第四十八話 憧れ
セシリオは週に数回、アハマスの軍の訓練状況の視察をする。
夏が近づくにつれて日中の気温は上がり、最近は長袖の軍服では暑いほどだ。訓練に参加している兵士の額からは汗が滴り落ち、髪をしっとりと濡らしている。
いつものように時々アドバイス等をしながらその様子を眺めていたセシリオは、ふと視線を感じたような気がして振り返った。セシリオを見ているというよりは、この辺りを全体をみているような視線だ。
訓練場では何百人もの逞しい男達が剣の打ち合いをしており、模擬剣がぶつかるカンカンと言う音が響き渡っている。そのけたたましい音の中をセシリオはゆっくりと歩いた。そして、視線の先の人物を見留めて目を眇めた。
──あれは、ロランか?
訓練場を望む砂利道で馬に与える干し草を一杯に乗せた手押し車を押しながら、物欲しげな表情でこちらを眺めている。よそ見をしながら手押し車を押すものだから、しばらくすると道端の少し大きめの石に車輪がひっかかり、干し草が辺りに散らばった。ロランはそれを慌てた様子で拾い集める。
「なにをしているんだ?」
小さく独りごちた言葉は、金属のぶつかり合う音でかき消された。
その翌日も軍の訓練を視察していたセシリオが注意深く辺りを見渡すと、ロランはやはり軍の訓練を物欲しげな表情で眺めていた。セシリオは少し迷ったが、そちらに近づくとぼんやりと訓練場を眺めるロランに声をかけた。
「ロラン、なにをしている?」
声をかけられたロランはぎょっとした顔をしてセシリオを見つめた。仕事をさぼっていると見咎められたと思ったようで、慌てた様子で頭を下げると手押し車を握りしめる。
「待て、ロラン」
セシリオはすぐに呼び止めた。そそくさとそこを去ろうとしていたロランは、ビクッと肩を揺らして恐る恐る後ろを振り返った。
「なにをしていた?」
「…………」
「軍の訓練に興味があるのか?」
しばらく黙り込んでいたロランは、おずおずと口を開く。
「……俺も強くなりたいから」
「なぜ強くなりたい?」
「大切な人達を守れるだろう? それに、強ければ働き口もたくさんある」
ロランはそう言うと、焦げ茶色の瞳で真っ直ぐにセシリオを見つめてきた。“大切な人達”が誰を指すのかまではわからないが、ロランに守りたいものがあることはわかった。働き口とは、アハマス軍や裕福な家庭の用心棒などだろう。少なくとも、馬丁よりは給料もいい。
「なるほど。アハマス軍は次回の求人の際、いつもより多くの若者を募集する予定だ。ロランも受けてみればいい」
「無理だろ? こんなんだし」
ロランはハッと自嘲気味に笑うと、両手を広げて見せた。ロランは何も持たずにここにやって来たため、衣類はセシリオから言付けを受けたドリスが用意した。しかし、体が小さく痩せているため、一番小さいサイズにも関わらず、だぼだぼだ。ズボンはサスペンダーで吊り上げて調整しているが、傍目に見てもウエストが全く合っていない。
「体も小さいし、痩せていてひ弱だ。頼れる身寄りもいない。アハマス軍に受かるわけがない」
セシリオはそれを聞き、首を横に傾げて見せた。
「体が大きいことが軍人の全てではない。特に、最近は銃撃戦が増えてきたから体が小さいことが有利になることも多い。物陰に隠れられるし、狙われにくいからな」
後方では剣が当たる音がカンカンと響き渡っている。皆真剣な眼差しで剣を奮い、時折、気合いをいれる雄叫びが聞こえる。セシリオはそちらを振り返り、ロランに顎で指した。
「早朝練習は自主的なものだから、行けば混ぜて貰えるはずだ。本当にやりたいのなら、やればいい」
無言のロランはじっとセシリオの顔を見上げる。セシリオはその肩をポンと叩いた。
「ロランはまだ若いからいくらでも伸びる。一流の銃士にだってなれるだろう。──ただ、ちゃんと食べろよ。小さいのは構わないが、痩せているのはよくない」
ロランは領主館の従業員用の宿舎に住み込みで働いている。食事は全て賄いが出る。専門の調理師によって作られる栄養バランスのよい料理ばかりだ。
「あなたはなぜ……」
「なんだ?」
セシリオが聞き返すと、ロランは顔を俯かせて首を左右にゆるゆると振った。
「いえ、なんでもありません。もう行きます」
すぐ脇に置いてある手押し車を握ると、ロランはペコリと頭を下げる。そして、ゴロゴロと手押し車を押しながらその場を後にした。
セシリオは念のため、ロランのことを馬丁を装った兵士にさりげなく監視させている。
数日後、セシリオはその監視役をしている兵士を執務室に呼び出した。兵士は固い表情のまま、口を一文字にしてセシリオの前に立った。一介の兵士がセシリオの執務室に呼び出されることなどまずないので、緊張しているようだ。
「ここに来てからのロランはどんな様子だ?」
「今のところ、勤務態度は真面目で素直です」
「気になることはないか?」
「そうですね……。軍に興味があるのか、仕事の合間に訓練をよく眺めていますね。最近は軍の朝練習に混ぜてもらってるみたいで、休憩中に厩舎の掃除をするための箒を剣に見立てて真似をしているのを時々見かけます。後は、夕方走っているようです」
兵士は固い表情のまま、上擦った声で答える。先日、セシリオはロランにやりたいなら行けばよいと言ったが、ロランは本当に行ったらしい。それも、なかなか熱心なようだ。
「そうか。他に気になることは?」
「そういえばここ数日、パンを持って厩舎の外をうろうろしていたことが何回かあったので理由を聞くと、猫がいたからあげようと思っただけだと言っていました」
「猫……か……。外部の誰かと会ったりはしていないか?」
「わたしの知る限りは、ありません。ただ、手紙は時々届くようです。先日も手紙が届いて沈んだ表情をしていたので、もしかしたら少しホームシックにでもなっているのかも」
「手紙……」
ロランは孤児院出身で身寄りはないと言っていたが知り合いくらいはいるだろう。手紙が来てもなんら不思議はない。
つまり、ロランに関してはこれまでのところ、なにも不審な点は見当たらない。
「わかった。引き続き、彼を頼む」
「かしこまりました」
兵士はホッとしたような表情で敬礼すると、部屋から出ていった。
──俺の考えすぎか……。
セシリオは立ち上がって窓の外を見た。遠くを眺めると夕暮れに染まる空に町並みが黒く浮き上がっている。すぐ下では、自慢の商品を是非アハマス領主に紹介したいと訪れた商人が馬車を牽く、のどかな景色が広がっていた。




