第二十二話 マリッジブルー
セシリオが執務室に戻ると、椅子に座るモーリスは待ちくたびれたような様子で両手を頭の後ろで組んだまま、外を眺めていた。窓の外では鳶が一羽、空高く飛んでいるのがガラス越しに見える。ドアが開いたことに気付いたはずだが、こちらには頭の後ろを向けたままだ。
「遅かったな? 見付けるのに手間取った?」
「いや」
セシリオはそれだけ言うと封筒を無造作に執務机に置き、椅子にドサリと腰をおろした。
「たまたま、中庭にサリーシャがいるのを見かけてな。──彼女、何かに悩んでるようなんだ。初めは、初めて訪れるこの地に戸惑ってるだけかと思ったんだが、どうも違う気がして……」
「なら、お前との結婚に迷ってる?」
セシリオは痛いところを付かれて、ぐっと眉根を寄せた。視線を移動させたモーリスはそんなセシリオを見て、くくっと笑う。
「冗談だ。──それはきっと、マリッジブルーってやつだな」
「マリッジブルー?」
「女ってのはいざ結婚を前にすると、色々と悩み事が湧いてくるらしいぜ? 本当にこの男でいいのか、自分はいい妻になれるのか、いい母になれるのか……」
「そうなのか?」
「と、俺の妻は言っていた。この前、第二部隊のヘンリーの結婚がごたついたときに」
「ああ。あれか」
セシリオは納得したように顔をしかめ、モーリスから目を反らす。
ヘンリーとはアハマスの第二部隊に所属する軍人だ。とても優秀な男だが、ついこの間、結婚式に花嫁が現れないという、セシリオが知る限りでは前代未聞の大事件を起こした。人さらいが出たのではと、家族や職場の同僚まで巻き込んでの大騒ぎになり、皆で必死に探し回った。もちろん、セシリオもその捜索に加わった一人だ。
結局、花嫁は自宅から教会に向かう途中の河岸で物思いに耽っているところを発見された。
そして、教会に現れなかった理由は「ウェディングドレスの裾の刺繍が、本当にあれでよかったのか、よくわからなくなったから」という、セシリオからすればなんともバカらしい理由だった。しかし、本人からすれば大問題だったらしい。
セシリオはあの日のことを思い出して、苦々しい気分になった。
「では、彼女もウェディングドレスに悩んでいると?」
「知るか。本人に聞けよ。ところで、昨日来た報告書にはなんと?」
モーリスがセシリオの手にある手紙を視線で指し示す。セシリオが私室に忘れてきたのは、宰相からの密命を受けてダカール国の動きを探りに国境付近で活動していた部下達から届いた報告書だった。
「報告書とマリアンネ嬢からの手紙を間違えるなんて、お前どうかしてるぞ」
「同じ白に赤の封蝋だったから、見間違えたんだ」
セシリオはばつが悪そうに少し口を尖らせたが、すぐに気を取り直したようにその封筒を丸ごとモーリスに手渡した。
「読んでみろ。これを読む限り、今回のフィリップ王子の襲撃事件に関してはダカール国はシロだな。しかし、裏で手を引いた連中を炙り出すまでは、我々はダカール国を疑っているように見せかけた方が色々とカモフラージュ出来て都合がいい」
「そうだな。恐らく、ホシの狙いはタイタリアとダカール国が険悪になることだ。変に警戒されると尻尾が掴みにくくなる」
受け取った封筒から報告書を取り出して一通り目を通したモーリスは、それをセシリオに返すと、真剣な表情で頷き返した。
「ところで、セシリオ。お前、マリアンネ嬢はどうするつもりだ?」
「どうするも何も、何年も前に話は終わっている」
「俺もそう思っていたんだが、あの手紙を見る限りでは向こうはそうは思ってなさそうだぞ?」
「なにを今さら。こちらの説得を振り切って実家に帰ったのは向こうだ。それに、この前の手紙の返事にもサリーシャがいると書いておいた。放っておけばいい」
「でも、こっちに来るって書いてある」
「断っておく。片道十日以上かかるんだぞ? 来ないだろ」
セシリオは心底嫌そうに顔をしかめると、その話を打ち切った。
***
苔がむしてひび割れ、荒れ果てていた小径は黄土色の石畳に置き換わり、立ち枯れていた古い木は撤去する。けれど、今も美しく咲くバラや立派に育った大きな樹木はそのまま残して。
中庭の造園はとても順調だった。
今の状態を最大限にいかしつつ、古い部分は新しく変えてゆく。朽ち落ちていたガゼボも撤去され、空いた空間には真新しいガゼボが設えられた。ガゼボの中には小さなテーブルと、椅子が四脚用意された。真っ白なガゼボだけを切り取ると、王宮の庭園と遜色ないほどだ。
「奥様。あちらはあれでよろしいですか?」
ガゼボの完成具合に見惚れていたサリーシャに、庭師がおずおずと声をかける。そこには、L字を二つ、逆字に重ねたような形に植木を植えた空間があった。今は仮植えのために並べただけなので隙間から中の空間がみえるが、じきにあの王宮の庭園にあった秘密の場所のようになるだろう。
「ええ、ありがとう。素敵だわ」
セシリオはこれを見たらなんと言うだろう。懐かしがってくれるだろうか。あのヘーゼル色の瞳を優しく細めて笑ってくれるだろうか。
サリーシャはそんなことを想像して、自然と表情を綻ばせた。
──そして、この庭園が完成した時に、彼にちゃんと打ち明けよう。
いくら二十代の若き辺境伯とはいえ、婚姻後間もなく離縁すればそれなりに悪評が立つ。これまでは自分可愛さに隠せるところまで隠し通すつもりだった。けれど、セシリオのことを思うならばそんなことはすべきではないと思った。これ以上、彼に嘘をつきたくないのだ。
──大丈夫。きっとセシリオ様は受け止めて下さるわ。
サリーシャはそう自分に言い聞かせると、自身の手を胸の前でぎゅっと握りしめた。




