第十七話 素敵なお誘い
アハマスの地は辺境の地ではあるものの、周りに大きな都市もないことからそれなりに人口が集中し、栄えている。戦争が起こる以前に比べれば多少物流量は減ってしまったものの、異国であるダカール国からの物資も多く手に入ることから、商人たちが集まる中核都市を形成していた。
その日、サリーシャは思わぬ誘いに目をしばたたかせた。
「街の散策……でございますか?」
「ああ。明日は久々に休暇をとろうと思ってな。きみはまだ街に出たことがないとクラーラから聞いた。明日であれば俺も同行できるから、どうだろう?」
サリーシャがここに来て、もうすぐ三週間になる。
領主館の中はだいぶ慣れたが、逆に言うと領主館の中でしか過ごしていない。クラーラによると、ここの城下町にはあらゆるお店が揃っているという、食物のお店はもちろんのこと、帽子屋、靴屋、絵の具屋、アクセサリー屋などだ。使用人仲間と街の散策に行ったと言っていたノーラも、王都のような華やかさはないものの、必要なものは全て揃うと言っていた。特に用事があるわけではないが、少し見てみたい気もする。
「はい。ご一緒させてくださいませ」
サリーシャの返事を聞いたセシリオは、ほんの僅かに口の端を持ち上げた。
よく見ていないとわからないほど僅かな変化だが、ここにきてからと言うもの、セシリオをよく見ていたサリーシャはその変化にすぐに気付いた。
「どこか、行ってみたい場所はあるか?」
「いいえ。お任せしますわ」
「そうか。では、今年は小麦に害虫がついて不作だったと聞いたので何件か小麦屋を回って状況を聞きに行ってもいいか? あとは、鍛冶屋に頼んでいた防具の修理状況を聞きに行きたい。それと……」
セシリオは考え込むように宙を見つめると、次々に行きたい場所をあげた。そのどれもが、サリーシャの知る通常の貴族令息が婚約者を連れて行くような場所とは程遠い、完全に仕事で用事があるとしか思えない場所ばかりだ。
セシリオは休みを取ったと言っているが、サリーシャはこれではちっとも休みではないと思った。けれど、本人はこれで休みを取ったと思っているのだろう。
「はい。それで構いませんわ」
フフっと笑い出したい気持ちを堪えて、サリーシャは微笑んだ。
目の前にいるこの人は、サリーシャの今までいたような王都の社交界に放り込まれれば、恐らく女性の扱いがあまり上手くない男性としてレッテルを張られてしまうだろう。けれど、サリーシャにはそれが彼の誠実さを表しているようでかえって好感を覚えた。上っ面だけでない、素を見せてくれている気がしたのだ。
──ああ、この人はとても……
そこまで考えて、サリーシャはフッと笑みを消した。
セシリオがこんな風に接してくれているのに、はたして自分はどうしているのか。未だに背中の傷を隠し通し、素知らぬふりで平然と微笑んでいる。化かし合いはもうたくさん。そう思っていたのに、化かし続けているのはサリーシャの方だ。
「では、また明日。楽しみにしておこう。おやすみ、よい夢を」
セシリオは今日もサリーシャを部屋の前まで送ると、そう言って微笑んだ。ゆっくりと顔が近づき、右頬に柔らかいものが触れる。そして、すっぽりと全身を包むように、抱擁された。
「はい。おやすみなさいませ、閣下」
サリーシャは微笑んでその後ろ姿を見送った。
それは時間にして、ほんの二、三秒の出来事だ。けれど、すっぽりと包み込んでくれた温もりが離れていくことを酷く寂しく感じ、サリーシャはぼんやりとその場に立ち尽くした。
──わたくしは、あの人に包まれることが、心地よいのだ。
それに気づいてしまうと、一人ぼっちの部屋が酷く寒く感じた。ブルリと身を震わせると、部屋に入りガウンを肩にかける。けれども、その肌寒さが解消されることは、一向になかった。
***
翌朝は爽やかな快晴だった。青空にはところどころに白い雲が浮かび、太陽が燦燦と輝き大地を照らしている。
可愛らしい小鳥のさえずりに目を覚ましたサリーシャは、ベッドから起き上がると真っ先に窓際に駆け寄った。カーテンを開けると、部屋の中に明るい光が差し込む。その明るさに少し目を細めながら外を眺めると、飛び込んできたのはこの景色。
「まあ、快晴だわ」
思わず口から零れ落ちたのは、感嘆の声だった。きっと、とっても素敵なお出かけになる予感がする。
クラーラとノーラに相談して選んだピンク色のシンプルなワンピースは、若い娘が街を歩いていても全く違和感を感じさせないながら、上品さを感じさせるデザインだった。襟元は最近王都でも流行だった、Vネックだが、背中は上まで生地で覆われているため、背中は見えないようになっている。
「変じゃないかしら?」
「とてもお美しいですよ。旦那様は見惚れてしまうことでしょう」
「そ、そんなことっ」
サリーシャの頬が赤く色づく。その様子を見たクラーラは「あら、まあ」と嬉しそうに微笑んだ。
「旦那様は、あの調子ですからあまり女性からの受けがよくないでしょう? 見た目が衛兵みたいで大きいですし、目つきは悪いですし、気の利いたロマンチックなこともできませんし」
「そうかしら?」
突然何を言い出すのかと、サリーシャは小首をかしげて黙って先を促した。
「サリーシャ様がいらしてくれて、本当によかったですわ。お二人が仲良くしている姿を見ると、わたくし本当に嬉しくって」
感極まったように目元をハンカチで覆ったクラーラを見て、サリーシャは慌てた。
「ちょっと、クラーラ。大袈裟だわ。それに、セシリオ様は確かにあまり貴族らしくない部分はあるかもしれないけれど、とても素敵な方だわ」
それはサリーシャにとって、嘘偽りのない言葉だ。
──本当に、偽りの仮面を被り続けるわたしにはもったいないような、素敵な人だわ。
サリーシャは思った。なんの足枷もなくあの人の胸に飛び込んだら、どんなに幸せだろうかと。きっと、あの大きな体で自分を受け止めてくれる気がした。
早く自分の秘密を彼に言わなければと思うのに、時間が経てば経つほど、言い出すタイミングを失ってゆく。
クラーラは少し化粧が崩れた目元をハンカチで拭きつつ、微笑んだ。
「それを分かってくださる方は、なかなかいないものなのです。さあ、そろそろ参りましょう。あまり遅くなると、旦那様が落ち込んでしまわれます」
「まあ、それは大変だわ」
そんな台詞が、冗談に思えないから、本当に困ってしまう。
サリーシャは美しい金髪をクルリと翻し、足早に玄関ホールへと向かった。




