第十九話 町散策
午前中とは打って代わり、午後は婚約者同士らしい時間の過ごし方だった。
セシリオに連れて行ってもらった裁縫用品店はアハマスの城下町で一番大きな裁縫用品店だった。広い店内にはあらゆる種類の素材や糸や布、リボンやボタン、レースなどがところ狭しと並べられている。
サリーシャは自分で頼んでおきながら、男性、且つ、軍人でもあるセシリオは裁縫用品店など知らないかもしれないと心配していた。しかし、アハマスの辺境伯でもあるセシリオは、自分の膝元であるアハマスの城下町のことをしっかりと把握しているようで、サリーシャの希望を的確に汲んだ店を紹介してくれた。
「閣下、これとこれはいかがでしょう?」
サリーシャはお店で売られている中でも一番上質なシルク製のハンカチを二枚、セシリオに差し出した。一枚は真っ白の無地、もう一枚は縁にアハマスの軍服の色に似た緑色の模様が入っている。
「いいと思う。だが、先ほどのハンカチは本当に返して貰えないのだろうか?」
「あれはお返し出来ませんわ」
サリーシャはつんと澄ましてピシャリと断った。
「きみは妙なところで頑固だな」
少し呆れたような声で紡がれた言葉は決して怒っている様子はなく、むしろ楽しげな色を含んでいた。ヘーゼル色の瞳は面白いものでも見つけたかのように、サリーシャを見つめている。
「それで、いったい俺に何を刺繍してくれるんだ?」
「秘密ですわ。わたくしが閣下をイメージして、考えます」
「それは、楽しみなような、怖いような……」
セシリオは少し眉間に皺を寄せる。
サリーシャはその様子をみてフフっと口元を綻ばせた。
裁縫用品店を出ると、セシリオは右手でサリーシャを制すると、先に一歩出て左右を見渡した。一台の馬車が目の前を通り過ぎると、すぐにとおせんぼするように伸ばしていた腕を下げた。往来する馬車や馬など、危険がないかを先に確認したのだろう。
「菓子屋は、焼き菓子でいいか?」
振り向いてサリーシャを見下ろしたセシリオは、どこに行くかを思案するように顎に手を当てた。
「はい。どこかいいところをご存知ですか?」
「俺は直接買ったことは無いのだが、モーリスからよく聞く菓子屋があってな。奥方が好きで時々買って帰っているようだ」
「モーリス? 確か、閣下の右腕でしたかしら? もしかして、クラーラの息子さんかしら?」
「そうだ。よく知っているな?」
意外そうな顔をするセシリオに、サリーシャはにんまりと笑ってみせる。
「クラーラから教えて貰いましたわ」
「そうか。今度、紹介しよう。そう言えば、あいつからもきみを紹介されてないとぼやかれたな」
セシリオは小さく笑うと、右手をサリーシャに差し出した。サリーシャはそこに自分の手を重ねる。相変わらず握り込むように包む力加減はエスコートと言うには力が強すぎる。けれど、サリーシャはその力強さが心地よく感じて、無言で握り返した。
セシリオに連れられて訪れた菓子屋は、裁縫用品店から歩いて五分ほどの場所にあった。店内を覗くと、ガラスケースの中には色々な焼き菓子がならんでいる。水色に塗られた入り口のドアを開けると、ふんわりと甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「好きなものを選んでも?」
「もちろん」
サリーシャは目を輝かせてガラスケースを覗き込んだ。王都の人気パティスリーのようなお洒落さはないが、どれもとても美味しそうだ。いくつかのフィナンシェを選んでいると、横で見ていたセシリオがとても大きな焼き菓子の詰め合わせに手を伸ばした。
「閣下もお土産ですか?」
「ああ。このあと一ヵ所だけ、寄り道しても?」
「もちろんです」
そうして最後に連れられて行った場所は、やや郊外に位置していた。辻馬車に揺られること十五分、先に降りたセシリオに手を差し出されて踏み出した地面は、中心部のような石畳ではなく、土に覆われていた。
「ここは?」
サリーシャはあたりを見渡してから、目の前の建物を眺めた。白い壁にグレーの屋根の木造二階建てのそれは、集合住宅だろうか。こちらから見える壁沿いには等間隔で窓が並んでいる。建物の前の庭には洗濯物が干されており、ヒラヒラと風に揺れていた。
