第三十七話 別れ
冴え渡る青空が広がったこの日、プランシェ伯爵家の玄関には豪華な馬車とたくさんの騎士達が隊列を組んでいた。
サリーシャとセシリオは別々の馬車でここに来たため、その規模は目をみはるものだ。
その馬車の前でサリーシャとセシリオはプランシェ伯爵家の面々と別れの挨拶をしていた。
「長らく大変お世話になりました」
「いいえ。サリーシャ様がいらして皆楽しく過ごせました。──今回は嫌な思いをさせてしまったけれど、よかったらまた遊びにいらして」
「はい、是非。メラニー様もアハマスに是非お越しください」
「ええ、ありがとう」
サリーシャが笑顔を浮かべると、メラニーも微笑んだ。
ラウルは半べそでサリーシャに抱きついてきた。サリーシャはそんなラウルにまた会えるからと言って抱きしめた。
「レニーナ様、お世話になりました」
「いいえ。サリーシャ様と一緒に過ごせて楽しかったわ。──わたくしはいつまでここにいるかわからないけれど、またご一緒したら仲良くしてくださいませ。お兄様がうるさくって」
レニーナは内緒話をするように顔を寄せると、ふふっと笑う。サリーシャも「はい、是非」と微笑み返した。
次にサリーシャはレニーナの隣にいるローラの前に立った。
「ローラ様、いつでもアハマスに遊びに来てくださいませ」
「わたくし、行ってもいいの?」
「もちろんですわ。お茶と刺繍をする約束をしたではありませんか」
笑顔で頷くサリーシャに、ローラは半泣きの笑顔で「ありがとう」と言った。そんなローラをサリーシャは優しく抱きしめる。
最後にパトリックとジョエルに別れの挨拶をすると、サリーシャは馬車に乗り込んだ。
隣にセシリオが乗り込むと、馬車の扉がバタンと閉じられる。ガタッと音がして動き出した馬車から、サリーシャはプランシェ伯爵家の面々が見えなくなるまで手を振った。
プランシェ伯爵家を出て一時間もすると、街道の両脇は深い森に覆われた。時折、木を伐採するための拠点とするための木造の簡素な小屋が建っているのが見える。頬杖をついて窓の外を眺めていたセシリオは、ふと思い出したようにサリーシャの方を向いた。
「帰りはデニーリ地区の領事館に寄る。少し気になることがあって、アルカン長官と話がしたいんだ」
「はい。わかりました」
「その帰り、どこかに寄ろうか。結婚以来、色々と遠出はしているがゆっくりと過ごすことはなかっただろう?」
セシリオが優しく微笑む。
サリーシャはその笑顔を見て胸がキュンとするのを感じた。確かに、結婚して以来、二人でゆっくりと過ごすことはなかった。そうできたら、どんなに素敵だろう。
「本当ですか? ふふっ、嬉しいです」
「どこか行ってみたい場所はある? なければ、デニーリ地区で有名な景勝地でも回るが……」
セシリオに訊き返されて、サリーシャはうーんと宙を眺める。行きたい場所と言われても、どんな場所があるのかをよく知らないのだ。そのとき、サリーシャの脳裏にひとつの場所が思いついた。
「そういえば、ラウル様が以前セシリオ様に光る虫を見せてもらったと仰っていましたわ。もしかして、蛍でございますか?」
「光る虫? ああ、そうだ。蛍だな。季節があえば、芝生や草むらで光る蛍を見ることができる。前に王都で仕掛け時計を二人で見たときに、とっておきの場所があると言っただろう? それが、そこだ」
「わたくし、それが見たいです!」
サリーシャは目を輝かせた。
やっぱり、予想通りだった。
サリーシャが最後に蛍を見たのは、まだマオーニ伯爵邸に引き取られる前のことだ。随分と記憶がおぼろげになってきてはいるが、夜になると淡い輝きを放つ無数の光が飛び交う光景にずっと見入っていたのを覚えている。
「今の季節は見られるかな……。いつ行っても見られるわけではないんだ。けれど、行くだけ行ってみようか? デニーリ地区は大河があるから、その周辺も草原が広がっていて、花の咲く季節は美しい。そこにも連れて行こう」
