第十三話 中庭
アハマスで一日を過ごす初日となったこの日、サリーシャはマオーニ伯爵邸から持参した荷物の整理をすることにした。
マオーニ伯爵はサリーシャが嫁ぐにあたり、必要なものは一通り揃うように用意してくれた。持参したものは豪華なドレスに装飾品、小物、化粧品、お気に入りの本や日記などだ。
次々とクローゼットや棚に仕舞ってゆくノーラとクラーラのことを眺めながら、サリーシャはふとあることに気付いた。
「あら? それは、わたくしのものではないわ?」
サリーシャの視線の先にあったのは普段使い用のドレスだ。華美な装飾はなく、シンプルな作り上品なデザインだった。
「これは、サリーシャ様用ですわ。こちらでも、必要と思われるものはある程度事前に用意しましたので、ご確認下さい」
サリーシャの声に振り向いたクラーラが、手に持っていたドレスをよく見せるように広げる。爽やかな水色のドレスの裾がふわりと揺れた。胸元は詰襟になっており、白いフリルの飾りが付いていた。
「まあ! 素敵だわ。ありがとう」
サリーシャはクラーラのもとに駆け寄った。クラーラが腕に抱える四着のドレスはどれも普段使い用のシンプルなものだ。それぞれデザインは違ったが、普段使い用なので舞踏会で着るような肩を大胆に出すものは無く、背中を隠したいサリーシャでも問題なく着られそうだ。
よく見ると、クローゼットの中には何枚かのショールなども入っている。色もピンクや水色など、一通り揃っていた。
「お気に召しましたか?」
「ええ、とても。素敵だわ」
サリーシャは笑顔で頷いた。
実は、マオーニ伯爵が用意してくれたドレスは少しばかりゴテゴテした装飾の多いデザインが多かった。辺境伯に嫁ぐのだからと、気合いを入れて新調してくれたのだ。それはそれでとても有り難いが、普段使いならこっちの方が動きやすくてずっといい。
「サリーシャ様。だいたい片付けも終わりましたし、お散歩でもなさいませんか? とてもいい天気ですわ」
順番にドレスやショールを広げて眺めていると、最後の荷物の箱を運び込んできたクラーラがサリーシャに声を掛けた。
「お散歩?」
サリーシャはようやくドレスから目を離し、クラーラを見返した。
片付けが終われば特にやることもない。いつかは追い出されるにしろ、しばらくはここに滞在するわけなのだから、少し屋敷内を散策するのもいいかもしれないと思った。
「そうね。案内してもらっても?」とサリーシャが答えると、「もちろんですわ」とクラーラは頷いた。
クラーラによると、アハマス領主館の敷地は要塞を兼ねているため、まるで小さな町が在るがごとく広大だという。まだ旅の疲れが残っているかもしれないから近場がよいだろうと、クラーラは廊下から見えた中庭へ案内してくれた。
中庭への入り口は屋敷の居住スペースの一階にあった。廊下に面した沢山のドアのうちの一つを空けると中庭へ出られる構造になっている。
クラーラが鍵を差し込むと、カチャリと音がして入り口のドアが開く。ゆっくりと開け放たれたそれの向こうからは、柔らかな日差しが差し込んできた。
「滑りやすいですから、お気を付けくださいね」
「ええ。ありがとう」
サリーシャはクラーラに続き、前へ出る。ドアを出てすぐにある三段ほど降りる階段は、元は白い石だったようだ。しかし、今は苔がついて全体的に緑色をしていた。そっと足を踏み出すと、靴の下で苔が潰れる柔らかな感触がした。
階段を降りたサリーシャは辺りを見渡した。
百メートル四方ほどの中庭は、一見すると庭園としてはあまり手入れが行き届いていないように見えた。植えられた木々はよくある貴族の庭園のように四角形に刈られてはいないし、計算して模様を描くように植えられた花もない。少し向こうに目を向ければ水を張った噴水用の池が見えたが、その水は濃い緑色をしていた。水草でも生えているのかもしれない。
一歩足を踏み出せば、庭園を縫うように敷かれた小径の石畳はすっかりひび割れて苔がむしているせいか、少し斜めになって歩きづらかった。しかし、その小径を歩きながらよく見ると、そんな庭園の中でも至る所に色とりどりの花が咲いているのが見えた。
「綺麗ね」
サリーシャはその花々を眺めながら小さく呟いた。
よくあるバラなどもあるのだが、サリーシャの知らない花もいくつか咲いていた。横を歩くクラーラにはサリーシャの小さな呟きが聞こえたようで、とても嬉しそうに目を輝かせた。
「そうでございましょう? だいぶ荒れてしまいましたが、最低限の手入れはずっとしてきましたから。ここは亡くなった先代の奥様が管理していた庭園なのです。奥様はとてもお花がお好きで、よくここで過ごしておられましたわ。奥様が不在になり、当時の豪華さはすっかりなくなってしまいましたが、それでもまだ美しいでしょう?」
「先代の奥様……。奥様はいつ頃、なぜお亡くなりに?」




