第十話 朝食の席で
朝食が用意されているプライベート用ダイニングルームは屋敷の三階部分に位置していた。
サリーシャはクラーラに案内されながら、今日も辺りをキョロキョロと見渡した。
この屋敷の半分がセシリオ達の生活スペースになっていることは、昨日セシリオ本人に聞いた。クラーラによると、生活空間となる建物半分は三階建てになっており、一階は大きな催しを行う際の大広間や応接間、厨房、使用人達の休憩スペースがある。サリーシャの部屋がある二階部分は来客が滞在するための部屋と図書室、倉庫が、そして三階部分にここの主であるアハマス辺境伯──セシリオの私室や辺境伯夫人のための部屋、子供達のための部屋があるという。
「あちらの一番突き当たりが旦那様の私室です。隣が奥様のためのお部屋ですから、じきにサリーシャ様にもお移り頂きます。結婚式の後ですわね」
クラーラは三階まで階段を上ると、笑顔で長く続く廊下の向こうを指し示した。そちらを見ると、突き当たりには木製の両開きの大きなドアがあるのが見えた。ここからは見えないが、その手前にもいくつかドアが並んでいるのだろう。
自分があそこに住む日など、果たして来るのだろうか。きっと来ないだろうとサリーシャは思った。
にこにこしながら説明するクラーラを裏切っている気がして、サリーシャは曖昧に微笑むとそこから目を反らした。
朝食の会場に入ったとき、サリーシャはあまりにも豪華な朝食に目をみはった。
パンだけでも十種類以上、ハムやスープ、サラダに卵料理、煮物に炒め物まで、ありとあらゆる料理がテーブルにところ狭しと並べられている。
部屋はここの屋敷らしく、ほとんど装飾のないシンプルな作りだった。白い壁に大きな木製のテーブルセット。壁には絵が飾られる代わりに、装飾が施された盾が飾られていた。そんなところも、このアハマスの土地柄を感じさせた。
セシリオは先に到着しており、サリーシャが入室すると慌てた様子で立ち上がった。ガシッと椅子が鳴り、椅子が倒れそうになるのを慌てて押さえる。クラーラが「お行儀が悪いですわ、旦那様」と眉をひそめて嗜めた。すると、セシリオはばつが悪そうに視線をさ迷わせ、椅子の位置を自分で直していた。
──なんだか、初めてマオーニ伯爵邸にいらしたときを思い出すわ。
サリーシャは思わず笑みを洩らした。
あのときも、セシリオは気まずそうに視線を漂わせていた。ふと気付けばセシリオが目を見開き、じっとこちらを見つめていた。サリーシャは慌てて表情を消し、澄ました顔で頭を下げた。
「おはようございます、閣下。昨日は大変な失礼を致しました」
「いや、構わないんだ。顔を上げてくれ」
セシリオは焦ったようにサリーシャの顔を上げさせた。そして、困ったように眉尻を下げた。
「到着早々の疲れているところで晩餐に誘うなど、こちらも配慮が足りなかった。昨日は、モーリスに酷く呆れられた」
「モーリス?」
「アハマスの軍隊ナンバー2で、俺の右腕だ」
セシリオはそれだけ言うと、沈黙した。そして、パッと顔を上げてサリーシャを見つめた。
「昨日は、よく休めただろうか?」
「はい」
むしろよく休み過ぎて、大失態を演じてしまった。初めての場所にも関わらず、この屋敷のベッドはとても寝心地が良かったのだ。
「それはよかった。部屋に不都合はない?」
「とても快適ですわ。快適過ぎて、寝過ごしてしまうくらい」
「ははっ、そうだったな。足りないものは?」
「今のところは大丈夫ですわ」
「そうか」
セシリオが安心したように小さく頷いたところで、再び侍女のクラーラがコホンと咳払いする。
「旦那様。お話に夢中になるのは結構でございますが、先ほどからサリーシャ様が立ちっぱなしです。少しは配慮して下さいませ」
「っ! そうか、悪かった。座ってくれ」
セシリオはぐっと言葉に詰まり、眉間をぐっと寄せた。絞り出すようにそう言うと、自身の向かいにある椅子を片手で指し示した。
「はい。失礼いたしますわ」
サリーシャは、会釈してクラーラがひいてくれた椅子に腰をおろした。改めて目の前に座るセシリオを見ると、口を一文字に結んで、なぜかテーブルに並ぶ料理を睨んでいる。
その時、サリーシャはふとあることに気付いた。パッと見はとても不機嫌そうに見えるのだが、よく見ると耳のあたりがほんのりと赤いのだ。これはもしかしたら怒っているのではなく照れているのだろうかと、サリーシャはセシリオをまじまじと見つめた。そして、少し迷ってから、セシリオに話しかけた。
「閣下? 今朝は朝食に同席させて頂き、ありがとうございます」
「いや、いいんだ。せっかくきみが遠くから来てくれたのだから、これしきのこと」
途端にパッと表情が明るくなって嬉しそうに微笑んだ姿を見て、サリーシャの予想は確信へと変わる。
サリーシャがこれまで貴族の世界で関わってきた男性は、フィリップ殿下を始めとして、とても女性の扱いが上手かった。みな甘く微笑み、そつなくダンスに誘い、話相手をこなす。初めて見るこのような男性の反応に、サリーシャは堪らずクスクスと笑いだした。
「どうかしたのか?」
ふと気づけば、セシリオが驚いたように目を真ん丸にしてこちらを見つめていた。サリーシャは「ああ、いけない」と笑いを噛み殺す。
「いえ。アハマス閣下は存外、とてもかわいらしい方でいらっしゃると思いまして」
「かわいらしい? 俺が??」
「はい」
それを聞いたセシリオはポカンとした表情になり、まわりに控える侍女や給仕人は口元を押さえてくすくすと楽しげに笑った。




