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第二十話 贈り物

 そろそろ、サリーシャがここへ来て二ヶ月が経つ。アハマスでの生活はとても穏やかだった。


 屋敷ですれ違う人達は皆、サリーシャを歓迎して笑顔を浮かべる。使用人の子ども達はサリーシャのことを見かけると、早くも「奥様」と呼んでこぞって手を振ってくれた。彼等をみていると、この貴族の社会に入ってからずっと張りつめていた空気が、ふっと緩むのを感じる。


 ──ここの人は、皆、いい人ばかりだわ。


 サリーシャはいつもそう思う。


 田舎の村からマオーニ伯爵邸に連れられてきて以来、サリーシャにとっての上流社会とは、あまり楽しい世界ではなかった。

 家庭教師による厳しいレッスンでは、上手にできる事を当たり前のように求められた。その日の出来具合は全てマオーニ伯爵に報告されるので、少しでも失敗すると厳しく叱責された。

 同じ年頃のご令嬢はみな、ライバルだと思えと教えられた。フィリップ殿下の横に立つ邪魔をする敵だと。そのため、仲の良いお友達もいなかった。大抵のご令嬢は幼いころからの幼馴染のご令嬢や親せきのご令嬢同士で仲良くなるようなのだが、サリーシャにはそれも居なかった。

 息抜きはフィリップ殿下とお散歩したり、お茶をしたりする時間だった。おそらく、それは王太子であったフィリップ殿下も同じだったと思う。けれど、二人の間に芽生えたのは友情だけで、恋心は芽生えなかった。

 今思い返せば、おそらく二人とも、それが芽生えてしまったらこの関係が終わりを告げることに気付いていたのだと思う。


 セシリオは、どんなに仕事が忙しかろうと必ずサリーシャと食事を共にした。夕食に関してはほぼ毎回軍服のままで現れ、仕事を抜けてきているのは明らかだった。しかし、恐縮するサリーシャに対して、セシリオは笑顔で「大丈夫だ」と微笑むだけだ。


「もしかして、わたくしのせいで無理をしていらっしゃいませんか?」


 サリーシャはある時尋ねた。

 サリーシャが一緒に夕食を食べていいかと初日に聞いたせいで、律儀にそれの約束を守り続けるセシリオの仕事に支障をきたしているのではないかと思ったのだ。


「いや? 何も無理はしていない」

「でも……」

「前に言っただろう? きみはなにも気にする必要はない」


 そう優しく微笑まれると、サリーシャはいつもそれ以上は何も言えなくなってしまうのだ。

 セシリオはいつも夕食後、部屋の前までサリーシャを送り届けてくれる。その日も部屋のドアを開けたセシリオは、サリーシャに向き直った。


「サリーシャ。俺はあまり仕事に休みもとれない。つまり、我が愛しの婚約者を同じ屋敷に迎えながら、その顔を見る機会が朝食と夕食の一日たった二回しかないんだ。その貴重な二回くらいは、死守させてほしい。わかるかい?」

「っ! ……はい」


 サリーシャの心臓はドクンと跳ねた。セシリオは、これまでも態度で好意を示してくれてはいたが、『我が愛しの婚約者』と直接的に言われたのは初めてのことだ。それと同時に、そのことに舞い上がるほど喜んでいる自分にも気づき、愕然とした。すぐ先に別れが見えているのに、自分はこの人にどうしようもなく惹かれているのだ。


「よし。あと、今日はこれをきみに」


 セシリオは軍服のポケットからなにかを取り出すと、サリーシャの手に握らせた。サリーシャがそれを握らされた右手を開くと、それは銀製の小さな鍵だった。


「鍵? これは??」

「中庭の鍵だ。時々、あそこに行っていると言っていただろう? あそこは俺の母親が管理していたんだが、よかったらこれからはきみに管理して欲しい。好きなように変えてくれて構わない」


 銀色の鍵は、確かにいつも中庭に出る際にクラーラが使っているものと同じに見えた。屋敷の中に灯された明りを浴び、それは鈍く光っていた。


「なんなら、シロツメクサが咲く草原にしても構わない」

「? シロツメクサ?? 庭園の嫌われものですわ」

「でも、俺達にはぴったりだろう?」


 セシリオは表情を綻ばせると、サリーシャに顔を寄せる。チュッというリップ音と共に、今日も頬に柔らかいものが触れた。そして、包み込むような優しい抱擁。


「あんまりこうしていると離れがたくなるな。おやすみ。よい夢を」


 全身を包む温もりが離れ、思わず追いそうになったところでサリーシャは踏みとどまった。追ってどうするのか。その温もりを求める資格が自分にはある? 答えは、否だ。

 黙り込むサリーシャのおでこに、もう一度柔らかな感触が触れる。


 ドアが閉じられてシンと静まり返った部屋がいつも以上に肌寒く感じ、サリーシャは言いようのない寂しさを感じた。ふと右手を開くと、そこには間違いなく先ほどセシリオから渡された中庭の鍵が鈍く輝きを放っていた。


