第五十五話 救出
「なんだと? どういうことだっ!」
セシリオは思わず声を荒らげた。
サリーシャには外に行くときには必ず護衛を付けるように言っていた。にもかかわらず、なぜそんなことが起きたのか。
一通りの事情を聞いたセシリオは両手で顔を覆い、天を仰いだ。連中が商人の振りをして白昼堂々アハマス領主館の中でサリーシャを拐うなど、完全に予想外だったのだ。
捜索の陣頭指揮を担っているモーリスのところへ向かうと、モーリスは険しい表情をしていた。
「奥様を盾に、要求を出してきた。国境を通すこと、追って来ないことの二つだ」
「くそっ!」
セシリオはガンッとドアを叩いた。カリーリ隊長らが国境に向かうことは予想していたが、恐らく強行突破を試みると思っていた。しかし、アハマス軍に長らくいた彼らは、国境警備の厳重さを知っているのだ。それでも、サリーシャが盾にとられたことは予想外だっだ。
「奴等の要求を呑んで国境を開けるか? 条件を呑むなら狼煙を上げろと」
「国境は開けない」
セシリオの言い放った言葉を聞き、モーリスは目を見開いた。国境を開けなければ、即ちサリーシャの身に危険が及ぶ可能性が高い。
しかし、セシリオはアハマス辺境伯として絶対に国境を開けるわけにはいかないと決意していた。ここで国境を開ければ、アハマス辺境伯を脅せば容易に国境が開くと周囲に知らしめることになるからだ。国境を守る辺境伯として、それは絶対にできない。
「国境は開けない。だが、サリーシャは取り戻す」
セシリオはそう断言した。
しかし、なにか事態を打開する名案が浮かんだわけでも、ましてや敵の根城がわかったわけでもない。綱渡りですらない、断崖絶壁に追い込まれた状況だ。
「今わかっていることを教えろ。連中が不審に思う前に解決させる」
時間がかかれば向こうもこちらが国境を開ける気がないと気付くだろう。モーリスの集めた情報では、カリーリ隊長には残忍な性向があったという。サリーシャが報復で殺されてもおかしくはない。
「くそっ! サリーシャ……」
しくじればサリーシャが死ぬ。動揺する気持ちを必死に落ち着かせて、セシリオは目の前の難題に集中した。
不審な馬車を目撃したという治安維持隊の証言、国境へ出ることを考えた場合に逃げやすいルート、人目に付きにくいように中心街ではないはずだが、ここからそんなに離れてもいないはずだ。そして、狼煙がすぐに確認できる位置……。
それらを複合的に考えてある程度地域を絞り込めても、今一つ決定打がない。下手に動けばこちらの意図を知られ、最悪の自体もおこり得る。
──どうしたら……。
八方塞がりに思えたそのとき、セシリオはハッとした。
「ロランは? ロランはいるか?」
「こんなことになったから、さりげなく理由を付けて部屋に閉じ込めている」
「すぐにここに呼んでくれ」
「ロランに不審な点はなかったぞ?」
「構わない。呼んでくれ」
しばらくして呼ばれて来たロランは、傍目にも青い顔をしていた。ただならぬ雰囲気に圧倒されたように、落ち着きなく周囲を見渡している。
「サリーシャが拐われた。犯人は商人の姿を借りた、元・デニーリ地区の警ら隊だ」
ロランの目が大きく見開いた。
「え、うそだろ? なんで……」
「ロランはやつらの根城を知っているのではないか? お願いだ。教えてくれ」
ロランは呆然としたまま、動かなかった。セシリオは片膝をついてひざまづくと、懇願するようにロランを見上げる。
「頼む。サリーシャが殺されるかもしれないんだ。この通りだ。頼む」
膝をついて頭を下げるセシリオの前で、ロランは口を半開きにしたまま立ち尽くした。
モーリスはその様子を見て顔を歪めた。
セシリオはアハマス辺境伯であり、王族と公爵以外に頭を下げることなどない。そのセシリオが恥も外聞も投げ捨てて、一介の馬丁見習いに頭を下げて頼み込んでいるのだ。いかに事態が切羽つまっているかを表していた。
「正確な場所は知らないんだ……」
ロランの小さな声を拾い、セシリオはがばっと顔を上げた。
「心当たりはあるのか!?」
「昨日と今日、奥様を馬車で連れ出すようにと手紙が来た。そのときにはアハマス領主館から東に向かい、ポプラ通りの坂を上るルートを通れと」
「ポプラ通りの坂か!」
ポプラ通りとは、その名の通り街道の両側にポプラの並木が植えられた通りだ。領主館から国境地域へ向かう一角にある。
「目立たぬように裏門から出て、すぐに街道沿いに兵を配備する。俺が出立した三十分後に狼煙を上げろ」
セシリオは険しい表情のまま立ち上がると、即座に周囲に指示を出した。




