第三十九話 果樹園
朝食後、サリーシャはセシリオとは別行動で、バーバラの案内でデニーリ地区の中心街を見て回ることにした。
馬車は、サリーシャが乗ってきたものもセシリオが後から乗ってきたものもどちらも豪華で目立ちすぎるということで、アルカン長官が別のものを用意してくれた。
「サリーシャ様のような若い女性が行くにはどこがいいかと色々と考えましたのよ。デニーリ地区はアハマスの中心街よりはやはり鄙びていますけれど、その代わりに農業が盛んなのです。お野菜もいいのですけど、せっかくですから果樹園などはどうかと。今は、チェリーが実っていると思いますわ。後は、少し馬車で走らせると大河が流れておりましてその河川敷には沢山の花が咲いておりますの。とても綺麗なので、是非見て行って欲しいですわ。帰り際に中心街にも少し寄りましょう」
馬車に一緒に乗り込んだバーバラはにこにこしながらサリーシャに説明した。
以前、セシリオにもデニーリ地区は肥沃な土地を活かして農業が盛んだと教えられたし、セシリオと結婚を決めてから始めた領地の勉強でも同じようなことを聞いた気がする。
サリーシャは馬車から外を覗いた。領事館を出て既に三十分くらいは走っただろうか。いつの間にか周囲はのどかな田園地帯が広がっていた。馬車の周囲には何騎かの騎士が並走しているのが見える。デニーリ地区の警ら隊と、セシリオが同行させたアハマスの騎士達だ。
「着きましたわ」
バーバラが言い終わるかどうかというタイミングでガタンと馬車が停まった。外側から馬車の扉が開かれると、足下は赤茶色の土が広がっていた。そして、馬車から降りて周りを見渡したサリーシャは「わぁ」っと感嘆の声を漏らした。
見渡す限り、背の高い木が等間隔で植えられている。その木には青々とした葉が繁っているのだが、その合間からピンク色のチェリーがたくさんぶら下がっているのが見えた。
案内されながらその木々の下に入ると、まるで天井が緑の空間に入ったかのような錯覚を覚える。天井を見上げれば、緑の中にピンクの水玉模様、そしてその合間からは空の水色が鮮やかに見えた。
「凄いわ。これは食べられるの?」
「こちらは、まだ色が薄いので熟していません。あちらにいい食べ頃のものがありますよ」
果樹園の主が指差した方向にサリーシャも目を向ける。そちらにも木があったが、見た感じは変わりないように見えた。
「品種が違うの?」
「品種は同じなのですが、日当たりなどによって収穫時期に差がでるんですよ。行きましょう」
果樹園の主に促されてそちらの棚の下に入る。よく見ると、確かにそこかしこにぶら下がっているチェリーの色が先ほどより濃い気がした。果樹園の主はそれらを何粒か選ぶと、サリーシャに差し出した。
「そのまま食べられます。おひとつどうぞ」
赤い果実はまるで宝石のガーネットのような色をしている。一口齧ると真っ赤な果汁が滴り落ちる。サリーシャがあわてて大きな口を開けて一口でそれを口の中に押し込むと、口いっぱいに甘酸っぱい味わいが広がった。
「甘酸っぱい。すごく美味しいわ」
「アハマス夫人にお褒めいただき、光栄です」
サリーシャが感激したように言うと、主は嬉しそうにはにかむ。チェリーを食べることは時々あるが、大抵がジャムになっているかシロップ漬け、チェリーパイなどに加工されている。生のチェリーがこんなに美味しいなんて、サリーシャには大発見だ。
嬉しそうにするサリーシャの横で、バーバラと果樹園の主がなにかを話す。
「サリーシャ様。たくさん食べ頃のものを用意させましたので、今夜の夕食のデザートにお出ししましょう」
帰りの馬車に乗り込んできたバーバラがそう言って微笑むのを見て、サリーシャは驚いた。どうやら、バーバラは果樹園の主に今夜食べるのに適した実をたくさん選んで欲しいと依頼していたようだ。
是非セシリオやノーラともこの美味しさを共有したいと思っていたサリーシャは、この心遣いにとても感激した。
「まあ、ありがとう!」
「どういたしまして。アハマス辺境伯夫人であるサリーシャ様のお気に入りの一品ともなれば、ここデニーリ地区のチェリーのブランド価値が高まりますわ」
バーバラは目を輝かせるサリーシャを見つめ、くすくすと笑う。
しばらくすると、木箱に一杯のチェリーが馬車の空きスペースに乗せらて、馬車の中に甘酸っぱい香りが漂った。
──セシリオ様、喜んでくれるかしら?
サリーシャは山盛りのチェリーを見つめ、表情を綻ばせた。
帰り際、バーバラの言っていた河川敷一杯の花という景色も馬車から見せてもらった。広い川の流れは穏やかで、その両側には一面に花が咲き乱れている。薄紫色やピンク、黄色のものも見えた。
「あれはポピーかしら?」
「そうですわね。馬車を停めて花摘みを楽しまれますか?」
「ううん、大丈夫よ。帰りにセシリオ様と河川敷の花を見に行こうと約束したの。だから、花摘みの楽しみは明日に取っておくわ」
「まあ、そうでございますか。仲がよろしくてよいですわね」
バーバラににこりと微笑まれ、サリーシャも嬉しくなってはにかんだ。明日、セシリオとこの美しい花畑に来るのがとても楽しみだ。
デニーリ地区の中心街に戻ると、バーバラの案内で若い女性向けの小物のお店やデニーリ地区の特徴である農産物のお土産屋さんに立ち寄った。生物は腐らせてしまうが、ピクルスやジャムにドライフルーツ、シロップ漬けは大丈夫だろうとついついたくさん籠に入れてしまう。さっきあれだけチェリーを食べて、さらにお土産まで持たされたのにまたシロップ漬けのチェリーの瓶詰めを五つも買ってしまった。それに、もう一つの名産品だというブドウを干したものもたくさん籠に入れた。
「あらあら、サリーシャ様。そんなに食べきれますか?」
バーバラはサリーシャの持つ籠を見て目を丸くする。籠には零れ落ちそうなほどに様々なものが詰め込まれていた。サリーシャはバーバラの指摘にほんのりと顔を赤くした。
「どれもとても美味しそうだから……。あ、あと一つお願いなのだけれど、わたくし、孤児院か支援施設に立ち寄りたいと思ったの。行けるかしら? その方達へのお土産にもいいでしょう?」
「孤児院か支援施設、でございますか?」
バーバラは少し考えるように首を傾げると、ポンと手を打った。
「ここからそう遠くないところに、デニーリ地区で一番大きな孤児院がございます。では、そちらに立ち寄りましょうか?」
「本当? では、そこに行きたいわ」
「急がないと夕食の準備が始まってしまいます。暗くなる前に行きましょう」
そう促されて、サリーシャも慌てて買い物を済ませて馬車へと向かう。いつの間にかだいぶ時間が経ったようで、太陽は傾き始めて通りには長い影が出来ていた。
サリーシャは馬車の中で膝に乗せたたくさんのお土産が入った袋を覗き込んだ。甘いチェリーのシロップ漬けやジャム、干しブドウはきっと孤児院の子供達の口にも合うだろう。先ほどのお店で屋敷に持ち帰るものと、お土産として渡すものに分けてもらったので、自分用は馬車の向かいの座席に置いてある。
そのたくさんのお土産を眺めながら、サリーシャは子供達に喜んでもらえたらいいな、と思った。




