第四十話 孤児院
孤児院はバーバラが言っていた通り、中心街からさほど離れていなかったようで、馬車に乗っていたのは時間にして十分もなかった。
停まった馬車から降り立ったサリーシャが見上げたのは、二階建ての建物だった。デニーリ地区で一番大きな孤児院というだけあり、サリーシャがいる位置からざっと見ただけでもかなりの部屋数がありそうに見える。
バーバラが慣れた様子で玄関の呼び鈴を鳴らすと、中からは中年の女性が姿を現した。なにか二、三言言葉を交わすとその中年女性が驚いたような顔をしてサリーシャの方を見る。きっと、アハマス辺境伯夫人が来たと聞いて驚いているのだろうな、とサリーシャは思った。
「突然お邪魔してごめんなさい。サリーシャ=アハマスですわ。今日はバーバラ様にデニーリ地区を案内していただいていたのですが、孤児院にも慰問したいと思いまして。──もしかして、もう夕食の準備をしていてお邪魔だったかしら?」
サリーシャが挨拶をすると、その女性は慌てたように頭を下げて「アハマス夫人にお越しいただくなど、恐れ多いことです」と言った。今度はサリーシャが慌てて女性の顔を上げさせる。
「わたくし、アハマス閣下から孤児院や学校、支援施設などのことを任されているのです。少しお話を聞いても?」
女性は戸惑うようにバーバラや後ろに控える騎士、警ら隊達を見渡した後、サリーシャを見て「もちろんです」と頷いた。
中に入ると、そこはアハマスの中心街でサリーシャがよく通っている孤児院と同じような構造をしていた。一階には子供達が集まって食事できる大きな食堂兼居間があり、窓から見える庭園では小さな子供が遊んでいるのが見えた。
「随分と小さい子供しか見当たらないけれど、大きい子はいないのかしら?」
サリーシャはその光景を見て不思議に思った。楽しそうに遊んでいる子供達の皆が皆、幼児くらいの年頃だったのだ。しばらくその光景を眺めていると、女性が白い飾り気のないカップにお茶を入れ、おずおずとサリーシャ達に差し出した。
「今の時間は、畑にいます。そろそろ戻ってくると思うのですが……」
「畑? 畑を持っているの?」
「はい。育てた作物を日々の食材に追加しております」
「まあ、それはいいわね! 食べ物の大切さを教えるうえで自分で作物を育てることはいいことだわ」
サリーシャは目を輝かせると女性はなにか言いたげに口を開きかけ、すぐに思い直したように口を閉じた。
「あら、噂をすれば戻って参りましたわ」
バーバラがそう言ったのでサリーシャは玄関の方を振り返った。十代から成人直前と思しき子供たちが背中に籠を背負ってわらわらと入ってくるところだった。
「わあ! 本物のお姫様がいるわ!」
その中の一人、ローラと同じくらいの年ごろの女の子が、サリーシャの姿に気付き歓声の声を上げた。トタトタと近づきサリーシャの着ていたドレスに触れようとしたところで、孤児院の女性が慌てたように制止する。
「ジェニー、ダメよ! 汚してしまうわ!」
ジェニーと呼ばれた女の子がビクンと肩を揺らして立ち止まる。その強張った表情を見てサリーシャは慌ててフォローした。
「重いでしょう? 籠を下ろしましょうか? そうしたら、わたくしのドレスはいくらでも触れていいから。手は水場で洗ってきた?」
「洗ったわ。……わたし、触ってもいいの?」
ジェニーはチラリと女性の方を見て、そしてサリーシャの周りのたくさんの人達を見渡して恐縮したような表情をした。
「いいわよ。可愛いでしょう?」
サリーシャは笑顔で裾を少し持ち上げて見せた。すると、ジェニーは「うん、可愛い!」と目を輝かせる。一行は次々と台所に籠を下ろしてゆき、わらわらとサリーシャの周りに集まり始める。すぐ近くに寄ってきて興味深げにする子供もいれば、遠巻きに様子を伺っているだけの子もいた。
「わたくし、サリーシャ=アハマスといいます。みんなが暮らしているアハマスの領主様の奥さんよ」
サリーシャは子供でも分かりやすいように自己紹介をする。子供達は目をぱちくりとさせた。
「それってお姫様ってこと?」
「お姫様ではないわ。本物のお姫様は王都にいらっしゃるのよ」
「ふうん」
「みんな、今日はどんな野菜を採ってきたの?」
「そら豆とブロッコリーだよ」
近くにいた男の子が台所に置いてある、先ほど取ってきたばかりの野菜を持ち上げてサリーシャに見せる。
「まあ、美味しそうね。こんなおいしそうな野菜を食べられるなんて羨ましいわ」