思案するように宙を眺めていたセシリオはそう言って微笑む。サリーシャは嬉しくなって「はい」と頷くとセシリオの逞しい腕に摺り寄った。
「うふふ。閣下とデートですわね」
「閣下?」
「セシリオ様とデートですわ」
サリーシャは慌てて言い直す。まだセシリオを『セシリオ様』と呼ぶことには慣れない。
「──セシリオ様はわたくしが『閣下』と呼ぶのはお嫌いですか?」
「いや、嫌いではない。『閣下』と呼ぶきみも可愛いらしいから好きだ。ただ、名もたまには呼んで欲しいと思っただけだ」
サリーシャはセシリオを見上げた。セシリオがなにか自分の願い事をサリーシャに言うことは滅多にない。もしかしたら、初めてかもしれない。これは是が非でも叶えなければならない。
「では、こうしましょう。二人きりのときは『セシリオ様』、公衆の前では『閣下』と呼びます」
「できるのか?」
「できますわ。間違えたら、なにかペナルティがあっても構いませんわ」
自信満々に言い切るサリーシャの顔をセシリオは身を屈めて覗き込むと、突然軽く触れるだけのキスをした。
「今度から間違えたら、罰として口を塞ごうか?」
予想外のセシリオの行動に驚いたサリーシャが固まっていると、セシリオはニヤッと笑った。首まで真っ赤にしたサリーシャはあわあわと口元を震わせる。
「閣っ、セシリオ様!」
「いい考えだろう?」
「ちっとも。そもそも、罰になっておりません」
「それは困ったな。では、お詫びにサリーシャから同じことをしてもらおう」
「セシリオ様!」
ポスンと胸を叩くと、セシリオはまた楽しそうに笑った。
──でも、これってもしかして、わたくしに甘えてくださっているのかしら?
セシリオは普段、他人にアハマス辺境伯として凛々しい姿しかみせない。メラニーも、セシリオは立場上人に弱さを見せずに感情を殺していることが多いと言っていた。
そのセシリオが軽口を叩いてサリーシャになにかお願いごとをしてくれた。自分には気を許してくれている証拠に思えて、なんだかとても嬉しく感じた。
サリーシャは腕に力を入れて体を伸ばすと、高い位置にあるセシリオの頬にそっと唇を寄せる。セシリオは驚いたように目をみはった。
「さっき、ちょこっとだけ間違えたから今回は頬です」
恥ずかしさからサリーシャはぷいっとそっぽを向いた。しばらく呆けるようにサリーシャを見つめていたセシリオが、またくくっと堪えきれないように笑いだす。
後頭部に手が回され、引き寄せられる。今度は深く唇が重なった。
──これって、やっぱり罰になっていないわ。
サリーシャはそう思ったが、セシリオが楽しそうなので黙っておいた。
デニーリ地区はプランシェ伯爵家から一日かかる距離だ。順調にいけば夜には到着するはずだ。いつの間にか馬車は森林地帯を抜けて、街道の両脇には時折畑が広がっているのが見えた。
「そういえば、行きにデニーリ地区を通りかかったときに物乞いをする孤児を見かけましたわ」
「物乞い? 孤児?」
ぼんやりと外の様子を眺めていたセシリオは、怪訝な表情を浮かべてサリーシャを見返した。
「はい。ほんの一瞬だったのですが、ボロを纏った子供達が通りの物陰で寄り添っているのを見かけました。あれは、物乞いではないかしら?」
行きの馬車の中で見た光景を思い出しながら、サリーシャはそのときのことを説明する。一瞬しか見えなかったので確証はないが、サリーシャには物乞いの子供に見えた。
「それはおかしいな。アハマスでは戦後、父親を戦禍で失った子供が孤児や物乞いになって町に溢れた。だから、これまで孤児の対策はかなり力を入れてやってきたんだ。物乞いをしなければならないような状況の子供はいないはずなのだが……」
セシリオは眉をひそめると、解せないと言いたげな表情を浮かべる。
「では、わたくしの見間違いかもしれません」
「──ならいいのだが……。それもアルカン長官に訊いてみよう」
セシリオは再び窓の外を眺める。いつの間にか太陽がだいぶ傾き、空は茜色に染まり始めている。遠くの山の上を鳥の群れが一列になって飛んでいるのが見えた。




