第五十七話 救出③
──シュパーン!
独特の銃声音が響き渡るのとほぼ同時に、馬車が勢いよく急停車した。突然のことに、サリーシャはカリーリ隊長もろとも正面の座席に叩きつけられた。馬車のドアが勢いよく開け放たれ、目に入ったのは馬車の中に向けられた剣先だ。その剣先がこちらに勢いよく向かってくる。
──殺される!
サリーシャは目をぎゅっとつむった。しかし、いつまで待っても痛みはなく、かわりに力強く体を引かれて抱き寄せられた。
「サリーシャ、サリーシャ……」
苦しいぐらいに力強く、その腕に囲われる。仄かな埃と汗の匂いに混じり、大好きな人の温もりを感じた。
「……セシ……リオ様」
間違いない。ここにいるのはセシリオだ。
ホッとした瞬間に緊張の糸が切れ、涙が零れ落ちた。堰を切ったように止めどなく、次から次へと溢れだす。縄を素早く斬ったセシリオはすぐにそれに気付くと、親指でその涙を拭ってサリーシャの顔を覗き込んだ。
「セシリオ様。お屋敷が火事に……」
「大丈夫だ。火事にはなっていない」
そう言うと、セシリオはサリーシャの体を確認するように優しく触れる。
「どこが痛い? すぐに屋敷に戻ろう。酷いことはされなかったか?」
「わたくしは大丈夫です。ただ、セシリオ様の顔を見たらホッとしました」
「そうか。よかった……」
そう言って、またサリーシャのことを強く抱きしめる。
セシリオの体は震えていた。いつも凛々しい姿しか見せないセシリオが震えていたのだ。きっと自分を失うかもしれない最悪の事態も想像していたのだろう。サリーシャはようやく自由になった腕をセシリオの背中に回すと、『大丈夫だ』と伝えるように広い背中を何度も上下に往復させて撫でた。
ふとセシリオの胸の中で周囲を見渡すと、馬車と並行して走っていたカリーリ隊長の仲間の兵士達が次々とアハマス軍の兵士達に捕らえられていた。
──カリーリ隊長は……。
サリーシャが振り返ろうとすると、その視界はセシリオの手に覆われる。セシリオの顔を見上げると、真剣な顔で小さく左右に首を振られた。
サリーシャは目を伏せてから顔を上げると、セシリオの顔を見つめ、そっと自分の手を頬に沿わせた。たった一日会わなかっただけなのに、酷く窶れたように見える。
「閣下、酷いお顔でございます」
「人生で最悪の日だった。──今度こそきみを永遠に失うと思った」
「わたくしはここにおりますわ」
「ああ、そうだな」
セシリオは小さく微笑むと、宝物を抱きしめるように、もう一度サリーシャを優しく抱擁する。サリーシャはその胸の中で、顔を俯かせた。自分は、どれ程の迷惑をかけたのだろう。
「わたくしは、とても浅はかな行動をしました。閣下からあれだけ注意されていたのだから、自分の身が狙われることをもっと警戒すべきだったのに」
サリーシャを抱き締めるセシリオの腕に力がこもる。僅かに体が離れると、セシリオはサリーシャを覗きこみ、力なく微笑む。
「次からは気をつけてくれ。ひやひやして命がいくつあっても足りない。ただ、『わたくしはアハマス辺境伯にふさわしくない』というのは禁止だ。俺には君が必要だ」
サリーシャはセシリオを見つめた。なぜ、自分が考えていることがわかったのだろう。けれど、セシリオが自分を許し、必要としてくれるならば、こんな過ちは繰り返さないように、そして、立派なアハマス辺境伯夫人になれるように今一度頑張りたいと思った。
「閣下がわたくしを必要としてくれるならば、これからもずっと閣下のおそばにおります」
「それでいい。ここ数日、ほとんど寝ていない。やっと今夜はゆっくりと眠れる」
「では、わたくしもゆっくり眠れますわね。閣下が朝までお傍にいてくださるから」
セシリオは僅かに目をみはり、サリーシャの背に手をまわす。
「もちろん、朝まできみのそばにいる。帰ろうか。俺たちの屋敷に」
デオに乗せられて、セシリオがサリーシャを包み込むように後ろから手綱を握る。見上げると、夜空にはたくさんの星が宝石のように瞬いていた。
後日の取り調べで真相は全て明らかにされた。
デニーリ地区の警ら隊長として赴任したカリーリ隊長は赴任後ほどなくして福祉関係のお金の横領を始めていた。生活に困窮し始めた貧困層をそそのかし、義賊を気取った窃盗団を結成させた。さらにそこでも拘束しないことを条件に、強奪したほとんどを自分達の懐に入れていた。
警ら隊の風上にも置けない行動だ。
犯行に関わった警ら隊員および窃盗団の面々の裁判はこれから始まる。重傷を負って医務室に担ぎ込まれたカリーリ隊長も奇跡的に命をとりとめたので、今後取り調べを開始する予定だ。警ら隊の連中の刑が重くなるのは避けられないだろう。
デニーリ地区にはセシリオの配下の優秀な政務官と軍人が何人か派遣されることになり、間もなく事態は収拾する見込みだ。
そして、ロランは窃盗と誘拐のどちらの犯行にも直接的には一切関わっていなかったことと、サリーシャ救出に多大な貢献をしたとして、奉仕活動を課せられるにとどまった。