そら豆は曲がりくねって不恰好だったし、ブロッコリーも少し虫に食われてしまったのか欠けている。けれど、サリーシャがそう言って褒めると男の子は嬉しそうにはにかんだ。
「さすがお姫様、お気楽だよな」
「え?」
サリーシャは脇から聞こえてきた言葉が聞き間違えかと思い、思わず聞き返した。そちらの方向を見ると、周りの子供に比べて少しだけ背の高い少年が冷めた視線でサリーシャを見つめていた。
「ロラン!」
孤児院の女性が慌てたように立ち上がり、少年を窘める。サリーシャはその場の空気をなんとかしようと、持ってきたお土産を取り出した。
「わたくし、お土産を持ってきたの。今日はもう夕食だから、食後のデザートにでもみんなで食べて。今日採りたてのチェリーなのよ。それに、これはシロップ漬けに干しブドウ──」
「チェリー? 僕、食べたことないよ」
「それ、くれるの?」
子供達が歓声を上げてお土産の周りに集まる。
フルーツは一般的に高級品とされており、庶民だと風邪を引いたときなどの特別な日にしか口に出来ない。孤児院の子供達は生のチェリーやドライフルーツを口にしたことがなかった子も多かったようで、皆興味津々にそれらを眺めていた。
「──俺、帰るわ。またな」
少し大きな声が聞こえ、サリーシャはそちらを見た。先ほどロランと呼ばれた少年は憮然とした表情でこちらを見つめて大袈裟なため息をつくと、その場を後にしてまった。
「ロラン!」
再び慌てた様子で孤児院の女性が立ち上がるのと同時に、バタンとドアが閉まる音がした。
残った子供達は顔を見合わせ、その場になんとも言えない空気が流れる。
「申し訳ございません、奥様……」
ロランの失礼な態度に、女性は真っ青になってサリーシャに謝罪する。サリーシャは女性の顔を見つめ、苦笑した。
「わたくし、もしかして嫌われてしまったのかしら?」
「申し訳ございません。ロランはもう成人しているので数ヶ月前にここを出たのですが、よく遊びに来て下の子達の面倒を見てくれています」
「そう。では、今日は虫の居所が悪かったのかもしれないわ」
大事にするまでもないと、サリーシャは笑って済ませる。体が小さめだからすっかりと少年だと思い込んでいたが、実はパトリックと同じ歳だったようだ。
ジェニーはロランが消えた後を心配げに見つめていたが、サリーシャを見上げると眉尻を下げた。
「お姫様、ロランはすごく優しいの。だから、きっとなにか理由があったのだわ。怒らないで」
縋るようにそう言うジェニーを窘めるようにサリーシャは頷いた。
「まあ、そうなの? みんなのお兄さんなのね?」
「うん。困っていると助けてくれるし、ご飯も分けてくれるし、みんなに優しいの」
ジェニーは一生懸命ロランがいかにいい人であるかをサリーシャに説明する。もしかしたら、サリーシャに失礼なことを言ったせいで後で罰せられると思ったのかもしれない。
「大丈夫よ。──ところで、困っていることとかはない?」
「困っていること?」
「ええ。なんでも言ってみて」
サリーシャの問いかけに、ジェニーは考え込むように黙ると「夜になると寒いの。同じ部屋のみんなでぴったりくっついているのだけど、やっぱり寒いわ。最近は暖かくなってきたから、随分とましになったけど」と言った。
「寒い? 毛布は?」
サリーシャは孤児院の女性の方を振り返る。女性は困ったように顔を俯かせた。
「申し訳ございません。全く余裕がなくて、古いものを継剥いで使っているもので生地が薄くなっているかもしれません……」
「そう。支援金の支給額はアハマス全土で同じはずよね?」
「はい、決められた額を毎月支給しております」
横にいるバーバラはその話が初耳だったようで、怪訝な表情を浮かべた。
サリーシャは孤児院や支援施設などの福祉事業についてセシリオから任せられるようになり、色々とその仕組みについて勉強した。アハマスでは孤児院に入所人数に一定額を掛けた支援金を支給している。そして、その一人当たりの支援額はアハマス全土で同額だ。
農業地帯であるデニーリ地区の方がアハマスの中心街より食料品が安く余裕ができそうなものだが、建物の修繕など別のものにでも使ってしまったのだろうか。
「あとは、今年も雨漏りしないかが心配」
別の子がそう言った。
「雨漏りも夜が寒いのもよくないわ。風邪をひいたら大変だもの。なんとかできないか、今夜アルカン長官に訊いてみるわね」
サリーシャは孤児院の子供達を見つめ、そう約束した。