第五十九話 ホタル
馬車に揺られること数時間。サリーシャはわくわくした気分で外を眺めていた。
段々と夕暮れどきが近づくにつれ、太陽は沈み空は茜色に染まってゆく。ところどころに浮く雲は陽の光を浴び、鮮やかなオレンジ色に輝いていた。
「そろそろ着くかな……」
隣に座るセシリオが、サリーシャの背後から車窓を覗く。急に近くなった距離にトクンと胸の鼓動が跳ねる。セシリオは自分をじっと見つめるサリーシャに気付くと車窓からサリーシャへと視線を移し、優しく微笑んだ。
「どうした?」
「いいえ、なんでもありません」
「そう?」
セシリオは少し首を傾げると、気を取り直したように再び視線を窓の外に移した。街道の両脇には緑が鮮やかな草原が広がっている。
「──よく晴れていてよかった。少し時期を過ぎてしまったから、見れるといいのだが……」
「そうですわね。でも、セシリオ様とこうしてゆっくりお出掛けすることもあまりないので、それだけでも十分です」
サリーシャはふふっと微笑むと、セシリオの腕に手を添える。
今日は、セシリオと一泊旅行に来ている。サリーシャが見たいと言っていた、ホタルを見に来たのだ。
前回、デニーリ地区に行った際はホタルにはまだ時期が早すぎたが、今となっては少し遅い。行っても見られないかもしれないが、行くだけ行こうと誘われた。
「この辺なのだがな……」
セシリオに手を引かれて訪れた先は一面の草原だった。辺りは段々と薄暗さを増してゆく。周囲をきょろきょろと見渡していたサリーシャは、ふと光るものが横切るのを見つけて声をあげた。
「いたわ! セシリオ様、見て!」
サリーシャはぐいぐいとセシリオの腕を引き、そちらを指差した。薄暗い草原を、小さな光がふわりふわりと漂っている。
「本当だ。いたな」
セシリオは安堵したように息を吐くと、サリーシャの肩に手を回した。
闇が深くなるにつれ、光は一層輝きを増す。優しい光はそこかしこにふわりふわりと舞い上がる。
「やっぱり時期を逃したせいで、少ないな。この倍以上はいた気がするのだが」
「そうなのですか? 昔わたくしが田舎で暮らしていたころ見たホタルは、こんな感じでしたわ」
隣で景色を眺めていたセシリオが、サリーシャを見下ろすのがわかった。
「田舎に、帰りたいと思う?」
サリーシャは驚いてセシリオを見上げる。月明かりにぼんやりと見えるセシリオは、じっとこちらを見つめている。
「いいえ。セシリオ様の隣にずっといると申しているではありませんか。セシリオ様はすぐに変な誤解をするから、ずっとそばにいて見張っていないと」
サリーシャはくすくすと笑うとセシリオの頬に手を添えた。
「でも、両親や兄弟姉妹達と一度再会してみたいとは思います。こんなに素敵な方と結婚して幸せに暮らしていると知ったら、きっと安心すると思うから」
セシリオは目をみはると、くしゃりと表情を崩して笑う。
「マオーニ伯爵家から領地の社交パーティーに招待されたときにでも、行こうか」
「とっても遠いですわ」
「きみが望むなら、なんとかする。──数年に一度なら……」
「セシリオ様はわたくしを甘やかしすぎです」
「甘やかしたいのだと言っただろう? きみはすぐに我慢するから」
セシリオはくくっと喉を鳴らすと、身を屈めてサリーシャにそっとキスとした。
「また来年も連れてきてくれますか? 今度は一番ホタルが多い時期に」
「もちろん」
「近くに小屋が欲しいわ。そこで、一晩過ごすの」
「建てようか?」
「それでね、毎年この時期になったらここを訪れて、セシリオ様と楽しく過ごすの」
「いいアイデアだと思う」
セシリオは愛しげにこちらを見つめ、相槌を打つ。
やっぱりセシリオは少し、サリーシャのことを甘やかし過ぎだと思う。ならば、サリーシャもセシリオを甘やかしたい。
「セシリオ様はなにがお望みですか?」
「俺? うーん、そうだな……。君が笑ってくれたら、それでいい」
にこりと笑う目の前の人に、サリーシャは破顔する。
「セシリオ様が隣にいれば、わたくしはいつだって幸せですわ」
サリーシャは心からそう思った。いつだってセシリオはサリーシャを深い愛情で包み込んで、幸せをくれる。
サリーシャはセシリオの手を取ると、そっと両手で包み込んだ。秋になればアハマスで約二十年ぶりの社交パーティーを開く。今から準備で大変だけれど、この人のために頑張ろうと思った。
見上げれば、数え切れない星が瞬く、満天の星空が広がっている。手を伸ばせば届きそうな、宝石のようだ。
幸せな二人を祝福するかのように、空も大地も全てが煌めいていた。
『辺境の獅子は瑠璃色のバラを溺愛する 新婚編』 ─完─