第四十四話 事故
「もしや、轢いたのか!?」
セシリオは固い声で聞き返しながら、すぐに馬車の扉を開けて飛び降りた。そして、周囲を警戒するように見渡し、近くにいる護衛の騎士になにかを指示する。
サリーシャは顔を真っ青にさせて、セシリオの後から馬車を降りようとした。しかし、セシリオにすぐに止められた。
「サリーシャ、なにがあるかわからないから乗っていろ」
馬車を守るように護衛騎士が周囲に立つ。サリーシャは仕方なく馬車の窓から前方を覗いた。
人が街道の真ん中に倒れているのが夕暮れの薄暗い中ではっきりと見えた。成人と言うにはやや小柄な男の子だ。セシリオはその前でしゃがみこみ、脈を取りながら先頭を走っていた騎士や馭者と話している。
「馬車に当たったのか?」
「馬車には当たっていない筈です」
馭者は両手を顔の横に挙げると、顔を真っ青にさせてふるふると首を振る。
「わたしの馬に当たったかもしれません。突然飛び出してきたので……。正面から蹴られてはいないと思うのですが……」
「馬に接触した?」
「かもしれません」
強ばった表情の騎士から報告を聞くと、セシリオはすぐに近くにいた別の騎士の方を見上げた。
「ここから一番近くの大きな村はどこだ?」
「スハダンですが、道が悪く三十分以上かかるかと」
「スハダンか。医師はいないかもしれないな」
セシリオはぐっと眉を寄せて倒れている人を見つめた。『子供』と最初に聞いたとおり、顔つきはやや幼く体付きも細い。ただ、背丈は大人の女性くらいはありそうに見えた。十代半ばくらいの少年だ。
少年は意識はあるようで、地面に手をつくとよろよろと上半身だけを起こした。
「大丈夫か? 立てるか?」
聴こえてはいるようだが、返事はなかった。
すぐにセシリオは戦場にいたときの要領で一通りその体を診た。擦り傷はあるが、大きな怪我はなさそうに見える。しかし、セシリオは医師ではないので、頭を打っている可能性や見えない内臓をやられている可能性は否定できない。
「痛みは?」
「……全身が痛い」
少年がボソリと呟く。
セシリオは瞬時に頭の中で領地の地図を思い描く。この街道はアハマスの領主館と王都を結んでいる。もし懸念するような怪我をしているとしたら、対応できるのは大きな町にある病院だろう。ここから一時間以上走らせて町にいくか、確実に腕のよい医師が常時いるアハマスの領主館まで戻るかだ。
馬車はすでにかなり領主館に近づいている。あと数時間も走れば到着するだろう。
「自宅はどこだ?」
「……」
「村の名前は? ここから近いスハダンか?」
少年はゆるゆると首を左右に振る。しかし、どこから来たのかは答えなかった。
「医師に診てもらった方がいい。アハマスの中心地へ一緒に行かないか? 帰りは送ろう」
少年はこくんと頷く。
「ご両親に連絡を入れたいから、自宅を教えてくれ。出身はどこだ?」
「両親はいない。孤児院を出たばかりだから、身寄りもない」
少年は小さな声で、それだけ答えると眠るように意識を失った。
***
アハマスの領主館に到着したのは深夜だったが、見張り台からの報せを受けたドリスやモーリスが、既に入り口で待っていた。セシリオはすぐに馬車から降りて出迎えたモーリスに声をかける。
「医務室に人が行くと伝えてくれ」
穏やかだったモーリスの表情が途端に険しいものへと変わる。
「怪我人がでたのか? まさか、奥様か?」
「違う。帰り道に子供が飛び出してきて、接触した」
「子供が飛び出してきた?」
それを聞いた瞬間、モーリスの脳裏にはとあることが思い浮かんだ。以前、報告書で読んだ、窃盗団の一味が現れる直前に子供が飛び出してきたという記載だ。
目が合うとセシリオにすぐにそのことは伝わったが、セシリオは小さく首を振る。
「今は医師に診せるのが先だ。色々話したいことがあるから後で呼ぶ。医務室に連絡を」
「わかった。一応、救護用の担架を持ってくる」
「ああ、助かる」
それだけ言うとモーリスは近くにいた部下に指示を出し始める。すぐに担架が運ばれてきて、セシリオの隣に立つサリーシャの目の前で、少年は医務室へと運ばれて行った。サリーシャはそのとき初めて少年の姿を明かりのもとで近くで見て、驚きで目を見開いた。
「え? あの子……」
少し癖のある黒髪。垂れた茶色の瞳はぱっちりとした二重だ。そして、少年にしてはほっそりとした体つき。
「サリーシャ、どうした?」
様子がおかしいサリーシャに気付き、セシリオが心配げに顔を覗き込む。
「いえ、なんでもございません」
「そう?」
サリーシャは慌てて胸の前で左右に手を振った。
事故があったのはデニーリ地区からかなり離れた場所であり、アハマスの領主館に程近いところだった。あそこに彼がいるはずはない。
しかし、その少年は孤児院で『ロラン』と呼ばれていた少年にあまりにもそっくりだった。
──こんなことって、あるの?
サリーシャは混乱した気持ちのまま、担架に乗せられて運ばれて行く少年の姿を見送った。




