第四十六話 少年②
夕方、孤児院から戻ってきたサリーシャはなんとなく馬車で怪我をした少年が気になって医務室に行くことにした。未だに領主館の左側、執務エリアには行き慣れないが、どこになにがあるのかくらいは覚えてきた。
記憶を辿りながら医務室へと向かうと、そっとドアを開ける。中では看護師達が忙しなく動き回っていた。ここはアハマス軍で働く兵士やここで働く政務官達など多くの人を相手にするので、いつも誰かしら患者がいるのだ。
「奥様、どうされましたか?」
忙しそうな様子に声をかけていいものかと迷っていると、看護師の方がサリーシャに気付き声をかけてくれた。
「昨日、少年がここに来たでしょう? あの子はどうしてるかしら?」
「あの子なら、大きな怪我はなさそうですが念のため数日ここに滞在してもらいます。今は眠っていますが、面会されますか? 閣下とモーリス様も先ほどいらっしゃいました」
「寝ているならいいの。ありがとう」
サリーシャは看護師にお礼を言うと、その場を後にした。
その日の晩、サリーシャは、クラーラにお願いして便箋を用意してもらい、バーバラに手紙を書くことにした。
いろいろ考えてみたが、やはり毛布が買えない困窮ぶりというのは気になった。布団に関してはその日の晩にアルカン長官にも話し、必要数を購入して贈るということで話は解決した。しかし、いったいどういう経営状態になっているのか、確認すべきだと思ったのだ。
サリーシャはセシリオから福祉関係のことを任せると言われている。アハマス領主館が直轄する中心地区でないとしても、アハマス領地内のことならばサリーシャはその実情を知り、必要があれば是正しなければならない。
「サリーシャ、なにをしているんだ?」
なにをどう書くべきかと悩んでいると、ふいに声を掛けられてサリーシャは顔を上げた。いつの間にか仕事から戻ったセシリオがサリーシャの手元を覗き込んでいる。
「バーバラ様にお手紙を書いておりました。先日、デニーリ地区の孤児院でお布団を買えなくて困っていたと申したでしょう? 今日慰問した孤児院ではそんなことにはなっていなかったので、いったいどういう経営状況になっていたのか、確認しようと思いまして」
「なるほど。それは俺も気になっていた。よっぽどの無駄使いをしない限り、そんなことにはならないはずなんだ」
眉を寄せたセシリオは少し屈んでサリーシャの顔を覗き込む。至近距離で目が合うと、口元に笑みを浮かべた。
「いつも頑張ってくれて、ありがとう」
柔らかな感触が額に押し当てられた。
サリーシャは額をそっと指で触れる。ほんのりと頬が赤らみ、触れた場所が熱を持ったように熱い。
お礼を言われるまでもなく、これは元々サリーシャがしなければならないことだ。けれど、『ありがとう』と言ってもらえるととても嬉しい。
「セシリオ様も毎日お仕事お疲れ様でございます。いつもありがとうございます」
サリーシャがそう言うと、セシリオは驚いたように僅かに目を見開いてから表情を綻ばせる。自分が慰労されることは想定していなかったようだ。
少し照れたように笑い、「どういたしまして」と言ってはにかむ。そんなところを、サリーシャはとても愛しく感じた。
「セシリオ様、あの少年は大丈夫でしたか? 馬にぶつかった……」
「ああ、あの子なんだが、大きなケガはなさそうだ。不幸中の幸いだな」
「身元はわかったのですか?」
「それが、話そうとしない」
セシリオはお手上げと言いたげに手のひらを上に向け、肩をすくめる。サリーシャは話すべきか迷ったが、少しでも手掛かりになればと思い、セシリオに話すことにした。
「あの子……、デニーリ地区の孤児院で見かけた子に似ているんです。バーバラ様に連れて行っていただいた──」
「デニーリ地区の孤児院で? だが、あの事故があった場所はデニーリ地区からだいぶ離れている。アハマス中心地に近い。他人のそら似ではないか?」
セシリオの顔に困惑の色が浮かぶ。
あの事故があったのはアハマスの領主館まで馬車で数時間の距離だった。つまり、デニーリ地区のあの孤児院からは少なくとも馬車で半日以上かかる場所だったのだ。
「──今日の昼間に本人と直接話したのだが、出身も名前も言おうとしない。ただ、小柄で子供のように見えるが、本人が言うには成人しているので、ここで仕事をしたいと」
「仕事……。バーバラ様に連れて行っていただいた孤児院で見かけた子も小柄でしたがもう十六歳だと言っていました。名前は確か……『ロラン』と。もう孤児院は出たけれど、面倒見がよくて、よく手伝いに来ていると聞きました。わたくしも明日、彼と話してみても?」
「わかった。俺も同席しよう」
セシリオはそれだけ言うと、腕を組んで考え込むように黙り込んでしまった。
翌日、セシリオに伴われて医務室を訪れたサリーシャを見て、彼はあからさまに顔をしかめた。そして、ふいっと窓の方を向いてしまった。
「こんにちは」
「…………」
「お名前はなんていうの?」
「…………」
「あなた、わたくしがデニーリ地区の孤児院に訪問した日、あそこにいたわよね?」
「…………」
聞こえてはいるはずなのに、話しかけても一向に返事をしない。
途方にくれたサリーシャは隣に立つセシリオを見上げた。セシリオも困ったように口をへの字にすると肩を竦めた。これは、少々荒療治をしないと話しそうにもないと、サリーシャは腹を決めた。
「さっきお手紙が来たの。デニーリ地区の孤児院から慰問のお礼の手紙よ」
彼の肩がピクリと揺れる。
「だけど、ジェニーがひどい高熱を出して大変みたいなの。ずっとうなされているって。もしかしたら最悪の事態もありえるかもしれないわ」
「えっ! 嘘だろ!?」
そっぽを向いていた彼が目を見開いて勢いよく振り返る。サリーシャはニヤッと笑うと、「ええ、嘘よ」と言った。目の前の彼が呆気にとられたように口をぽかんと開ける。
「騙したな?」
「そう、騙したの。あなたがなかなか答えないからよ。それで、なぜこんなところにいるのか話してくれるわよね、ロラン?」
サリーシャがそう訊くと、ロランはしまったと言いたげに顔をしかめた。しかし、サリーシャに追及されて観念したようで、自分がデニーリ地区の孤児院出身のロランであることは認めた。
「なぜあのような場所にいた?」
険しい表情のセシリオに追及されると、ロランは肩をすくめて口を尖らせた。
「馬車を降ろされた」
「降ろされた?」
「もっといい仕事を探したくてアハマスの中心街に行こうと思ったんだ。乗せてもらった馬車はあそこから行き先が違ったから降ろされた。それで、困っていたところに来たのかあんたらの馬車だった。もう夜だし停まって欲しくて前に出たら、ぶつかったんだ」
デニーリ地区からアハマス中心街に移動するには、乗り合い馬車でもそれなりに運賃がかかる。そのため、たまたまその方向に行く馬車の持ち主と交渉して乗せてもらうことは庶民にはよくあることだ。
「では、なぜ素性を隠した?」
「デニーリに送り返されると思ったからだよ。俺はアハマスの中心地で仕事を探したいんだ」
サリーシャとセシリオは顔を見合わせた。
その後、セシリオの計らいでロランは馬丁の見習いとしてアハマスの領主館で働くことになった。




