第四十五話 少年
少年が医師の診察を受けている間、セシリオはモーリスに不在にしていた間のことについて報告を受けることにした。
「なにか変わりはないか?」
「特には。セシリオが必要な決裁を済ませてから出発してくれたから、大きな問題はなかったよ」
「そうか、それならよかった」
「いくつかセシリオの承認が必要な書類があるから、それは執務机の上においた」
「わかった。見ておく」
セシリオは頷くと、テーブルに置かれた水を一口飲む。その様子を眺めていたモーリスはなにか言いたげにセシリオを見つめた。
「ところで、あの子供。身元はわかっているのか?」
「いや。答えないからわからない。事故直後だから混乱しているのか、答えたくないのかは判断がつかない」
「大丈夫なのか? 前に、窃盗団に襲われる直前に子供が飛び出す事例があっただろう? あの子がその一味ということは?」
「それもわからない。事故の直後、誰かが襲ってくることを考えてすぐに護衛の騎士達に警戒させたんだが、なにもなかった。ただ、どちらにしろ監視の行き届く場所においた方がいい」
「そうだな。俺もそう思う」
ふうっと息を吐いたモーリスはごくごくと水を飲み干し、トンっとテーブルにそれを置いた。セシリオはそのタイミングを見計らって、モーリスに話を切り出した。
「それと、もう一つ」
「なんだ?」
「例の窃盗団で捕まった奴らなんだが、ここに連れてこようと思う」
「ここに? なぜだ?」
モーリスはカリーリ隊長のときと同様に、解せないと言いたげな反応を示した。セシリオは考えあぐねる様子で顎に手を当て、先日のことを思い返した。
「実際に奴らに会ったんだが、指導者を崇拝というよりはなにかに怯えているように見えたんだ。なにに怯えているのかは知らんが、気になった。護送して取り調べしてくれないか?」
「怯える? うーん、わかった。とにかく、明日の朝一番に手配しておく」
「頼んだ」
モーリスとセシリオは必要最低限のことを打ち合わせると、あとは明日にしようと話を切り上げた。
気付けば既に日付が変わっている。早く部屋に戻らないとサリーシャも心配していることだろう。
執務室に一人残されたセシリオは、ソファーにもたれ掛かると腕を組み、もう一度デニーリ地区でのことや事故に遭った少年を思い返した。
***
帰城した翌日、サリーシャは中庭のガセボでゆったりと過ごしていた。
まだアハマスに来てからは一年ほどしか経っていないが、すっかりと体に馴染んでしまったようだ。プランシェの屋敷もとても居心地のよいところだったが、やはりここが一番落ち着く。
「プランシェは楽しかったですか?」
クラーラはティーカップに紅茶を淹れると、サリーシャの前にそれを差し出す。白い湯気が立ち上るそれを一口含むと、優しい味わいが口いっぱいに広がった。少しの間飲まなかっただけなのに、随分と久しぶりに感じる。
「楽しかったわ。メラニー様も皆さまも、お元気そうだったわ」
「そうでございますか」
クラーラは懐かしそうに目を細める。きっと、最後に会ったときのメラニーを思い浮かべているのだろう。
「わたくし、今年は社交パーティを開こうと思うの。初めてだから大規模にはできないけれど、メラニー様達はお呼びしたいわ」
「まあ、本当でございますか? 旦那様は社交パーティを開かないのでメラニー様は全然里帰りされていないのです。屋敷に古くから務めている使用人達は、きっと喜びますわ。わたくし共もお手伝いしますので、なんなりとお申し付けくださいませ」
「ええ、ありがとう」
嬉しそうに頬を綻ばせるクラーラを見上げ、サリーシャもとても嬉しくなった。せっかくセシリオと離れてプランシェまで見習いに行ったのだ。不安はあるが、頑張ってみたい。
「そう言えば、ドライフルーツやジャム等のお土産をありがとうございました。とても美味しかったですわ。使用人部屋に置いたのですが、皆喜んでおりました」
「よかったわ。つい欲張ってたくさん買ってきてしまったから、まだまだたくさんあるの」
サリーシャは日持ちするのをいいことに、両手に抱えきれないほどのドライフルーツやジャム、シロップ漬けを買ってきた。一部はプランシェの孤児院に贈り、一部は自分用に食べ、一部は使用人達にお土産として渡したが、まだまだ残っている。バーバラが言った通り、少し買いすぎてしまったようだ。
「そうだわ。三週間も不在にしていたから、あれをお土産に持って支援施設と孤児院に慰問に行こうかしら」
サリーシャはいいことを思い付いたとばかりに目を輝かせる。
久しぶりにアハマスの領主館に戻ってくるやいなや、セシリオは仕事でとても忙しそうだ。昨日もなかなか執務棟から戻ってこず、待ちくたびれたサリーシャはいつの間にか寝てしまった。セシリオばかり頑張るのではなく、自分もなにかしたかったのだ。
「それはよろしいですわね。すぐに行かれますか?」
「せっかく美味しい紅茶を淹れて貰ったから、これを飲み終えてからにするわ」
「わかりました。では、そのように準備いたします」
クラーラはにこりと微笑むと、準備を申し伝えるために中庭を後にする。
ふと視線を移動させると道中でセシリオと一緒に見た菜の花が庭園にも咲いていた。日陰になっているところなので、気温が上がりにくく咲くのが遅れたのだろう。
モンシロチョウがふわりふわりとその近くを飛んでいる。
──綺麗だわ。
一面が花に覆われた河川敷を二人で散歩したことを思い出し、サリーシャは表情を綻ばせた。
久しぶりに訪問した孤児院で、サリーシャは大歓迎された。
アハマス家の馬車はどれもシンプルながらしっかりとした造りの高級品ばかりだ。さらには側面にアハマス辺境伯家の紋章が入っている。そのせいで、子供達は馬車が近づいてきただけでサリーシャが来たのだと気付いたようだ。到着して扉を開けると、孤児院の前には何人か子供が立っていた。
「あら、こんなところに立ってどうしたの?」
「サリーシャ様が来る音がしたよ」
「音?」
「うん。サリーシャ様の馬車は普通の馬車と音が違うもん」
子供達は屈託なく笑うとサリーシャの手を引いて建物の中へと誘う。サリーシャがお土産のドライフルーツを取り出すと、部屋の中は大歓声が上がった。
「奥様、いつもありがとうございます」
施設長のアンは早速それらを皿に移し、笑顔でお礼を言う。
「いいのよ。──わたくしが来ていない間、なにか変わったことはなかった?」
「お陰さまで、問題なく過ごせております」
「そう、よかった」
サリーシャはほっと息をつく。そして、ふともう一度アンの方を見つめた。
「成人してここを出る子供達は、問題なく勤め先は見つかってる?」
「勤め先ですか? 町の商店に見習いで入る子が多いですわ。あとは、男の子はアハマス軍に入る子が多いですね。孤児を差別的に見る人も確かにいて悲しい思いをする子も多いのですが、今のところはなんとかなっております」
「そう、よかった。──ところで、お布団は足りている?」
「お布団? もちろん、足りておりますわ」
アンはきょとんとした表情でサリーシャを見返す。
サリーシャは慌てて「ちょっと気になっただけだから。施設の修繕にお金がかかったりして足りなくなっていないかと思って」と取り繕った。
「支援金は十分に頂いておりますし、寄付金もありますから大丈夫ですよ。お気遣いありがとうございます」
アンはにっこりと笑うと、そう言った。
──寄付金……。デニーリの孤児院は寄付金が少なくて経営が苦しいのかしら?
サリーシャは先日訪れたデニーリのことを思い返し、首を傾げた。