腹立たしいな」
「はい?」
聞き間違えかと思わず聞き返したが、セシリオはそれに答えることはなかった。忌々し気な様子で舌打ちすると、気を取り直したようにサリーシャに片手を差し出した。
サリーシャはセシリオの顔とその手を交互に見比べ、おずおずとそこに自らの手を重ねる。手と手が触れ合った瞬間、しっかりと握られたそれがグイッと引かれ、少しよろけたサリーシャはセシリオに抱きとめられるような格好になった。大きな体に包まれるように、力強く腰を支えられた。
「とても綺麗だ。俺が独り占めしたいくらいに」
「っ! ありがとうございます」
耳元に口が寄せられ、直接吹き込むように囁かれる。サリーシャは全身がカアッと熱くなるのを感じた。サリーシャは元は社交界で『瑠璃色のバラ』とうたわれた身だ。男性からの甘い言葉など散々聞きなれているはずなのに、セシリオから直接的な誉め言葉を囁かれると、どうにも上手くかわせない。
セシリオは真っ赤になったサリーシャを見つめると、愛おし気に抱き寄せてこめかみにキスをした。
「おい、セシリオ。イチャイチャするのは結構だが、後ろが詰まってる。そういうことは私室でやってくれ」
その時、呆れたような声が後ろからして、サリーシャは飛び上がるほど驚いた。振り返ると、軍服を着たモーリスが気まずそうな顔をして立っていた。
「ここは俺の屋敷だ」
「そりゃ、そうなんだが。さすがに目のやり場に困る。もうすぐマリアンネ嬢が来るぞ」
「むしろ、見せつけるべきだな」
「なるほど。そういう作戦か」
やれやれといった様子でモーリスが肩を竦める。
平然とした様子のセシリオに対し、サリーシャは顔から火が出そうだった。慌ててセシリオから離れようとしたが、腰に回った手の力が強すぎて離れられない。サリーシャはしばらく無言でその腕と格闘したが、最終的には逃れることは無理だと悟り、セシリオに抱き寄せられたまましずしずと晩餐室へと向かったのだった。