「ここは支援施設だ。アハマスでは数年前、戦争があったのは知っているな? あの時、多くの兵士が亡くなった。それと同時に多くの女子供が夫や父親の庇護を失った。ここはそういう者達が暮らしていくための支援施設になっている」
「修道院ですか?」
「修道院とは違う。あれは神の花嫁になる場所だが、ここは女性や子供が独り立ちして生きていくための支援をしている」
そう説明しながら、セシリオはその建物の入口まで行くと呼び鈴を鳴らした。中からでてきた年配の女性は、セシリオの姿を見て頬を綻ばせた。
「これはアハマス閣下。ようこそお越し下さいました。どうぞ上がって下さい」
「いや、ちょっと立ち寄っただけだ。不便はないか?」
「はい。お陰さまで、みな元気にしております。先月、ルクエが材木屋に弟子入りして出ていきました」
「それはよかった」
サリーシャは二人の様子を眺め、女性はこの施設の管理人のような役割の人で、セシリオはここの入居者達の近況を気にしているのだと理解した。ルクエというのは、恐らく孤児にでもなってここに入居していた子供の名だろう。セシリオは少し立ち話をすると、先ほど購入した焼き菓子をその女性に渡していた。ここの入居者の分を買ったのであれば、あの量も頷ける。
「いつもありがとうございます」
と言いながら焼き菓子を受け取った女性がサリーシャの姿に気付き、不思議そうに見つめる。
「閣下。こちらの美しいお方は?」
「俺の婚約者だ。今日、初めて街を案内している」
サリーシャは横で小さく女性に対して会釈した。それを聞いた女性は「まぁ!」と驚いたように片手を口にあて、戸惑ったような表情を見せた。
「このようなむさ苦しい場所にお連れして大丈夫ですか?」
心配そうな女性の声に、セシリオがこちらを向く。サリーシャはにこりと笑って大丈夫だと伝えた。
「こんなに可愛いらしい方がアハマス閣下に嫁がれるなんて、今から楽しみですわ」
その女性は、サリーシャのことを見つめて嬉しそうに微笑んだ。帰り際、サリーシャがその白い建物を振り返ると、先ほどの女性が入り口でこちらに頭を下げているのが見えた。
「ここでは、女性が一人でも生きていけるのですね」
「そう出来るよう、支援している。彼らもまた、戦争の犠牲者だ」
サリーシャはチラリと隣を窺い見る。穏やかな口調のセシリオは、まっすぐに前方を向いていた。
***
その日の夜、サリーシャの寝る前の準備をしていたノーラは、櫛を手に持つと髪用の油を少したらし、サリーシャの後ろに立った。
「サリーシャ様。今日はお土産をありがとうございます」
「いいのよ。口には合ったかしら?」
サリーシャは鏡越しに髪をとかしているノーラに尋ねた。
「はい、とても美味しかったですわ。今日はいかがでした?」
「すごく楽しかったわ。午前中はセシリオ様の用事に付き合って小麦屋さん巡りをしたの。小麦屋さんって面白いのね。わたくし、ちっとも知らなかったわ。色々なひきかたがあって、小麦粉にも種類が沢山あるのよ? それから、芝生の広がる公園に行ったわ。座って色々お喋りをしたのよ」
サリーシャは今日の昼間のことを思い返す。けれど、お喋りの内容はなんだか特別なことのような気がして、秘密にしておいた。
「あとは、裁縫用品店に行ってセシリオ様にプレゼントするハンカチを買ったの。あとはね──」
夢中になってお喋りをするサリーシャを見て、ノーラは目を丸くして動かしていた手を止めた。そして、堪えきれないようにクスクスと笑いだした。
「なあに? ノーラ、どうかして?」
「いいえ。こんなに楽しそうに話すサリーシャ様を見るのは久しぶりだと思いまして」
ノーラは口元に手を当てて、嬉しそうに微笑む。
「サリーシャ様はアハマスへ向かう行きの馬車の中で、どちらかというと落ち込んでいらっしゃいましたでしょう? でも、今の笑顔は輝いています」
「……わたくし、そんなに浮かれて見える?」
「とても楽しそうに見えますわ」
ノーラがあまりにも楽しそうに笑うので、サリーシャは少し恥ずかしくなって、ふて腐れたように口を尖らせた。
セシリオは午前中に散々仕事の場所に付き合わせるような無骨な男だし、一緒に買い物しながらよいお出掛け先を調べておくようなスマートさもなかった。それなのに、サリーシャは今日の彼とのお出かけがとても楽しかったのだ。