第十二話 親書
一人執務室で机に向かっていると、バシンと大きな音をたててドアが開け放たれた。セシリオがチラリとそちらを見やれば、予想通り、そこには二通の封筒を手にしたモーリスが立っていた。執務室のドアをノックせずに乱入する男など、モーリス以外には考えられない。セシリオはモーリスを一瞥し、何事もなかったように再び手元の書類に視線を落とした。
「よお。辺境の獅子殿ともあろうお方が、今日は随分とご機嫌だな。死人みたいな顔をした昨晩とはえらい違いだ。この分だとお嬢様とは会えたようだな」
「今朝は朝食に来てくれた。昨日は疲れて眠ってしまったのだと謝られた」
「そうか、そうか。そりゃ、よかった」
モーリスはからかうようにニヤニヤと笑う。セシリオはなんとなく面白くなく、ムッとした。なぜこの男は自分の機嫌のよさが分かるのか不思議でならないが、モーリスに言わせれば、暗号の解き方が同じ紙面に書いてあるかのごとく、筒抜け状態らしい。
「今度のお嬢様はここに馴染めそうか?」
「わからん。馴染んでくれればいいと思うが」
「ふうん?」
モーリスは意味ありげにニヤリと笑う。
「なんだ?」
「いや? 前回は婚約者殿に逃げられてもさほど気にしてなかったのに、今回は馴染んで欲しいと思ってるんだな、と思ってさ」
「……俺もいい歳だから、いい加減に身を固めないとまずいだろう?」
「ほほう。まあ、そういうことにしておこうか」
ニヤニヤするモーリスの視線が居心地悪く、セシリオは少し口を尖らせた。モーリスはそれに気付いたのか、笑いを噛み潰すと顔から表情を消し、今度は真面目な顔をした。
「前置きはこの辺にして、仕事の話だ。宰相殿から親書が届いた」
「宰相殿から?」
アハマスは国境を守る辺境の地に位置するため、国の中枢部とのやり取りは頻繁に行われる。しかし、宰相ともあろうお方から直々に親書を受け取ることは滅多にない。
何事かと訝しみながらもモーリスの差し出した封筒を受け取ると、セシリオは封蝋を見た。間違いなく宰相の印が押された封蝋は、やや黄色掛かった蝋が使われていた。
このような重要なやり取りする手紙において、使用する封蝋の色には意味がある。真紅は一般的な親書、黄色味がかった赤は重要事項、黒みがかった赤は何らかの理由があってもダミーを意味する。その色の違いはほんの些細なもので、意味を知っている者ですら、一見するとどれも同じように見えるほどだ。
「何と書いてある?」
中を見て表情を険しくしたセシリオを見て、モーリスは身を乗り出した。
「フィリップ殿下の婚約発表の場での襲撃事件の件だ。ダカール国が糸を引いていないか、調査せよと」
「ダカール国が? 最近、大人しくしていると思っていたが」
モーリスの表情も厳しいものに変わる。
ダカール国とは、タイタリア王国とここアハマスで国境を接している隣国だ。今から七年前にタイタリア王国と戦争した相手国も、ダカール国だった。その時はここアハマスがタイタリア王国でもっとも激戦の地となり、多くの兵士が命を落とした。セシリオ自身も多くの傷を負ったし、当時のアハマス辺境伯だったセシリオの父親はその時に負った傷がもとで感染症にかかり、命を落としている。
「調査するにしても、下手に手を出すと藪をつつくことになりかねないな……」
セシリオは親書を執務机に置くと、宙を睨んだ。
国の中枢部がフィリップ殿下の婚約披露の場での襲撃の件で、ダカール国を疑うのも無理はない。実行犯は既にこの世におらず、証言は取れない。
後から調べたところ、その実行犯である給仕人の経歴は嘘八百だったという。
しかも、その嘘には巧妙に真実が紛れ込ませてあった。例えば、出身の村には本当にその時期に同姓同名の者が生まれているなど、精緻に作りこまれていたのだ。
現段階では誰が何の目的であのようなことをしたのかが全く不明だが、このような手の込んだことをただの給仕人が出来るとはとても思えない。つまり、何らかの権力をもつ黒幕がいると考えるのが普通だ。
ダカール国は七年前から一年間程、タイタリアと戦争していた。最も怪しい対象であると国の中枢部が目を付ける対象であることは、セシリオにも容易に想像がついた。
「また戦争などに、ならなければよいのだが……」
セシリオは小さく息を漏らす。あの時、セシリオはこの世にいながらにして、まさに地獄絵図を見た。あんな光景を目にするのは、二度とごめんだ。そのためにはアハマスの精鋭部隊がうまく立ち回って真相を解明し、打てる手を打つ必要がある。
「モーリス。作戦を練ろう」
「ああ、そうだな。下手に動くと危険だ。ところで、もう一通はいいのか?」
モーリスの視線がまだ開けていないもう一通の封書に向けられているのに気付き、セシリオは片手を振った。
「いい。どうせくだらんことだ」
「ブラウナー侯爵家か。確か、ついこの前も届いていたよな? まだ武器の買い換えには時期が早いし……」
考えるように眉間に皺を寄せていたモーリスは、ふと何かに思い当たったのか、ポンと両手を叩いた。
「あっ、あー。なるほど。まぁ、大体の想像はついたよ。ブラウナー侯爵といい、マリアンネ嬢といい、今さらだよなぁ。フィリップ殿下のお相手が決まった途端に、あからさまと言うか……」
「その話はいいといってるだろう。サリーシャに言うなよ?」
「言うもなにも、そのサリーシャ嬢に俺は紹介すらされてないんだが? 昨日、到着の際にエントランスでお見かけしただけだ」
セシリオは最後のモーリスの台詞は無視して、接客セットの椅子にドシンと腰をおろした。改めて宰相から届いた親書を手で伸ばすと、テーブルにおいた。
「しかし、噂通りの美人だな? セシリオと並ぶと、まるで美女と野獣だ」
「……うるさい」
むっつりした様子のセシリオを見て、モーリスはやれやれといった様子で大袈裟に肩を竦めた。テーブルを挟んで反対側の椅子に腰をおろすと、コキコキと首を左右に曲げて鳴らし、セシリオに向き直る。
そして、二人はさっそくこの後どうやって調査を進めるかを決めるべく、文字通りにひざを突き合わせて相談を始めたのだった。




