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第二十三話 招かざる客

 真っ白なハンカチに、一針一針、丁寧に針を刺してゆくと、始めは何もなかった真っ白な生地に徐々に形が現れてゆく。一刺しを積み重ねる度に段々と思い描いているものに近づいていく(さま)は、作っていてとても楽しい。


 サリーシャは刺していた刺繍を一度テーブルに置くと、少し背中を反らせ、距離を置いてそれを眺めた。そこにはまるで今にも走り出しそうな軍馬が、絡み合う糸によって描かれていた。モチーフにした焦げ茶色の軍馬は、ここに来て見せてもらったセシリオの愛馬──デオだ。サリーシャのよく知る、馬車やちょっとした乗馬に使う馬とは違う、とても大きな馬だった。大きな体つきのセシリオにぴったりの、立派な馬だ。


「あとは、セシリオ様の『S』を入れれば完成だわ」


 サリーシャはその出来映えに満足したように微笑んだ。


 セシリオと城下町に出掛けた日に、サリーシャは初めて会った日に渡したシルクハットの刺繍を施したハンカチを回収した。


「せっかくきみにもらったのだから、洗って使う」


 あの時、ハンカチを握りしめて離そうとしないサリーシャを見下ろして、セシリオは困ったように眉尻を下げ、そう言った。しかし、


「いいえ。これはもう土で汚れておりますし、わたくしの尻に敷いたものを閣下に使わせるわけにはまいりません」


 と、サリーシャは返すことを断固拒否した。本当は土で汚れてなどいなかった。けれど、これはスカチーニ伯爵に作ったものをセシリオに作ったと嘘を言って渡したものだから、どうしても返して欲しかったのだ。そして、今度こそ本当にセシリオのために作ったハンカチを渡したかった。


「セシリオ様は、喜んでくださるかしら?」


 サリーシャは黒い刺繍糸を針に通すと、仕上げのイニシャルを刺しながら、独りごちた。これを渡した時、セシリオはどんな反応を示すだろうか。あのヘーゼル色の瞳が優しく細まり、「ありがとう」と言ってくれたなら……。

 それを想像するだけでサリーシャの胸は高鳴った。決してフィリップ殿下と一緒にいても感じなかったこの気持ちの名は……。


 そこまで考えると、胸の奥がきゅんとなり、自然と表情が緩む。


 セシリオには王都でサリーシャが見てきたモテる貴族令息のようなスマートさはない。確かに不器用な男だと思うが、とても優しい。いつも最大限にサリーシャとの時間を確保しようと努力してくれていることが感じられるし、サリーシャのことを大切に思ってくれており、事実、とても大切にしてくれていることもよくわかった。


 ──セシリオ様なら、この背中の傷もきっと受け入れて下さるわ。


 最近では、そんなふうに前向きに考えることも出来るようになった。サリーシャが改造を任された中庭はもうすぐ整備を終える。そうしたら、勇気を持って自らの偽りに終止符を打とう。あの中庭に行く度に、サリーシャはその決意を益々固めていた。


 最後の一刺しを終えると、糸の始末をしようとハサミに手を伸ばす。パチンと小さな金属音が響き、ハンカチから糸が離れた。


「出来たわ。ふふっ、なかなか上手に出来たのではないかしら?」


 サリーシャはハンカチを広げると、窓際で太陽にかざすように広げた。真っ白な生地に野を駆ける凛々しい馬と、セシリオの頭文字である『S』の文字。

 今夜の夕食の際にでも、これを渡そう。サリーシャはそう決めると、口元を綻ばせてハンカチを机の上に置いた。



 ***



 その日の夕刻、アハマス辺境伯の屋敷の前に、一台の豪華な馬車が乗り付けた。

 六頭立ての黒塗りの馬車には金で縁取られた精巧な飾りが施されており、夕日を浴びてキラリと光っている。その絢爛(けんらん)な見た目から、高位貴族の所有する馬車であることは明らかだった。屋敷を守る衛兵達も、辺境の地には珍しいこの来客に、皆興味深げに注目した。


 馬車が正面エントランス前に停まり、扉がカチャリと馭者によって開けられる。開いた扉の隙間から床に伸びた足を飾る靴にはクリスタルが縫い付けられおり、これも夕日を浴びてキラキラと耀いていた。その豪華な靴の踵が石の床に当たり、あたりにカツンと軽快な音が響く。

 中から出てきた若いご令嬢──ブラウナー侯爵家のマリアンネは、目の前のアハマス領主館を見上げて目を細めると、独り言ちた。


「ここはちっとも変わらないわね」


 肩にかかった髪を片手で払いのけると、美しく巻かれた栗色の縦カールはふわりと揺れた。


 馬車の到着から間もなく──それは時間にして一分もなかった──屋敷からは執事のドリスが大慌てで出てきた。来客の姿を確認すると、驚いたように目をみはり、すぐに頭を垂れる。


「これは、ようこそいらっしゃいました。マリアンネお嬢様」

「遅いわよ、ドリス」


 つんとした態度の来客に、ドリスの後ろに控える侍女達は不安そうに顔を見合わせた。ドリスがチラリと目配せすると、一人の侍女がいそいそと屋敷に戻って行く。


「何をしているの? 早く部屋に案内してちょうだい」

「かしこまりました。ところで、旦那様には……」

「もちろん、手紙で来ることは伝えてあるわ。何か問題でも?」

「いえ、何も」


 話にならないとばかりに、口ごもるドリスの横をすり抜けてマリアンネは屋敷の方へ歩き始めた。足を進めるたびに、高価な靴が石の床に当たりカツンカツンと軽快な音を鳴らす。後に続くマリアンネの侍女達も荷物を持ってその後に続くのを見て、ドリスは慌てた様子で追いかけた。


「お待ちください、お嬢様!」

「マリアンネ」


 領主館の玄関ホールで、ドリスの呼びかけに混じって若い男の呼び声がしたのが聞こえて、マリアンネは澄ました様子で振り返った。そちらを振り向いたドリスがホッとしたような表情を浮かべる。玄関ホールの左側の廊下からは、上下深緑色の軍服を身に着けた大きな男が歩いてくるのが見えた。侍女からの知らせを聞いて急遽降りてきたセシリオだ。


「どうしてここに?」

「どうして? 来ると伝えていたではありませんか。それに、お父様から仕事のお手紙を預かっていますのよ? あ、お父様はフィリップ殿下と謁見の予定が入ってしまったので少し遅れてこちらに来るそうです」


 眉間に皺を寄せ訝しむセシリオに対し、マリアンネは胸元から扇子を取り出すと口元を隠してウフフっと笑う。


 それは断ったはずだ、と言いかけて、セシリオはぐっと言葉に詰まった。最後に受け取った手紙の時期を考えると、王都からこちらに移動してきたマリアンネがそれを見たとは思えない。それに、ブラウナー侯爵の仕事の手紙を預かっているならば、表向きはブラウナー侯爵家からの正式な使者だ。遠路はるばる来たところを追い返すわけにもいかない。


「旦那様、どのお部屋をご案内すれば?」


 不機嫌な表情のセシリオに、ドリスがおずおずと小声で確認する。


「……二階の客間の奥の部屋を。彼女の部屋とは出来るだけ離してくれ」

「かしこまりました」


 セシリオは苦々しい気分で答えると、右手で額を押さえてハアッと深いため息をついた。



 

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