 言わなくてはならない。いつまでも隠し通せるものではない。 


 サリーシャは自分の背にそっと手を回した。指先に感覚を研ぎ澄ませると、ボコボコした感触が指に触れる。間違いなく、そこには醜い傷跡がある。消すことが出来ない、醜い傷が。


 ──セシリオ様なら、これも受け止めて下さるかもしれない。


 そんなことを思い、すぐに小さく首を振る。でも、受け止めて貰えなかったら? 拒絶されるのが怖い。あの温もりを失うことが怖くてならないほどに、自分は既にあの人に惹かれているのだ。



 ***


 

  その日、アハマスの領主館の散策をしていたサリーシャは、馬の(いなな)く声を聞いて足を止めた。


 アハマスの領主館はとてつもない広大な敷地を誇る。敷地内には中心となる屋敷の他に、使用人達の住む家や兵士達の宿舎、訓練場、倉庫など、ありとあらゆる施設があるのだ。サリーシャが知る限り、馬車置き場は屋敷の正面側にある。しかし、それとは別に、どこかに厩舎があるのかもしれない。

 ノーラと共にうろうろしていると、やっとそれらしき建物を見つけることができた。木造平屋建ての簡素な建物は、サリーシャのいたマオーニ伯爵邸の厩舎に似た構造だ。ただ、規模が違った。ざっと見ただけで、数えきれないほどの馬が繋がれている。


「まあ! 見て、ノーラ。凄いわ」


 サリーシャは思わず歓声を上げた。厩舎の入り口から見えるのは馬・馬・馬。こんなにも沢山の馬を見るのは初めてだ。よく見ると、その馬はよく見る馬車に繋がれる馬と、一回り大きく足の太い馬の二種類がいるようだった。

 ゆっくりと厩舎内を歩いているとき、サリーシャは一頭の馬の前で足を止めた。すべての馬が手入れが行き届いており立派なのだが、その馬は特に抜きんでていた。こげ茶色の毛並みや(たてがみ)は艶やかに輝き、体格も一際大きい。しなやかに伸びた四肢にはしっかりとついた筋肉により引き締まっており、美しいという言葉がぴったりの軍馬だ。


「とても綺麗な馬ね」


 サリーシャはほうっと息を吐く。大きな瞳はその毛並みと同様に濃いこげ茶色をしており、ガラス玉のように透き通っている。


「サリーシャ?」


 しばらくその馬を眺めていたサリーシャは、不意に呼びかけられて驚いて振り返った。そこには、軍服姿のセシリオが少し驚いたような顔をして立っていた。片手にはバケツを握っている。


「閣下? あの、散歩をしていたら、厩舎を見つけまして。もしかして、入ってはいけませんでしたか?」

「いや、自由に出入りしてくれて構わない」


 セシリオはゆっくりと歩いて近づいてくると、サリーシャの前で立ち止まってバケツを床に置いた。その拍子に少しだけ水が零れ、土を固めて造った床にこげ茶色のシミをつくる。

 

「何か気になる馬はいた?」

「この子が綺麗だな、と思いまして。閣下はなぜここに?」


 サリーシャが聞き返すと、セシリオは目を細めてそのこげ茶色の軍馬を見つめた。


「こいつは俺の馬だ。今十二歳になる。良い馬だろう? デオという名だ」


 サリーシャはその馬を見つめた。こちらの話を聞いているかのように、デオはつぶらな瞳でじっとこちらを見つめている。


「馬は軍人にとって相棒だ。生死を分ける危険の中を共に戦う。馬丁(ばてい)はもちろんいるのだが、デオの世話は基本的に俺がしている」


 そう言うと、セシリオは愛おし気にデオの首を撫でた。よく慣れているようで、デオは嫌がることもなく大人しくしている。


「触ってみるか?」

「いいのですか?」

「きみなら、構わない」


 セシリオに微笑まれ、サリーシャの胸はトクンと跳ねた。その言葉は、自分は特別な存在だと言われているような気がした。自惚れてもいいだろうか? そんなことが脳裏に掠める。

 そろそろと手を伸ばすと、デオはサリーシャの手の方向に鼻を向けた。サリーシャはビクンと手を引く。


「怖がらないで。ほら」


 引っ込みそうになったサリーシャの手にセシリオの手が覆い被さるように重なり、そのままデオの首元に触れた。手のひらに、少し固い毛並みの感触と、その奥から伝わる熱を感じた。


「温かい……。可愛いわ」

「気に入った?」

「はい」


 手を離すと、セシリオはしばらくそのままデオを眺めていたが、ふとサリーシャの方に視線を移した。


「今度、一緒にデオに乗ってどこか出かけるか?」

「いいのですか?」

「もちろん。次の休みに、行こう」

「ありがとうございます」


 サリーシャは花が綻ぶかのように、満面の笑みで微笑んだ。

 

 またセシリオと一緒にお出かけできる。しかも、今度は馬の相乗りで。そのことは、サリーシャの気持ちを舞い上がらせるには十分だった。


 ──わたくしは、この人のことが好きなのだ。


 そうはっきりと自覚させるくらいに。

 




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