第四十七話 チェリーパイ
サリーシャは目の前のチェリーのシロップ漬けを眺めながら、うーんと頭を悩ませた。アハマスに戻って一週間も経つのに、あと三つも大きな瓶が残っている。バーバラが言ったとおり、やはり買いすぎたようだ。
これからの季節、気温は徐々に上がってくる。いくら保存が効くとは言え、早く使わないと傷んでしまう。
「どうやって食べようかしら?」
「チェリーパイはいかがでしょう? たくさん消費できる上に、とても美味しいですわ」
頬に手を当てて考え込むサリーシャに、窓際に花を飾っていたクラーラが微笑みかける。チェリーパイと言えば、サリーシャも大好きなお菓子だ。
「チェリーパイ! それはいいわね。では、厨房の皆さんと作ってみるわ」
「きっと、これだけあれば五個以上は作れますわね」
パッと表情を明るくしたサリーシャを見て、クラーラはくすくすと笑う。
さっそく向かった厨房で作業して、サリーシャはわくわくとした気分でオーブンを開ける料理人の手元を見守った。黒い鉄の扉を開けた瞬間にもわっとした熱気、次いでふんわりと甘く香ばしい香りが広がる。取り出された金属トレーには、きつね色に色づいた生地があった。
冷ましてから料理人が生地を包丁でカットすると、中からはチェリーを煮詰めた濃い赤色のフィリングがトロリと垂れる。
「わあ、美味しそうだわ」
「どうぞ」
料理人が皿に乗せたチェリーパイのカットをサリーシャに差し出す。小さくカットして一口含めば、口一杯にチェリーの甘さとパイのサクサクした食感が広がった。予想以上の美味しさにサリーシャは目をみはった。
「とっても美味しいわ! ──そうだわ。孤児院の子供達にもお土産に持っていこうかしら」
「なら、こちらの包丁を入れていないものがいいと思いますよ」
料理人はにこにこしながら、今日焼いた二つのチェリーパイのうちの一つを差し出す。
「そうね、ありがとう。よかったら、残りは皆さんや屋敷で働いている方でおやつに食べて」
「旦那様にはお出ししなくてよろしいのですか?」
「今日は殆ど全部皆さまに作っていただいたから。次回はもっとわたくしも頑張って、『わたくしの手作りです』ってセシリオ様にお出ししたいの」
気まずげにぼそぼそっと言ったサリーシャの言葉に、料理人達は苦笑した。
今日は生地やフィリングから作ったのだが、慣れないサリーシャが生地を破いたりフィリングを焦がしたりしないようにとほとんど全てを厨房の料理人が作った。サリーシャがやったことといえば、生地にフィリングを流し込んだだけだ。確かにこれではサリーシャの手作りチェリーパイとは言い難い。
「では、次回は奥様の出番を増やしましょう」
「ええ。お願い」
サリーシャは両手を顔の前で合わせてペコリとお辞儀した。
準備を終えたサリーシャがチェリーパイを持って馬車置き場へ向かうと、そこにはロランがいた。長時間馬車を牽くと馬が疲れるため、使用人用の馬の交換に来たようだ。手綱を持って馬丁らしき若い男性の後ろを歩いていた。
「ロラン」
サリーシャが声をかけると、ロランはハッとした顔で振り返る。そして、サリーシャの顔を見るとちょっと不貞腐れたような顔をした。
「ここの仕事は慣れた?」
「まだ一週間も経ってないから……」
「そう。ねえ、ロランは頑張っているかしら?」
サリーシャはロランの横にいた男性に話しかけた。馬丁なのに、軍人のように体格のよい男性だ。
「よく頑張っていますよ」
「それはよかったわ」
ロランは褒められて気恥ずかしいのか、バツが悪そうに自分が牽く馬を眺めている。よく手入れのされた赤毛の馬だ。四本の足元だけ毛が白く、まるで靴下を履いているように見える。
「奥様はお出掛けですか?」
「ええ。孤児院に慰問に」
馬丁に尋ねられてサリーシャがそう答えると、ロランはピクリと反応した。
「孤児院?」
「ええ、そうよ。ロランも出身がそうだったわよね。よかったら一緒に行く? 遊び相手が必要なの」
サリーシャが誘うと、ロランは視線をさ迷わせて迷うように馬丁の顔を見た。その表情からは、言われなくとも行きたがっていることが窺える。
「後はこの馬を厩舎に戻して餌をやるだけだから、後から追いかけようか。俺が案内してやるよ。ちょうどいい距離だから馬の散歩とロランの乗馬の練習にもなるしな。すぐに追い付くだろう」
馬丁は笑ってそう言うと、サリーシャに向き直って真面目な顔をした。
「奥様。護衛は?」
「もちろん、連れて行くわ。今さっき言付けたから、すぐに来ると思うわ。外に行くときは必ず護衛をつけるようにと閣下から言われていますから」
「なら、よかった。外はなにがあるかわからないので、護衛から離れないで下さいね」
「わかったわ。ありがとう」
サリーシャはくすくすと笑う。まるで、セシリオのようなことを言う人だと思った。
向かった孤児院で、今日もサリーシャは大歓迎された。すぐに追い付くと言っていただけあり、サリーシャが到着して程なくすると、先ほどの馬丁とロランが現れた。孤児院に入ってきたロランは、ぼんやりと周囲を見渡している。
「みんな、元気にしていた?」
「元気だよ! 見て。カーラの前歯が抜けたんだ」
元気に答える男の子の隣に立ってにっこりと笑う六歳くらいの女の子の前歯は歯抜けになっていた。大人の歯に生え変わるところのようだ。
「まぁ。大きくなってきた証拠ね。今日はね、お土産にチェリーパイを持ってきたわよ。作りたてなの。あのお兄さんの故郷で作ったチェリーを使っているのよ」
子供達が一斉にロランを見つめる。そして、わらわらと集まって次々と話しかけ始めた。ロランは孤児院出身なだけあり、それを上手くいなして相手をする。
出されたチェリーパイはあっという間に平らげられ、すぐに手を引かれて外に連れ出されていた。端から見るロランの表情は明るく、下の子達の相手をするのが好きだということが窺えた。
「ロランさんにすっかりなついてますね」
孤児院の施設長であるアンは微笑みを浮かべて外の様子を眺める。
「元々いたところでも、下の子達に慕われていたみたい」
サリーシャもふふっと笑ってその様子を眺めた。馬丁の男性も一緒に外に出て、子供達と対戦ごっこをして遊んでやっていた。体格がよいとは思っていたが、子供達が五人でかかっても相手にもなっていない。庭園には笑顔が溢れ、皆とても楽しそうだ。
結局、孤児院にいる間中、子供達がロラン達から離れることはなかった。
屋敷に戻ると、サリーシャはロランにお礼を言った。
「今日はありがとう。皆、楽しそうだったわ。あなたのお陰ね」
「……いや。──なぁ、あそこはアハマスの中心地にあるから、支援金が多いのか?」
サリーシャはロランの質問に首を傾げた。
「いいえ、アハマス全土で支援金は同額よ。わたくしも気になっていたの。ロランの出身の孤児院は、なにか大規模改修でもしてお金をつかってしまったの?」
「え?」
ロランは戸惑ったようにサリーシャを見つめ返し、眉を寄せる。
「……いや、俺はよく知らない」
「そう。毛布が買えないってどういうことなのかと思って──」
ぶつぶつと思案するサリーシャの横顔を、ロランは呆然とした表情で見つめていた。




